「結局、戻ってくるハメになったわけだ」
 極圏を覆いつくす分厚い氷を踏みしめて、アッシュは周囲を見渡した。
 ネコタクから降りて、しばらく歩かなければあの現場には到着しない。それでも、もうすぐ目的地に着く、といった頃合だ。4人はしきりに指を動かしている。少しでも温めることで、戦いに備えているのだ。
「ま、こないだよりはマシでしょ。少なくとも今は万全だし」
 リクはそう答えて、ちらりと残る2人を窺った。ふたりとも、黙々と歩を進めている。その顔には少しの緊張と、大きな期待が滲んでいるのが見て取れた。いつもの狩り、それも強敵を相手にするクエストの前に見せる表情と同じだ。
 実のところ、万全なのは装備と所持品だけで、彼ら自身には当てはまらない。というのも、前回ここに来てからユクモ村にやっと戻ったと思ったら、その次の日にはまたここへ来るように指示があった。結局はとんぼ返りだ。一晩は泥のように眠ったし、ここへの道中でも仮眠は取っているが、それだけで狩猟の疲れは癒せるものではない。それでも、前回よりはまだました。今回は回復薬もあるし、ホットドリンクもある。アッシュもリクもそれなりにやる気だ。あとはどんな敵が出てくるか、そればかりが気になる。
 前に逃げ込んだ氷洞窟を潜り抜けて、耳を澄ます。凍った世界に響くのは風の音だけだった。生き物の気配は感じられない。
「……どっか行っちまったのか?」
 アッシュが呟く。その口調には、焦燥のようなものが見て取れた。もし、ここからあのモンスターが出て行ってしまった場合は、厄介なことになる。つとめてそれを考えないようにしながら、リクは言った。
「とりあえず行ってみようじゃないの」
 言った手前、真っ先に狭い入り口をくぐる。ぱっと開けた視界は、どこまでも白い。前回討伐したウカムルバスの巨大な死体が、まだそこにある。そこにある痕跡を見つけて、リクは顔をしかめた。
「食われてるな」
 リクに続いてフィールドに足を踏み入れたセブンが呟いた。言葉通り、横たわるウカムルバスの死体は、硬い鱗がはがされ、肉を食われた部分があるようだった。
「あの黒いのの仕業かな」
「他には考えづらいだろうな……」
 ビリーとアッシュの会話を聞いて、捕食という言葉が頭をよぎる。イビルジョーやジンオウガのように、ハンターをも捕食するモンスターもいる。戦うときには、念のため気をつけるべきだろう。気合を入れなおし、改めて周囲を見渡す。だが、それらしいものは見当たらない。やはりどこかへ行ってしまったのかと思った瞬間、ビリーがぽつりと呟く。
「……いた」
 真っ先に反応したのはセブンだった。
「どこどこ!」
「あそこ」
 ビリーが指差したのは、あのとき彼ら自身が爆弾で豪快に崩した壁の奥だった。抉り取られたように窪んで、氷の破片が山のように積もっているその奥に目を凝らすと、黒く巨大なモンスターがまるくなって眠っているのがわかる。
「…………」
 思わぬ展開に、沈黙が降りる。無防備に眠り込んでいるというのは完全に想定外だ。
「……冬眠、かな?」
 ビリーの言葉に、3人から気の抜けたような返事がもれる。いみじくもいつかリクが言ったように、モンスターは(例外はあるにせよ)おおむねでっかいトカゲだ。大きさは違えど、生態は共通するものがある。羽毛を持たず、寒さに弱いと思われるモンスターがここで動けなくなってしまうのも、ないとは言い切れない。むしろ考えてみれば当たり前のことかもしれなかった。だが、もしそうだとすれば、どうしてこんなところで氷漬けになっていたのか。そればかりが謎だ。
「……とりあえず、爆弾でも置きに行ってみる?」
 遠くから眺めていても仕方がない。ギルドからは何としても討伐してこいと言われているのだし、まずは近づいて観察しなければ。そう思ったリクの提案に従い、4人は(必要ないかもしれないが)一応気配を殺して、眠るモンスターに近づいた。巨大な氷の割れ目を迂回し、散乱する氷の破片を慎重に避ける。間近で見たモンスターは、やはり、
「……違うな」
 ぽつりと、誰かが呟いた。意味するところは明白だった。こうしてはっきり目にすれば、嫌でもわかる。こいつは、ミラボレアスではない。だが――
「初めて見る竜だ」
 ビリーが、しげしげと全体を眺めている。その言葉どおり、今までに見たことのないモンスターだった。全身が黒っぽい鱗で覆われている。強靭そうな四肢で、前足と翼が一体化している。いわゆるワイバーン型だ。翼を広げた状態で氷に閉じ込めれられていたので、ぱっと見はミラボレアスに見えたのだ。頭が大きく、尻尾が細く、長い。形としては、リオレウスやリオレイアといったものよりは、どちらかというとティガレックスやナルガクルガに近いように見える。大きさや翼を度外視すれば、アカムトルムに近いようにも見えた。だとすれば、飛ぶのはあまり得意でないのかもしれない。そして、頭には目立つ角が1本、生えている。首のあたりには身体に張り付いたたてがみのようなものが見えた。柔らかそうには見えないから、鱗が変化したものらしい。そして全体の大きさとしては、そう大きくはない。尾の長さを除いたとして、ナルガクルガの最大金冠に届くか否か、そんなところだろう。
 暫くの間、無言で観察して、誰からともなく頷く。眠っていようが、仕事は仕事だ。このモンスターに恨みはないが、ここで狩らなければならない。リクとアッシュが、まず手持ちの大タル爆弾Gを設置した。生き物はたいてい顔が弱点となるから、セオリー通りモンスターの顔のすぐ近くだ。ぴすぴすと寝息が聞こえるが、意識して頭から追い出す。起爆用に小タル爆弾を少し離れたところに置いて、すかさず距離を取る。導火線の燃えるジジジという音に続いて、大爆発が起こった。轟音が空気を震わせる。
 ギャオオオン、と悲鳴をあげて、謎のモンスターは跳ね起きた。何が起こったか解らない様子で、ぐるりと周囲を見渡す。
「……マジか」
 リクは思わず呟いた。至近距離で爆発があったにも関わらず、モンスターの顔は大したダメージを受けていないように見えた。多少鱗が焦げているようだったが、それだけだ。硝煙の匂いが漂い、何が起きたかどうやら理解した黒い竜は、ぎろりと4人のハンターを見据える。瞳の色は金色だ。縦に長い瞳孔が、少しだけ開くのが判った。意外に機敏な動作で身体を起こし、4本の脚で氷の大地を踏みしめ、咆哮をあげる。リクは距離があるからなんとか受け流したが、アッシュとビリーは耳を押さえた。セブンは高級耳栓のせいか、平然としているようだ。そのセブンがブラックテンペストを展開する。リクも愛銃を展開した。まずは、麻痺弾だ。手早く装填を済ませる。
 スコープを覗き込んで、狙いを定める。その頃には、ビリーもアッシュも武器を展開していた。待ち構える彼らのうち、黒い竜はセブンに向かって地面を蹴る。リクからはセブンの背中しか見えないが、間違いなく彼は笑っただろうと思った。
「おらあああああッ!」
 以外に鈍重なその突進に対し、セブンは分厚い盾をかざして、真正面から力比べを挑む。かなり後ろへ流されつつも頭の角を盾で弾き返し、黒い竜が頭を上げたところを、下からランスで渾身の一突きだ。顎の下、どんな生き物でも弱いそこを突かれて、黒い竜は悲鳴をあげて身をよじる。上半身が泳いで着地したところには、ビリーのハンマーが待ち構えていた。ヒュゥ、と風を斬るような鋭さで振り回された星砕きプロメテオルが、落ちてきた横っ面を殴り飛ばす。ダイレクトに脳を揺らされた竜は、たまらずよろけた。どうにか身体を支えている後ろ足を、アッシュのフレイムテンペストが襲う。硬い鱗を炎が焦がし、刃を通さない鱗は、しかし叩きつけられる衝撃までは防いではくれない。斧モードに切り替えて力任せにそこに攻撃を叩き込みながら、アッシュは叫ぶ。
「転べ!」
 まるでアッシュの叫びに応じたように、竜は足をもつれさせて地面に伏した。じたばたともがくそいつに、容赦のない攻撃は降り注ぐ。頭をハンマーが、多少柔らかそうな腹をランスが、そして長くて邪魔な尻尾をスラッシュアックスが、それぞれに攻撃を繰り返した。ようやく体勢を立て直した黒い竜は、しかしびくんと大きく身体を痙攣させる。
「麻痺ったよー!」
 どうやら状態異常は効くらしい。リクはお決まりの文句を言って、手早く弾を装填しなおした。次は通常弾レベル3だ。動けないでいる竜の頭に、ビリーが容赦なくハンマーを振り下ろす。鱗が割れ、剥がれ落ちるのが見えた。剥がれた箇所をピンポイントで狙って、弾を叩き込む。ビリーはそれを予測しているのか、弾道には決して入らない。入らないままにハンマーを振り回し、遠心力を乗せた上で頭の角に叩きつけた。横からの衝撃に、角は根元からぽっきりと折れて落ちる。
 その頃には、麻痺の効果は切れていた。衝撃に少し頭を振った黒い竜は、怒りのこもった瞳をこちらへ向けた。四肢で氷を踏みしめて咆哮を放つ。首のたてがみが逆立ち、ひとまわり身体が大きくなったように見える。ここからが本番だ。ぺろりと乾いた唇を舐める。
 怒れる竜は、その場で背をしならせた。身体を低くして、先ほど咆哮を放ったときのように口を開く。
「……ッ!?」
 咆哮とは違う、と気付いた時には遅かった。思わず武器から手を離し、耳を押さえる。ヘビィボウガンが、がらんと音をたてて転がった。霞む視界で見れば、前衛の3人も似たような様子だ。頭が割れるように痛い。まるで脳を直接揺さぶられているような気持ち悪さがある。耳を力いっぱい押さえると少しはましだが、これでは戦いにならない。
(音波……か?)
 気を紛らわそうと、唇を噛む。血の味がしたが、かまってはいられなかった。
 黒い竜の喉が震えているのが見える。音が聞こえるわけではないが、確かに何かの波を感じ取ることができた。動物の中には、人間の聞き取れない音を使うものがいると聞いたことがある。もしかして、その類なのだろうか。何をしているのか知らないが、これは立派な攻撃だ。
 音波が途切れる。リクはなんとか体勢を立て直したが、前衛の3人は間に合わなかった。武器を拾うこともできないでいるうちに、黒い竜が薙ぎ払った尻尾でまとめて吹っ飛ばされる。舌打ちして、リクはボウガンをたたんだ。粉塵王印の出番だ。
 ボウガンを再び展開する暇もなく、黒い竜がこちらへと突っ込んでくる。緊急回避したリクは、ちらりと振り返って仲間の様子を確認する。それぞれが自分の得物に走りより、取り上げる。それを見届けてから、手探りでポーチから出したものを投げつけた。
「閃光玉するよ!」
 投げると同時に叫ぶ。彼らなら、このタイミングで充分だ。閃光玉が光る頃には、彼らは目をかばっている。そして、黒い竜は、ちょうどこちらへと振り返ったところだった。そのすぐ眼前で、閃光玉は炸裂する。
 悲鳴をあげて、竜の身体が揺らいだ。すかさずボウガンを展開するリクの横を、BASの3人は走り抜けた。先ほどと同じ配置につき、猛攻を始める。
「そろそろ尻尾切れるぞ!」
 アッシュの言葉に、ビリーとセブンが動いた。つかの間攻撃をやめて、位置取りを改める。ちょうどそのタイミングで、尻尾がぶつりと嫌な音をたてて切れた。
 前のめりに、竜が転ぶ。だがすぐに体勢を立て直した。その頃には、閃光玉の効果も消えている。頭を振って、咆哮をあげようとしたそのときだ。
 がごん、と重い音がして、ビリーのハンマーが竜の頭を直撃した。下からすくい上げるような一撃に眩暈を起こして、竜はどたりと地面に伏せる。もがく竜の、その前足と一体化している翼を、ランスとスラッシュアックスが切り刻む。血飛沫が飛んで、竜は更にもがいた。鱗が剥がれたところを狙って、リクは弾を撃ち続ける。だいぶ弱っているように思えるが、しかし油断は禁物だ。
 眩暈から回復した黒い竜は、ようやく身を起こす。よろめく身体を強靭な四肢で支えて、再び背中をうねらせる。身を低くしたのを見て、前衛の3人の動きが一瞬止まった。先ほどの音波らしきものが、また来る。
「させねぇよ!」
 竜が大きく口を開ける。その口の中をめがけて、リクは通常弾レベル3を連続して撃ち込んだ。弾を交換している暇はさすがになかったのだ。
 だが、効果は覿面だった。口の中を攻撃されて平気な生物はいない。不意打ちに悲鳴をあげ、のた打ち回る竜が体勢を立て直す前に、3人は攻撃に戻っていた。アッシュとセブンが鱗の剥がれた足を斬りつけ、腱を破壊する。立ち上がれなくなった黒い竜は、悲痛な叫び声をあげた。まるで、助けを求めるような声だ。首のあたりのたてがみも、弱々しく垂れ下がっている。
 哀れな声に、前衛の3人の動きが鈍った。リクの射撃もだ。こんな声を、彼らは聞いたことがある。本来ならば狩猟の対象にはならないモンスターが、こんな鳴き方をすることがある。庇護者の姿を求める声、つまりは――
「子供……なのか!?」
 あからさまに動揺した声音で、アッシュが叫ぶ。大きさだけを見れば、もう成体だと認識してもおかしくはない。だが、こいつは未知のモンスターなのだ。当然考慮すべきだったが、そこまでは頭が回っていなかった。結果、もうすぐ討伐だという段階になって衝撃を受けている。
 頭では解っているのだ。ここで手を止めるべきではない。だが、いまだ成長しきっていない生物に手をかけるのは、禁忌だ。やらなければならないことだとしても、躊躇してしまうのは人として当たり前のことだ。
 攻撃の手を止めてしまった彼らを一顧だにせず、黒い竜は前足を使って這いずった。哀れな鳴き声は止むことなく響く。そいつが目指しているのは、己が出てきた氷の壁の向こう側だ。つまりは、ボウガンを構えているリクの背後。そこに親がいると思っているのか――あるいは、本当に氷の中にいるのかもしれない。いないと断言することは、この場にいる人間にはできないのだから。
「……ッ、」
 ぎり、と奥歯を噛み締める。だが心情とは裏腹に、リクの手は慣れた動きで弾を装填していた。選んだのは、貫通弾レベル2だ。
 がちん、と金具の音を響かせて、しゃがみ撃ちの体勢に入る。幼い黒い竜は、そんなリクなど視界に入らぬかのように、ゆっくりとしたスピードでこちらへと近づいていた。実際、見えていないのかもしれない。ビリーのハンマーを受け続けたせいで頭部はぼろぼろで、目だって片方潰れている。
 何度目かの哀れな鳴き声。開いた口を狙って、リクはトリガーを引いた。射出された弾丸は、狙い違わず竜の口へと飛び込む。対象を貫通することに特化した弾は、勢いを殺されながらも、竜の脊髄を破壊して貫いた。
 ぴたりと、鳴き声が止まる。緩慢に崩れ落ちた竜の身体から視線を外せずに、しばしの沈黙が落ちた。痛ましそうな顔をするアッシュ、顔をしかめるセブン、眉をひそめるビリー。そんななか、リクはただ表情の抜け落ちた顔で、じっと竜を見つめる。
(……ギルドナイト、か)
 深い闇。ギルドマネージャーの言った言葉を、リクは思い出していた。


     ***


 鱗を剥ぎ取ってみると、鱗そのものは、やはりティガレックスに近いように見えた。翼の形状も近いように思える。ティガレックスは原始的な飛竜なのだとどこかで聞いたが、こいつもそのたぐいのものなのか、4人には判断がつかない。とりあえず素材を持ち帰れば、王立書士隊かどこかが分析し、結論を出すだろう。
「……ビリーはん?」
 セブンが、尻尾の断面を覗き込んでいるビリーに近づいた。ビリーはアッシュが斬ったそこを指差す。少し焦げているようだったが、観察に支障はない。
「……脂肪が少ない」
 言われて、セブンに続いて、その断面を覗き込む。確かに、皮下脂肪の層はあまり厚くない。
「やっぱり、こんな寒いところの生き物じゃないんだね」
 ビリーの言葉に、はっとする。確かにその通りだ。寒い場所で活動するモンスターは、鱗の下に分厚い皮下脂肪を蓄え、体内の熱を守る。そもそも、寒冷地にのみ生息するモンスターは、鱗が毛へと進化することもあるのだ。そうやって適応していかないと、生き残れない。それを考えると、この黒い竜が極圏で生きていける可能性は、ほぼないと言っていい。つまりは、おそらく放っておいても、この黒い竜は死んだだろうということだ。
 事前に予測できることではない。が、結果として後味の悪い狩りになってしまった。なんとなく何かを喋る気力もなくして、4人の間に沈黙が下りる。やがて誰からともなくのろのろと帰り仕度をはじめて、極圏を後にした。剥ぎ取った鱗や折れた角もまとめて、麻の袋に放り込む。
 帰りのネコタクの中でも、沈黙は続いていた。気まずい沈黙ではなく、疲れからくる沈黙だ。それを苦にするような性格の人間は、この場にはいない。だから最寄の街で車を乗り換えてからも、ただひたすらに沈黙は続いた。途中、少しうとうとしてもいたらしい。
「ねえリク」
 ユクモまではあと少し。そのタイミングで、不意にビリーが沈黙を破る。
「こないだユクモに帰った日……あのギルドマネージャーと何を話してた?」
 顔を上げると、金色の眼と視線がぶつかった。心の底まで見透かすような、まっすぐな視線がリクの目を覗き込んでいる。動揺は、顔には出なかったと思う。が、ビリーは動物的な勘の鋭さを持っている。それは時に、理論を振りかざすよりも正しい結論に至る場合がある。今が、まさにそれだ。
「……なに、急に」
 にこりと笑ってはぐらかそうとした。だが、ビリーは退く気配を見せない。アッシュとセブンもいつの間にか顔を上げて、そっとビリーとリクを窺っていた。
 ビリーは声をひそめた。やっと聞こえるくらいの声音で呟く。
「この車は監視されてる」
 正確にそれを聞き取ったアッシュとセブンが息をのむ。だが、取り乱したりはしなかった。
「いつからだ」
 アッシュの鋭い問いに、ビリーは数時間前から、と答える。
「俺たちがクエストに出かけたのを知ってるのは、あのギルドマネージャーだけだ。他言無用って言ってたからには、他の人が知ってるとは思えない」
「つまりこの車に監視をつけられるのは、ギルドマネージャーしかいない。……なるほどね?」
 不思議そうにしながらも、セブンは楽しそうだ。どこか物騒な笑みを浮かべている。
「何かを仕掛けてくるような感じはしないけど、監視されるような心当たりもない。リクなら、何か知ってるんじゃない?」
 視線を受けて、リクはため息をついた。内心で舌打ちをしたが、それを表に出すようなことはしない。
「ビリーさんて、時々鋭すぎるよね」
「そう?」
 首をかしげるビリーに、自覚はないようだ。色々なことが脳裏をよぎったが、最終的に面倒になってゆるゆると頭を振る。
「ギルドナイトになれって言われてる」
 ぎりぎりまで声を抑えたが、3人はきちんと聞き取ったようだった。さっと表情が引き締まる。
「断るなら、猟団の奴らがどうなっても知らんとね――まあ、そういうことよ」
 事細かな説明はしなかった。眼を見開いたアッシュの頬に血が上る。直情型の彼は、そういった卑怯な真似が許せないのだ。そこまで露骨ではないにせよ、セブンもビリーも、眉をひそめている。
「おまえは、それを許すのか」
 返答によっちゃただじゃすまさねえぞ、と実際に拳を突き出されて、リクは震え上がるふりをしてみせた。
「おお怖……大丈夫、おまえらに手出しはさせないって」
「そうじゃねえよ」
 アッシュは舌打ちした。燃えるような瞳がリクを正面から捉える。
「お前は、そうやって仲間を盾にとられて、なりたくもないギルドナイトになるつもりなのか」
「なりたくもない、か」
 皮肉に笑う
「なりたいのか?」
 ギルドナイトなんかに? セブンの正面からの問いは、避けられなかった。
「そりゃ、なりたくないよ」
 この猟団は居心地がいいから、抜けたくない。ギルドマネージャーのやり方も気に入らない。正直に答えると、アッシュがたまりかねたように吐き捨てた。
「馬鹿野郎、だったら断れよ。状況なんか考えてんじゃねーよ、お前は何がしたいんだよ」
 そんな風にお前に守ってもらっても嬉しくもなんともねえんだよ、と正統なツンデレを発揮する。
「お前の人生なんだから、お前がやりたいようにやればいいんだよ」
 つまるところ、アッシュが怒っているのはそこらしい。周囲を気にして自分を殺そうとしているリクが許せないのだと、ようやくリクは悟った。
「……お前、自分が恥ずかしいこと言ってるって自覚ある?」
「お前が余計なことすっからだろうが!」
 アッシュの顔は真っ赤だ。一応自覚はあるらしい。そんな彼をどうどうとなだめて、リクは言った。
「確かに俺の言い方は悪かったかな。俺は、ギルドナイトなんかになるつもりはないよ」
 おまえらに手出しはさせない。その言葉を、アッシュは脅しに屈するつもりだと受け取ったのだろう。ぽかんとしたアッシュが、次の瞬間には柳眉を吊り上げる。
「お前、それを早く言えよ!」
 ついにセブンが耐え切れず、腹を抱えて笑い出した。ビリーも笑いを堪えている。
「いやぁ……まさかあそこまでくっさい台詞を吐かれるとは思わなくて」
「お前死にたいのか」
「やめてよーせっかく生きて帰ってきたとこなのに」
 飛んできた拳を受け止める。リクの頬も緩んでいた。要するに仲間をこの上なく大事に思っているのだと、言われて嬉しかったのもまた事実だ。そんなリクの顔を見て、アッシュは嫌そうに顔をしかめる。
 それが単なる照れ隠しだと、アッシュを除いた3人はよく知っていた。


     ***


 ユクモ村に到着してギルドマネージャーに会いに行くと、彼はすでに集会所の奥に部屋を確保していた。そこにどさりと黒い竜の素材が入った袋を置いて、アッシュは言った。
「討伐してきました。剥ぎ取ったのはこれで、詳しい報告はまた明日にしてください」
 さすがに疲れた、というアッシュに、ギルドマネージャーは鷹揚に頷いた。
「受付嬢に、報酬の支払いをするように言ってある。受け取って帰って、休むと良い」
 ご苦労じゃった、と彼は言う。
「リクには、話がある。残ってくれるか」
 リクは肩をすくめることで、返事に換えた。アッシュとセブン、それにビリーは、それぞれに踵を返して、部屋を出て行く。ギルドマネージャーに悟られぬようにそれぞれから目配せを受けて、リクは内心で苦笑した。彼らが去ったのを確認して、リクは適当な椅子に腰掛けた。足を組んで、ポーチから折りたたんだ紙を取り出す。
「……? 何じゃ、それは」
 いぶかしげなギルドマネージャーの質問には答えず、紙を開く。
 ユクモ村に戻ってきてからこの集会所に来るまでの間に、帰還報告と称してジャックの家に寄った。この紙はその際、こっそりと彼が手渡してくれたものだ。予想通り、ジャックに頼んだことの首尾が、簡潔に記されている。それにざっと目を通して、リクは別のことを口にした。
「今日の車、誰を付けたの? ビリーは気付いてたよ」
 俺もね、と言うと、ギルドマネージャーは片眉を跳ね上げた。
「腕の良い奴らじゃが、お前さんたちにならば気付かれても恥にはなるまいよ」
「そうかもね」
 そっけなく肯定する。おそらく、彼が監視に付けたのはハンターだろう。だが、ギルドナイトが不足している今、腕の良い連中は、そちらのバックアップに追われているはずだ。必然的に、それよりは若干腕の落ちる連中がこちらにつく事になる。おまけにこちらは、猟団の誰もがそこらのハンターとは一線を画するつわものだ。確かに、彼の言い分に間違いはない。
「あれでさ、俺ちょっと安心したんだよね。――あの程度の連中なら、うちの猟団に何かするなんて無理だから、俺はあんたの脅しをはっきり断れるわけだ」
「脅し?」
 ギルドマネージャーは鼻で笑う。
「人聞きの悪いことを言う。あれは正当な取引じゃないかね……それに、お望みならもっと腕のいい人間を引っ張ってくることもできる」
「そう言うんじゃないかと思ってさ、」
 手を打ったんだよね。リクは手にしたジャックからの手紙を、ゆっくりと振ってみせた。おそらく開いて見せたところで、彼には読めないだろう。傭兵時代によく使用した、仲間内でのみ通じる暗号で書かれていた。まずは、第一手。
「アスカリ・シャムシェ――聞いたことないだろうね。傭兵隊のひとつでね、結構名は知れてるんだよ? こっちじゃ無名だけど」
 このあたりじゃ戦争もないから、当たり前っちゃ当たり前だよねえ、とリクは続けた。ギルドマネージャーの表情は変わらない。だが、いきなり何の話をしだすのかと疑問に思っているのは明らかだった。
 答えはすぐに知れる。続くリクの言葉によってだ。
「彼らに依頼をした。脅威が去るまで、俺の所属する猟団を守ってくれること――この意味がわかるかな、じいさん」
 ことさらゆっくりと、リクは唇の端を吊り上げてみせた。
「彼らはプロだ。あんたの手の者なんかに、彼らの守りは突破できない。だって、あんたの部下はハンターなんだからね」
 つまりは専門が違うのだ。いくら腕が良くても、それはあくまでもモンスターが相手であっての話で、人間相手は専門外のはずだ、というのである。唯一、例外としてギルドナイトの存在があるが、彼らを動かすのは、この男には無理だろう。というよりは、そもそも罪を犯したわけでもない一般のハンターに危害を加えようとする、そのこと自体が既に問題だ。
 リクの言い分を理解した老人は、明らかに動揺していた。それはそうだ。ついさっきまで、自分が優位に立ち、リクはただこちらの言うなりになると信じていたのだから。
「……嘘、だろう」
 ようやく漏れた言葉に、リクは少し首をかしげてみせた。
「そんな連中を担ぎ出せるわけが……」
 そこまで言って、はっとしたように口を噤む。
「嘘だと思うんなら、攻撃命令でも出してみたらいいんじゃない? ――でも、おかしな人だね。あんたが言ったんでしょ」
 俺が壊れてるってさ。
 その言葉に、老人の顔が目に見えて青くなった。目を限界まで見開いて、リクを見つめている。
「我らは剣。我らは盾。これ、シャムシェのモットーでね。あんたの言ったとおり、俺は攻撃に特化した、壊れた剣だった。守るのは苦手だから困ってたんだけど……彼らが盾となってくれれば、俺は攻めに徹することができる」
 今、リクがここに携えているのは、狩りで使用したボウガンと、剥ぎ取りナイフだけだ。ボウガンはともかくとして、目の前の老人に危害を加えようと思うなら、剥ぎ取りナイフだけで充分だ。本来は戦いに使用するものではないそれも、リクの手にあれば充分な凶器となる。ましてや人が相手では――老人はそれを恐れている。
 だが、リクはそんなことをするつもりは毛頭なかった。リクの望みは、今まで通りの生活を続けることにある。ここで、仮にもギルドマネージャーをつとめる老人に手をかけてしまえば、そんな望みは露と消えるだろう。
 一番いいのは、彼に退場してもらうことだ。手にした紙の文字を、右手でなぞる。第二手だ。
「それから、あんたの事を調べてもらった。――最近死んだギルドナイト、あれあんたが推薦した人だったんだって?」
 ぴくり、と老人の肩が揺れる。それには気付かぬふりをして、リクはわざとらしく紙面に視線を落とす。
「しかも死んだ原因が内輪もめだとか。それで推薦したあんたの立場が危うくなりつつある。そこを補填しようとでも思ったのかな? 俺に関しても結構強引だったけど、他にも色々やってるね。ギルドナイトとして任用できる人材を多く確保すれば、ギルドマスターからの評価が回復する。それどころか上がるかもしれない。あんたの目的は、もしかしてこれ?」
 いわゆる、名誉欲というやつだろう。実際に何らかのメリットもあるのかもしれないが、どちらにせよリクには興味がない。老人は沈黙を保ったままだ。だがその表情が全てを物語っている。語るに落ちるとはこのことだ。
「別に偉くなりたいってのを否定はしないけどさ、他人を巻き込むのはやめてほしいよねぇ」
 蒼白になったギルドマネージャーの視線が、意外な強さでリクを貫く。お、と思う間もなく、彼は呻くように言った。
「……お前さんには、解らんさ」
 何か、とんでもなく苦いものを飲み込んだような口調だ。おそらく、何か背負うものがあるのだろう。だがそんなものは誰にだってある。それを言い訳にして、他人を巻き込み、踏み台にする。そんなことが許されていいと思う人間は、多分いないだろう。巻き込まれた立場となればなおさらだ。
(あと一手、あるといいんだけど)
 どうにも決め手に欠ける。現状、リクのことを諦めさせることは可能だろう。だが、それで済ますつもりはリクにはない。最低でもこのユクモから追い出すくらいのことはしておきたかった。頬杖をついて、考える。
(残りの一手が、間に合うかどうか……かな)
 間に合わなくても構わないが、決定的なダメージを与えるには、間に合ってもらいたい。そんなリクの内なる声が届いたのか、入り口を仕切る暖簾がふわりと揺れた。
「おじゃましますニャ。郵便ですニャ」
 驚いた顔で、ギルドマネージャーが振り返る。
(第三手!)
 内心で歓喜の声をあげる。間に合ったのだ。にこりと笑って、郵便アイルーに声をかける。
「誰に郵便かな?」
「えっと……ギルドマネージャーさんと、リクさんですニャ」
 受け取り表にサインお願いしますニャ、と、アイルーが手紙を差し出してくる。
「今でなければ駄目か?」
 あからさまに嫌そうな顔で、ギルドマネージャーは言った。だが、仕事熱心な郵便アイルーは引き下がらない。
「速達ですニャ。一刻も早く、と言われてますのニャ」
「……わかった」
 さらさらとペンを走らせたギルドマネージャーが紙を返し、郵便アイルーは満足そうにそれをしまいこんだ。リクにも封筒を手渡して、もう用はないとばかりに部屋を出て行く。気配が遠ざかったのを確認して、リクは老人へと視線を戻した。
 受け取った封書を見て、老人は動揺したようだった。何の変哲もない白い封筒。宛先が流麗な文字で書き込まれ、それに重なるようにしてエンボス印が押されている。ハンターズギルドの紋章だ。裏返せば、赤い封蝋が存在を主張している。そこに押されているのは、とある古龍をかたどった紋章。それは、ハンターズギルドのギルドマスターが使用する紋章、のはずだった。
「開けてみたら?」
 リクに促されて、ギルドマネージャーはのろのろと封を切った。中から出てきたのは、これもやはり白い便箋だ。一読して、ただでさえ蒼白だったギルドマネージャーの顔色が、ついに死人のような土気色になる。余程の衝撃を受けたらしい。
「何が書いてあったの?」
 だいたいの予想はつく。にやにやと笑みがこぼれているのを承知で訊いてみると、彼はひどく憔悴したような眼でリクを見た。まるでこの数分の間に、20年ほども歳を取ったかのようだ。
「……お前さんの、差し金か」
「まさか。俺にはギルドマスターを動かす力なんてないしね」
 老人の手から力が抜けて、テーブルの上に便箋が落ちる。視線を走らせてみると、予想に違わぬことが書いてあった――貴殿の問題行動について複数の報告があった。ついては、至急出頭されたし。査問が済むまでは貴殿の全ての役職を解除する。まあ、そんなようなことだ。
 呆然とした様子のギルドマネージャーを無視して、リクは自分宛の封書を開封する。こちらは速達ではなく、出されてから少し時間が経っているようだった。やはりシンプルな便箋に、末尾にちょこんと、猫をかたどったらしい紋章。本文はそう長くない。「一度、顔を見せに来い」という文章に、思わず苦笑する。
 彼女には、世話になってしまった。顔を出さないわけにはいかないようだった。


     ***


「終わったか?」
 部屋を出ると、横合いから声を掛けられる。気配を消してそこにいたのはジャックだった。壁に背を預けている。巨体の割に、彼は意外なほど上手に気配を消して周囲に溶け込む。銀色の瞳に見下ろされて、リクは苦笑した。
「終わった、と思うよ。あの様子じゃ最後っ屁もないだろうけど、一応守りは解かないほうがいいかもね」
「だな。今の隊長からは、いくらでも使ってくれって言われてる」
 ジャックはリクの話を聞いて、以前自分たちの所属していた傭兵隊に話をつけてくれたのだ。腕利きを何人か、こちらへ寄越して欲しいという依頼に、今の隊長は快諾の返事をくれたという。ただし、条件付きでだ。
「砂漠のディアブロスだっけ? それを狩り終えるまでは、でしょ」
 かの傭兵隊は、今も戦争の最前線にいる。現在は、砂漠にいるようだった。戦場に突如として現れたディアブロスに撤退を余儀なくされて困っていたところに、ジャックからの手紙が届いたらしい。渡りに船だ、と思っただろう。ジャックは笑う。
「そいつをどうにかして、ディアブロスにびびって雲隠れした敵の指揮官を始末しないと、報酬が貰えないんだそうだ」
「おやま、大変」
 まるっきり他人事の口調で、リクは言う。実際に他人事ではあるが、そのためにディアブロスの討伐をしなければならない。それも、今回回避できた面倒ごとを思えばたいしたことではない。
 実のところ、ジャックには今回、大いに助けられた。リクたちが謎の黒い竜を狩りに行っている間、傭兵隊と話をつけ、更にギルドマネージャーに関して調査までしてくれた。方法については、聞かぬが花だろう。優秀なハンターなら誰でも、自分にとって有効な人脈というものを持っているものだ。彼は恩着せがましいことは何も言わないが、借りはいずれ返さなければならない。
「しかし砂漠で、ディアブロスねぇ……どこかで聞いたような話だね?」
「確かにな」
 ちらりと視線がぶつかり、思わず笑う。あのときは、自分たちはただ見ているしかなかった。だが今は違う。
「いつ出発する?」
「そうだねぇ……ギルドマネージャーがあんなことになったから、黒い竜のことを誰に報告したらいいかわかんないしねぇ……それが済んでから、のほうがいいだろうね」
 順当に考えれば、新たなギルドマネージャーの代理が任に就くか、もしくは本来のギルドマネージャーが復帰してくれれば、そのどちらかに報告するのが筋だ。なんにせよ、ギルドの出方を見ないことには動けない。それに、リク自身ひどく疲れている。ひとまずは帰って寝たい、というのが本音だ。ジャックはそれを聞いて頷く。
「最低でも1週間、てとこか。わかった」
「……あれ、ついて来てくれんの?」
 意外だ、と首をかしげる。ジャックはそっけなく言った。
「手紙を出したのは俺だからな。俺がいかなきゃならんだろうよ」
 もっともな理由だ。だがそれだけではないことに、リクはもちろん気付いている。にやりと笑ったリクを、ジャックは嫌そうに見下ろした。


     ***


「随分とのんびりだったな、リクよ」
 皮肉げにひげを揺らして、ネコートが言う。リクは苦笑して、両手を合わせた。
「ほんとすいません。色々と後処理に時間がかかっちゃって」
 あのあと、ほんの数日でユクモ村のギルドマネージャーが復帰することになった。どうやら、ギルドから自分がいない間の顛末を聞き、臥せっている場合ではないと考えたらしい。そのくらいで復帰できるのだから、やはり酒の飲みすぎだったのかもしれないが、まあそれはそれでめでたいことだ。
 復帰したギルドマネージャーに改めて詳しい事情を(端折った部分も多かったが)説明し、黒い竜の討伐についても報告を済ませた。報告書は王立書士隊へと送られ、調査と研究が開始されることになった。何か疑問点が出たらこちらにも質問が来るかもしれないが、そのくらいはなんでもないことだ。
 そこまでのことをようやく片付けて、リクとジャックは約束どおり、砂漠へと出向いてディアブロスを狩ってきた。事情を聞いたBASの面々(特にセブン)も行くと言ってくれたが、そこまで甘えるわけにはいかない。それに、昔のなじみの連中に、今の自分たちを見せておこうと思ったのも事実だ。狩りは案外あっさりと片付き、お前ら凄いな、と称賛の言葉を浴びせられるのは、正直くすぐったかった。自分たちとは面識のない、まだ若い傭兵たちからも質問攻めを受けて、あのときのビリーとタロスもこんな気分だったのだろうかと、ジャックと顔を見合わせて笑った。
 どこかすっきりした顔をしていることに気付いたのか、ネコートは大きな目を細める。ぴこんと耳が動いた。
「……なんとかなったようだな」
「おかげさまでね。感謝してますよ」
 どっこいしょ、とリクは地面に腰を下ろした。ネコートも、いつも乗っている切り株にちょこんと腰掛ける。
 実際、彼女には助けられた。リクはあの誘いを受けてすぐに、全てを綴り、似たような経緯を経てギルドナイトになった人間もいるはずだと記載した手紙を、速達でネコートへ送った。長い付き合いの彼女は、それだけでリクの意図を察し、即座にギルドマスターへと連絡を取ってくれた。仮にもギルドマネージャーの地位にある者が、ハンターに害をなそうとしたことは、許されることではない。おそらくギルドマスターは、ネコートの手紙を受けて、実際にギルドナイトに確認を取るだろう。元々希望してなった訳でもないギルドナイトは、全てを話すはずだ。そんな話が複数出てくれば、当然ながら査問会を開く必要がある。ユクモ村から極圏までの道のりは、最短でも5日。往復で10日。ギルドマスターからの召喚状が間に合うかは、正直に言って賭けだった。リクは賭けに勝ったのだ。
「まさか、あんなことになるとは思ってなかったもんで。正直びびっちゃったよ」
 本来、一介のハンターがギルドマスターに会う機会はない。直接連絡できる環境もない。だからこそあの老人は高をくくって、有望なハンターたちを強引な手段で集めていたのだ。リクだって、ネコートとの縁がなければどうなっていたか解らない。彼女はギルドマスターと直接繋がる、希少な存在なのだ。その彼女は、短い尻尾をふさりと揺らす。
「どうやら、あの老人は罷免されるらしい。――まったく、見る目がなかったと言うべきだろうな」
 その言葉に、リクはちらりと彼女を見上げる。
「そうかな? 俺のこと、結構正確に見抜いてたよ、あのじいさんは」
 リクの抱えている闇。過去。そういったものを見抜いたからこそ、彼はリクに声をかけたのだ。だが、ネコートは眉間にしわをよせ、それを否定する。
「そのくらいのことはな、長年ギルドにいて色々なハンターを目にしていれば、自然と身につく。問題は、詰めの甘さなのだろうよ」
 よりにもよって、あの猟団を相手に脅しとは。そう、彼女は嘆いた。リクは思わず笑う。確かにその通りだ。リクをはじめとして、あの猟団はあまりにも厄介者の集まりだ。力で押さえつけようとしても、暴発するのは目に見えている。ノブツナが彼らの手綱を握っていられるのは、彼ら自身がそれを望んでいるからなのだ。そんな簡単なことに、あの老人は気付かなかった。仮に猟団の全てを調べ上げ、退路を断った上で何らかの脅しをかけたとしても、彼らはものともせずに跳ね除けるだろう。そのくらいの実力も、覇気もある連中なのだ。
「まぁね。あの程度でどうにかできるような連中ではないよねぇ」
 まるっきり他人事の口調で言うリクに、ネコートは胡乱げな視線を向ける。
「本当に解っているのか? その中にはおまえも含まれているのだぞ」
「俺?」
 にやりと笑って、リクは彼女を見返した。
「俺なんてまだまだ。追い出すだけで勘弁してやったんだから、優しいもんでしょ」
 ネコートはため息をつく。逃げ場をなくし、手も足も出なくしておいて奈落に突き落とす、そのどこが優しいというのか、と考えているのは明らかだった。けれども今のはリクの偽らざる本心だ。リクは何も、卑怯な手を使って彼を陥れた訳ではない。あれは完全に、あの老人の自業自得なのだから。そんなことはネコートも解っていて、目を細めてひげをそよがせた。
「……まあ、おまえのような奴がいるのは、あの猟団にとっても僥倖というものだろうよ」
 彼らはどこまでもまっすぐだからな。そう言って、ぴこんと耳を動かす。リクは頷いた。
「実のところ、俺もそう思うよ」
 壊れた剣は、ようやく鞘を見つけた。伸ばされる悪意ある手を跳ね除け、切り裂くのは剣の仕事。剣はそれで満足している。鞘は、そんなことは知らなくていいのだ。ただそこに、在るだけで。
「……おまえが楽しそうで何よりだ」
 彼女は笑う。きれいな空色の瞳が、リクを映していた。






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