きっかけは、何の話だったか覚えていない。
「おれ今度、街に買い物に行こうと思うんだよね」
 確か何かの話のついでにそんなことを漏らしたら、視線を落としていたビリーがふと顔を上げたのだった。昼飯にはちょっと遅い時間で、ノブツナは遅い昼食を、ビリーは昼食後のデザートを食べていたところだった。唇についたはちみつをぺろりと舐めて、ビリーは言う。
「え、俺も行こうと思ってたんだ」
 あそこの金物屋に預けてるのがあるんだよね。そう言ったビリーに、何を預けているんだと訊くと、鍋だと答えた。
「なんで鍋……穴でも開いたのか」
「いや、ちょっとへこんじゃって」
「鍋がへこむって……何したのビリー」
 ナイショ、と言って、ビリーは切り分けたホットケーキを口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼して飲み下す。ノブツナは答えを得るのを諦めた。ビリーは言いたくないことは絶対に言わないのだ。かわりに別のことを口にする。
「じゃあ一緒に行くか? せっかくだし」
「そうだね。……あ、でも明日は俺、狩りの約束してる。帰りに寄ろうと思ってたんだった」
 最後の一切れを飲み込んで、ビリーは無造作に口元を拭う。狩りの約束は誰とだと訊くと、ミスターだという話だった。現地集合、現地解散なのだという。神出鬼没の彼らしい約束だ。
「んじゃ俺が合わせるわ。明後日あたり、散歩がてら歩いて行けばちょうどくらいじゃねーか?」
 街までは、徒歩だとだいたい半日。明後日の朝にここを出てのんびり歩けば、ちょうど狩猟帰りのビリーと合流できるだろう。そう言うと、ビリーは頷いた。
「わかった。速攻で狩り終わらせる」
「ビリーが言うとなんか怖いな……」
 ところで何買うの、というビリーの問いには、ノブツナも簡潔に食器だと答えておいた。
 今朝、お気に入りの小皿を割ってしまったところだったのだ。


     ***


 ポッケ村は一年を通して寒いが、それでも季節は存在する。
 がちがちに固まった雪も溶け始め、暖かくなってきた時期だ。よく晴れたその日、サクラは村の広場を横切って歩いていた。狩猟に出る気はないが、集会所に誰かいないかと顔を出しに行くところだった。その途中、見慣れぬ格好をした人物を発見し、思わず瞬く。
「あれ? ノブツナさんどこか行くんですか?」
 声をかけると、少し遠かったせいか、ノブツナはきょろきょろとあたりを見回した。すかさず距離を詰めると、ノブツナの視線がようやくサクラで止まる。にかりと笑って、咥えていた煙草をつまむ。
「おー? おー、ちょっとなー」
 そんな曖昧な返事をするノブツナを観察してみると、いつもの狩猟に赴く格好ではない。こざっぱりとした白いシャツに、色の濃い麻のパンツ。ゆったりとしたそれを腰紐で留めている。あまり見たことのないノブツナの格好は、どことなく新鮮だった。というより、いつもは休みといえばだらりとした格好をしているのが常だったので、いつもの休日より5割増くらいで格好良く見える。珍しい、と思い、連想された言葉を投げてみる。
「まさかデートですか?」
 内心では、そんなはずはないという確信があった。だってノブツナだ。そう長いつきあいではないが、女性の影を感じたことは一度としてない。女性を話題にすることは、割と頻繁にある。だが実際に彼女を作るよりは、まだ男友達と遊んでいる方が楽しいのではないかと、サクラは踏んでいた。
「ま、そんなとこだ」
 だが、降ってきたのは予想に反した言葉だった。え、と反射的にノブツナの顔を見上げると、彼は意味深な笑みを浮かべてサクラを見下ろしていた。どきりとして思わず胸元を押さえる。今のはまさか、肯定なのだろうか。
(ということは、今から、デート? ……誰と?)
「……ナイショだぞ」
 しいっとばかりに人差し指で唇をおさえてみせる。その笑みがどこか照れくさそうに見え、サクラは本格的に混乱して、ただノブツナを見上げることしかできなかった。そうしている間に、ノブツナはサクラの横を通り過ぎて歩いていってしまう。
「……えっ?」
 ぽつんと、サクラの間抜けな声だけが後に残った。


     ***


 てくてく歩いて街に入ると、ビリーは狩猟の格好のままでノブツナを待っていた。
 とは言っても、この街にはハンターも多く立ち寄るため、周囲から浮いていることもない。また、元々ビリーはどんなところにいても気配を絶つのが上手い。今も露店で何かの肉を買って豪快にかぶりついているが、周囲の誰一人として注意を払っていない。そんなビリーに気付くことができるのは、付き合いの長さと濃さのせいだろう。遠くからそれを眺めて苦笑し、ノブツナはビリーに近づく。
「おまたせー」
 もごもご、と返事が返ってくる。多分、おつかれ、と言っているのだろう。口の中のものを飲み下して、ビリーは唇を舐めた。
「思ったより早かった」
「俺が? それとも狩りが終わるのが?」
「両方」
 答えて、また肉にかぶりつく。その拍子にふわんといい匂いが漂ってきて、思わずノブツナは胃のあたりを撫でた。半日、のんびりとではあるが歩いてきたのだ。腹は減っている。
「ビリーそれ何?」
「え? ……わかんない」
 首をかしげるビリーに、わかんないのかよと反射的に突っ込む。売ってるんだから食えるものでしょ、というのがビリーの主張だった。確かにそうなのだが、いくらなんでも大雑把すぎやしないだろうか。でもおいしいよとビリーが言うので、ノブツナもそれを食うことに決めた。美味いものなら拒否する理由はない。
 ビリーが指差した露店で、これはなんの肉だと訊いてみた。ポポの肉だということが判明したので、刻んだタマネギと一緒にパンに挟んでもらうことにする。サービスでレタスも入れてくれて、ボリュームたっぷりのサンドイッチになった。金を払い、礼を言って可愛い売り子から受け取る。
 さっそくかぶりつくと、やや固めのパンとやわらかな肉、それに新鮮なタマネギとレタスが絶妙な食感だ。肉にはおそらくスパイスを振ってあるのだろう、ややスパイシーな味がする。それがまた美味かった。
「うめぇ」
 呟いた声が聞こえたのだろう、露天の売り子がにっこりと笑ってこちらを見た。そうです、うちのは美味しいんですよ! そんな視線だ。彼女はちょうどサクラと同い年くらいだろうか。確かにこれは美味いと頷いてみせて、ふとノブツナは笑みを漏らす。それに目ざとく気付いたビリーは言った。
「なに? 急に」
 またエロ綱発動? と続けたビリーに、ノブツナは手を振って否定する。
「いやいや……実はポッケを出てくる時にサクラに会ってなー、デートかって訊かれたもんだからついついそうだって返事しちまったんだが、そんときのサクラの顔が面白かったなーと」
 多分、デートかと訊いたのは冗談のつもりだったのだろう。そんなことはノブツナにだって解っていた。けれどもサクラは狩りに行くという格好ではなかったし、単なる買い物だと言ってついてこられても面倒だと思ったのだ(サクラは可愛い女の子で、可愛い女の子は大好きなのだが、いかんせん女の買い物というのは長い)。ついでにちょっとした見栄もあって、ついついデートだということにしてしまったのだ。今考えても、あれは名演技だったと思う。サクラも完全に騙されていたようだ。
 だがビリーはそのあたりには触れず、わずかに首をかしげた。
「これってデートなの? 手でもつなぐ?」
「おい勘弁してくれよー、野郎とお手手つないでとかぞっとするわー」
 想像して、思わず笑う。いい大人の男がふたり、手をつないで歩いていたら相当に目立つだろう。考えながら、手にしたサンドイッチをまた一口。ビリーが応じたのは、ちょうどそのタイミングだ。
「大丈夫大丈夫、介護だと思えば」
 その言葉に、ノブツナは思わず口に含んだものを噴き出すところだった。驚異的な反射神経でそれを抑え、無理やり口の中のものを飲み下す。が、少し喉に詰まって咳き込んでしまった。そんなノブツナの背を、ビリーはわしわしとさすってくれる。ついでのようにそっと手を取って引かれた。いつのまにか、ビリーは自分の持っていた肉を食い終わってしまったらしい。
「さー、ノブツナおじいちゃん、こっちですよー」
「おいこら、やめろ」
 咳き込んだせいで涙目になりながら、思わず笑う。背を丸めているノブツナをそっと誘導してくれるビリーは、本当に老人を相手にしているようだった。これもビリーの戯れだろう。本気で抵抗するのも馬鹿馬鹿しく、ノブツナは手を振りほどくことはしなかった。
「俺はまだ若いっつーの、てかビリー同い年でしょー」
「おっと、ノブツナおじいちゃん、あそこに酒屋がありますよー」
「無視かよ、おい」
 ようやく呼吸が落ち着いてきた。笑いながら、手にしたサンドイッチを口に詰め込む。
 楽しいお買い物の始まりだった。


     ***


「いやぁ、買った買った」
 ほくほくしながら、ぶら下げた袋を揺らす。麻の布袋には、今日購入した小皿と、味見してみて美味かった酒が何本か、それにガウシカの肉の燻製が入っている。燻製は少し味が濃く、歯ごたえがあって、つまみにちょうどいいと買い求めたものだ。
 隣を歩くビリーは大きな鍋を抱えている。その中には、やはり街で買ったものが入っている。主にタロスとグッドマンへのおみやげだということで、露店で買い求めた菓子などが多い。
「楽しかった」
 てくてく歩きながら、ビリーは言った。ポッケ村はもうすぐそこだ。ネコタクに乗って戻ってきたのだが、村の手前で下ろしてもらったので、ふたりは肩を並べて歩いている。結構急な上り坂ではあるが、ハンターにとっては全く苦になる距離ではない。
「たまにはいいな、こうして買い物すんのも」
 ノブツナの言葉に、ビリーが頷く。普段は狩りに明け暮れているので、ああいった賑わいの中に出向くことはほとんどない。だが店先を冷やかして回るのは心が躍るものだし、おいしいものを買い食いするのも楽しかった。今日はいい日だ。
「……あれ?」
 あれって、と、ビリーがふいに視線を上げる。つられてノブツナも視線を上げると、ポッケ村の入り口に見知った姿が数人、立っているようだった。
「……何やってんだあいつら」
 近づくにつれて、姿がはっきりと見えてくる。一番前に立っているのがファルト、その後ろにはアッシュ、スカイ、サクラの姿も見えるようだった。なんだかそわそわしているようだ。一体あんなところで何をしているのかと、ノブツナとビリーは揃って首をかしげる。そうこうしている間に、ふたりはようやく村の入り口へとたどり着いた。
「おい彼女できたんだってノブツナさん!?」
 村の入り口で待っていたファルトにいきなりそう言われて、ノブツナは目を見開いた。口をついて出てきたのは、ごくごく平凡な疑問の声だ。
「……はぁ?」
 それを、彼は誤魔化そうとしていると捉えたらしい。更に言い募る。
「だって今日デートだったんだろ!? どんな子だよー紹介しろよ!」
 思わぬ言葉に、ノブツナはぱちぱちと目を瞬く。
「紹介って……今日の相手をか?」
「他に誰がいるんだよ!?」
 ふと見ると、ファルトだけではない、アッシュも、スカイも、そして彼らの後ろに隠れているサクラも、皆がこちらに興味津々の視線を注いでいる。
(ああ……なるほど、そういうことか)
 内心で呟いて、横にいたビリーとちらりと視線を交わす。ビリーも事態を把握したらしく、その金色の瞳には、わずかに面白がるような光が浮かんでいた。
 多分、サクラが喋ったのだろう。ノブツナはデートらしいと聞いて、たまたま村に残っていたアッシュとファルトとスカイが盛り上がったのは想像に難くない。揃って女好きの連中だ。それならば、期待に応えないわけにはいくまい。デートの相手について知りたいというのだから、教えてやればいいことだ。ただほんのちょっと、相手は女じゃないというところと、相手はビリーだというところを伏せるだけだ。ノブツナはもったいぶって、ちょっと考えるふりをしてみせた。
「そうだなあ…………まあ、そうだな、美人だよな」
 嘘ではない。ビリーは充分に美形の部類に入るだろう。
「美人!」
 どんな想像をしたのか、アッシュが身を乗り出す。更にノブツナは続けた。
「金髪で、髪も長くてサラサラでなー、手触りがいいんだよな」
 これも嘘ではない。ビリーの長く伸ばしているわりに痛みのない髪は、女性陣がよく羨ましがっている。
「髪を触るような関係だと……ッ!?」
 なにやら衝撃を受けたような顔で、ファルトがのけぞった。ノブツナはまだ続ける。
「細身で、すらっと背も高いし」
 これまた嘘ではない。ビリーは平均よりも背は高いし、ハンターとしては細身なほうだ。
「スレンダー美人……!」
 サクラがそっと自分の腰周りを確かめるのを、ノブツナは見ていた。サクラも別に太っているわけではないのに、と思いながら、更に続ける。
「ただ、おっぱいはあんま大きくないかなー……でもまぁ、可愛い奴だよ」
 おっぱいに関しては掛け値なしに本当の事だ(当たり前だが)。それに、基本的にクールなビリーが、たまにふふっと笑ったときの顔は可愛いと言えなくもないはずだ。というか一部で大評判だと聞いたことがある。どこのことかは知らないが。
「金髪美人で可愛いだと……っ!?」
 心底羨ましいといった顔で、スカイが思いっきり顔をしかめる。ぎりぎりと歯をむきだしている彼を一瞥して、改めてにやりと笑う。
「羨ましいだろうそうだろう」
 言うだけ言って、ノブツナは彼らの間をすり抜けた。ノブツナが喋っている間は黙っていたビリーが、あきれたように隣に並ぶ。
「あのままにしとくの? あれ」
 誤解しきっているのは、誰の目にも明らかだ。ノブツナは頷いた。
「面白いからな。まぁいずれはネタバレしなきゃならんが……」
 とりあえず暫くは放っておいてもいいんじゃないか、と言うノブツナに、ビリーはかすかに笑う。なんだかんだ言って、ビリーも楽しいことは大好きなのだ。
「……悪い大人だね」
「否定はできねぇなぁ」
 共犯者の笑みを浮かべて、ふたりはそれぞれの家に戻った。
 ノブツナの戯れに引っかかった彼らの勘違いは暫く続き、更に狩りから戻ってきた連中の耳にも入り、最終的に大騒ぎに発展しかかり、ノブツナが必死でそれを沈静化させるのは、また別の話だ。




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