ふと、女王が首をもたげる。その視線がじっと森の奥を見据えたので、ノブツナとビリーは顔を見合わせた。リオレイアに限らず、モンスターは感覚が鋭い。自分たちには判らないものも感じ取ることができる。何かいるのかと目をこらしてみても、二人には何も見えなかった。だが、リオレイアは動かない。ぐるる、と唸ったリオレイアに応じるように、人影が現れる。
「……あら、」
 草木が生い茂るなかに音もなく現れたのは、黒い軍服のような衣装をまとった男女の2人組だった。女のほうが、面白そうに目を見開く。男のほうは、片眉をわずかに跳ね上げただけだ。
「どうしてハンターさんがこんなところにいるの?」
 奇妙に不揃いな長さの黒髪をさらりと揺らして、女は言った。どう見てもこんな場所には似つかわしくないかっちりした服装で、ひどく浮いている。そんな服装でも生き延びられるという自信の表れか、それとも体裁を気にする単なる阿呆か。
 普通ならば迷わず後者と断定するところだが、ノブツナたちは彼らの服に見覚えがあった。それを模した装備がつくられることもある、しかし本物にはまずお目にかかることはない衣装――彼らはギルドナイトだ。
 ギルドナイトについて、知っていることは多くはない。ギルドの密命を受けて動くこと、表立って行動することはあまりないこと、そしてギルドに所属するハンターの中で唯一、ナイトと称されるものだけが人を殺す許可を得ていること。実際に、ナイトに殺されたハンターの噂は多い。だからこそ、ギルドナイトは忌むべき対象として、ハンターの間では認知されている。ノブツナにそんな偏見はないが、それでも諸手を挙げて歓迎したい存在でないことは確かだった。だが、場所が場所だ。吉と出るか、凶と出るか。
「……こんなところって、俺たちはここがどこかもわかんねえよ」
 どこか捨て鉢な気持ちでノブツナが吐き捨てると、女は切れ長の目を細めて笑った。
「迷子なのね。……名前のある森ではないわ。本来、ハンターは立ち入り禁止なんだけど……もしかして、河に流されてきたのかしら」
「……どうして判る」
「よくあることだから」
 あっさりと言い、ついで「生きてることはあんまりないけど」と付け加える。なんでもないような口調で言われたそれに、ノブツナの背筋が粟立つ。やはり、死んでいてもおかしくはなかったのだ。
 ぐるる、ともういちどリオレイアが唸る。急に興味をなくしたように、彼女はそのまま首をまるめ、目を閉じてしまった。その様子をじっと観察し、女は呟く。
「もうすぐかしらね」
「……なんのことだ?」
 ノブツナの言葉に、女はぱちりと瞬いた。
「もうすぐ彼女は死ぬだろうってことよ。わたしたちはギルドナイトで、モンスターの生態調査を行っているの」
「ドミニク」
 それまで一言も発しなかった金髪の男が、咎めるように名を呼んだ。ドミニクとは、女性にしては珍しい名前だなとノブツナは冷静に考える。無表情の男に対して、女は屈託がない。
「いいじゃないの。迷子は保護しないとね……そう、わたしがドミニク。こっちはルチアーノ。彼女が息をひきとるのを見届けたら、あなたたちを近くの拠点まで送るわ。ついでにいろいろと、訊きたいこともあるし」
「訊きたいことがあるなら、今訊けばいいだろ」
 横目でビリーを見ながら、ノブツナは言ってみた。興味なさげにリオレイアにもたれているが、この会話はビリーも注意深く聞いているはずだった。
「疲れているようだから、後でもよかったんだけど。どうしてそんなふうにリオレイアに守られているのか。あるいはどうやって手懐けたのか? わたしの知る限りでは、そんなふうに竜に守られた人間は存在しないわ」
 リオレイアに守られているというのは言いえて妙だったが、そういう体勢であることは確かだ。貴重なサンプルだわね、と言われ、ノブツナは盛大に顔をしかめた。ノブツナたちをサンプル扱いして、ドミニクは平然としている。適当な大きさの石に、コートの裾をさばいて優雅に腰掛け、脚を組んで続けた。
「そう考える研究者もいる、ということよ。そもそもここに生きてたどり着いた時点で普通じゃない。くれぐれも、他言はしない方が良いわよ」
 親切めかしているが、眼は笑っていない。おそらくこれは口止めなのだろうと、ノブツナは察した。彼女たちはギルドナイトだ。噂が広まりでもしたら、ノブツナたちを殺しにくるかもしれない。ドミニクの背後に立ったまま控えるルチアーノを眺めて、ノブツナは思った。不気味だ。白旗をあげることにする。
「……そうするよ。そもそも、喋っても信じてくれないだろうけどな。でも、猟団のやつらに話すくらいは許してくれないか」
 目の前で落ちちまったからな、という言葉に、ドミニクは笑う。
「その人たちも口を閉ざしていてくれるなら、構わないでしょう。でもその人たちは、今頃あなたたちを捜しているのでは?」
「あー……多分な」
 あえて考えないようにしていたが、きっとアッシュとセブンは自分達を捜しているだろう。おそらくギルドを通して、仲間達にも連絡を取っている。だがノブツナたちにできることはない。連絡のしようがないし、そもそもここがどこかも解らないのだ。そこまで考えて、目の前のふたりに訊けば良いのだと気づく。
「なあ、ここはどこなんだ? 俺達は雪山から落ちて、どこへ流されたんだ」
 ドミニクは面白そうに笑う。よく笑う女だ。だが、どこか胡散臭い笑みでもある。
「あそこから落ちて生きてるなんて、強運ねえ。ここはそう、雪山のベースキャンプからだいたい10キロくらいかしら。河が曲がっているせいか、あなたたちのように流された者がたどりつく場所でもあり、モンスターが死に場所を求めてやってくる場所でもある。だから地元の人間は墓場と呼んでいるらしいわね」
「モンスターの……死に場所?」
「寿命を迎えたものや、致命的な傷を負ったものが、静かに眠る場所を求めてここへ来る。ギルドがここを立入禁止に指定している理由がそれよ。ここに集落はないし、人もいない。そんなところで死にかけた竜を狩ったところで意味はないってわけ」
 おそらくは、それだけが理由ではないだろう。ドミニクはそれに言及しなかったし、ノブツナも訊かなかった。不意に、それまで黙っていたビリーが静かな声を発する。
「生態調査って言ったね。……さっきから喋ってるだけみたいだけど、具体的には何をするんだ」
 ドミニクはおどけて両手を広げてみせた。にっこりと、唇の端をつりあげる。
「サボってると思われたなら心外だわ。わたしたちは彼女が死ぬまで待って、その中身を調べるだけよ。若い竜とどう違うのか、そして通常種・亜種とはどう違うのかをね」
 希少種が老いて死ぬところには、あまり遭遇しないから、と彼女は言った。そうして調査を行い、判明したことはギルドに報告が上がる。そしてギルドが有用だと判断したら、その情報は前線で戦うハンターたちにも周知されるのだろう。だが、それにしても。
「歳やら通常種との違いなんて、わかるもんなのか」
 実際に竜と対峙するハンターにとっては、通常種と亜種、希少種の差はあまりない。外見は似ているし、行動パターンも似ている。年齢に関しては気にすることすらない。単に、よく遭遇するか、そうでないかの差だけだ。ノブツナの素朴な疑問に、ドミニクは組んでいた脚を組み替えて答えた。
「モンスターの行動パターンの違いには、必ず理由がある。それを探るのがわたしたちの仕事。……あなたがたが生け捕った竜を、ギルドがどうしているか考えたことがある? 闘技場に送られたり、解体されて売られたり、中には生きたまま解剖されて、研究される固体もあるのよ」
 確かに、狩りにおいては、モンスターを倒さずに捕獲してギルドに引き渡すことがある。だが、その後のことについては考えたこともなかった。絶句するノブツナに、彼女はたたみかける。
「残酷だと思う気持ちもわかる。でもそうしないと、正確な情報は得られない。あなたたちが恩恵を受けているギルドからの情報はこうして収集しているのよ。ただの解毒薬だって、完成するまでには実験を繰り返して随分な時間がかかった。無数の犠牲の上に今の狩りが成り立っているということを忘れないで」
「……それなら、このリオレイアも生きたまま解剖しないと、意味がないんじゃないの」
 ビリーの指摘は、残酷なようだが真実だ。同じ状態で比較しないと意味がないのは、誰にでもわかる。
「もちろんそうね。でも私はそうしたくないのよ。これはわたしのわがまま」
 長く生きたものには敬意を表したいと思っているの、というドミニクに、ノブツナとビリーは顔を見合わせる。
 彼女の言葉に、嘘の響きはない。だが、ギルドや王立書士隊の人間は、そう考える人間ばかりではない。そう思い知らされたような気がしたのだ。


     ***


 森はやはり深く、予想以上に霧が濃かった。それに、あちこちに大きな穴が空いている。ずいぶん昔に溶岩が冷えて固まり、その上に森ができたらしかった。溶岩が磁力を持っているらしく、方位磁石が役に立たない。あまり深くまで踏み込んでしまうと、こちらが遭難する恐れがある。河沿いを大幅に離れるわけにはいかないようだった。
「こりゃあ、大変だぞ」
 ジャックがぼやく。何も知らされないまま夜明け前に叩き起こされたジャックとファルトは、それでも事情を理解すると素早かった。ハンターの身支度は迅速だ。あちこちに移動して狩りをしているうちに、自然と身につく。東の空がうっすらと明るくなる頃には、5人は装備を整えて河を下った。森に入ってしまえば、気球に発見される恐れはほとんどなくなる。無事に森に入った5人だったが、しかし問題はそこからだ。
「ひとまず、広がって歩こう。お互いの姿が見える程度に離れて、河に沿って一列に進む。一番河に近い人は、川岸に何かの痕跡があるかもしれない。それも注意して見てて。森側の人は、何かが通った跡とか、気になるものがあったら声を上げて」
 自分の柄じゃない、と思いながらも、リクは指示を出す。皆が頷いて距離を取るのを見て、ため息をついた。こんな役割は、本来はノブツナの仕事なのだ。それぞれに優秀なハンターだが個性の強すぎる、この猟団をまとめ上げられるのは、彼しかいない。もしも彼がいなくなれば、この猟団は自然崩壊するだろう。
(生きててくれよ、ふたりとも)
 無事でいてくれ、とは思わない。あの高さから落ちて、何事もないはずがないからだ。それでも、生きてさえいればなんとかなる。そう信じるしかなかった。
「よし、いくぞ」
 よく通る声で、アッシュが号令をかける。足を踏み出せば、石が擦れる音が響いた。生き物の痕跡を探し、周囲に視線を走らせる。
 全員が無言で、同じように進む。見つかるあてのない探索は、どこか重い空気に包まれていた。


     ***


 沈黙のなか、座っていたノブツナは、背中のリオレイアに異変を感じた。はっと顔を上げると、隣でビリーも同じように身じろいでいる。ゆっくりと、だが正確に打っていた脈拍が、少し乱れたように感じたのだ。女王の顔を見るが、その表情に変化はない。
(……当たり前か)
 元々、竜は人間ほどに表情筋が発達していない。竜に表情があると感じるのは、人間の錯覚だ。これも、ギルドからもたらされた情報だ。いまも無言で見守っているドミニクのようなギルドナイトが、調査した結果なのだろう。
 だが、脈拍は確かに乱れていた。呼吸で上下する腹も、不規則になっている。ビリーが、そっと腹を撫でていた。女王はまるで猫のように、ごろごろと喉を鳴らす。猫のそれと比べれば格段に低い音ではあるが、ノブツナは竜が喉を鳴らすところなど初めて見た。唖然としていると、女王が不意に少しだけ身じろいだ。羽がぱさりと動く。その途端、響いていたごろごろという音もぱったりと途絶える。慌ててリオレイアの腹に耳を寄せてみれば、ついさっきまで脈打っていた音が消えていた。
「……死んだ、のか」
 あまりに、あっけない。ノブツナが感じたことはそれだった。竜の死に立ち会うときは、常に自分が手を下す側だった。全力をもって戦い、全霊をこめて攻撃を叩き込み、力でねじ伏せる。そうして数え切れないほどの竜を殺してきたが、そのときとは全く違う感慨がノブツナの中に生まれていた。喪失感、という言葉が最も近いだろうか。呆然としてビリーを見ると、彼はまったくいつもの無表情で、リオレイアの腹を撫でていた。そこは、まだ暖かいはずだ。失われていく熱を拾おうとしているように、ノブツナには見えた。
 ざ、と音がした。座っていたドミニクが立ち上がったのだと、振り向かなくても判る。ノブツナは力なく覆いかぶさるリオレイアの羽を押しのけて、ゆっくりと立ち上がった。隣でビリーが立ち上がるのに手を貸す。この場所を明け渡さなければならない。
「……俺たちが、見ててもいいのか?」
 近づいてくるドミニクに訊く。彼女は何の感慨もなさそうに頷いた。その手には見たことのない形の大ぶりのナイフを手にしている。剥ぎ取りに使用するナイフとは、また違う形状だ。
「見たいならどうぞ。あまり気持ちの良いものじゃないでしょうけど」
 手にしたナイフをくるりと回して、彼女はリオレイアの前に立つ。逆手に持ったナイフを胸の前に掲げて、しばし黙祷する。その後ろでは、ルチアーノが同じように黙祷を捧げていた。どうやらこれが、彼らなりの死者への礼儀らしい。ノブツナはビリーとともにリオレイアから離れ、少し離れた木の根元に座り込んだ。木の幹に背を預け、息をつく。
「大丈夫?」
 ビリーが声をかけてくるのに、曖昧に頷く。身体の痛みは、だいぶましになっている。だが、リオレイアの懐にいたことで、精神的に疲労していたらしい。気付かぬうちに緊張していたのだろう。ひどく疲れていた。ビリーも同じ状態だったはずだが、ビリーは一見したところ平気そうだ。
「……ちょっと、疲れたかな。ビリーはどうだ?」
 そういえば、彼は熱を出していたはずだ。額に触れてみると、すっかり熱は下がっているようだった。リオレイアに暖められたのが、良かったのだろうか。
「走ったりしなければ、たぶん大丈夫……だと思う」
 あばらが折れているのだから、痛みはまだあるだろう。だが、ビリーはそれを感じさせない。もしかしたら、少し痛みに慣れたのかもしれなかった。
 それきり沈黙して、ふたりはなんとなくギルドナイトの後姿を見つめる。いまさらながら、二人が腰に携えている武器が視界に映った。ドミニクが弓、ルチアーノが双剣だ。だが、どちらも見たことがない。仲間内にどちらの使い手もいるというのに、見たことがないというのは妙な話だったが、おそらくはギルドが秘密裏に開発したものなのだろう。まだ世に出していないのか、あるいは最初から出す気がないのかはわからないが。
 ナイトのふたりは慣れた手つきでリオレイアの解体にかかっている。思わず、ノブツナはその手際に見とれた。解体、という言葉がまさにふさわしいほど、無駄のない動きだった。血や組織を空き瓶にとり、所見を細かく書き込む。鱗や翼膜も採集しているようだった。ぽつり、と頬に当たるものを感じて、ノブツナは空を見上げる。茂る葉の間から、澱んだ空が見える。いつのまにか、霧雨が降っていた。ノブツナとビリーのいるところはあまり濡れないが、時おり葉にたまった冷たい雫が落ちてくる。そんな中でも、ナイトふたりは忙しく動き回っている。ひどく濡れているが、意に介していないようだった。ぼんやりとそれを眺めている間に、仕事は終わったらしい。きちんと最後にも黙祷を捧げて、ふたりはこちらへ近づいてきた。
「……終わったのか」
「ええ」
 つんと鼻をつくのは、竜の血の匂いだ。驚いたことに、ナイトのふたりはあまり血を浴びていない。さすがに手は血で汚れているが、それも雨ですぐに洗い流されてしまうだろう。ドミニクが、何かを地面に置いた。無造作に置かれたそれを見て、ノブツナとビリーは目を見開く。
「……紅玉」
 滅多に目にすることのない、それは雌火竜の紅玉と呼ばれるものだった。まるで炎を閉じ込めたような鮮やかな紅色が目を惹く、宝石よりも美しいと評判の石だ。しかも、今までに見たことがないほど大きい。彼女は腰に携えた矢をひとつ抜き取り、ポーチから取り出した何かをそこにくくりつけながら言う。
「この石はね、年老いた竜の体内に精製されるもの。若い竜を倒しても、この石は出てこないのよ」
 ばちん、と弓を展開し、細工した矢をつがえてぎりぎりと引き絞る。彼女が狙っているのは、ほぼ真上だ。軽い風切り音をたてて上昇した矢は、かなりの高さで閃光を放って消えた。薄暗いなかで光から目をかばいながら、閃光玉を細工したのだとようやく気付く。
「……何をした?」
「気球に合図を送ったのよ。サンプルの採取が終わったから、一足先にサンプルだけ研究所に持っていって貰うの」
 弓をたたみ、再び紅玉を拾い上げる。彼女の手のひらに余るほど大きなそれに、ノブツナは思わず問うた。
「それも、サンプルか?」
「これは違うわ。これは――」
「ドミニク」
 唐突に、ルチアーノが口を挟む。それまでも、ほとんど表情に変化のなかった彼の顔が、わずかにこわばっているようだった。振り向いたドミニクの声が、その顔を見て緊張を帯びる。
「どうしたの」
「何かがいる」
 大粒の雨が落ちてくる空を見上げ、ルチアーノは視線を鋭くする。ドミニクが息をのんだ。同じように空を振り仰いで、じっと気配を探る。
 どうした、と訊ねようとして、不意に吹き荒れた風に言葉がかき消された。ぞくり、と鳥肌が立つ。まるで嵐のように、風が強くなっていた。雨も勢いを増している。急な天候の変化、そして遠くからでもわかる、圧倒的な気配。ノブツナたちはそれを知っていた。
「クシャルダオラ……!」
 ビリーの声も、緊張をはらんでいる。雪山で戦った相手だ。おそらくは、雪山から移動してきたのだろう。ノブツナとビリーという戦力を欠いたアッシュとセブンが、雪山から撃退したに違いない。今の閃光玉で、何かがいることに気付いたのだ。クシャルダオラ自身にとって目障りな、何か。彼らの索敵能力は高い。おそらく、数分もしないうちに見つかるだろう。そして見つけたハンターに対して、彼らは容赦しない。
 ざわり、と森が揺れる。そうとしか形容できないほどの強烈な風だった。古龍の気配を濃厚に感じて、ノブツナは反射的に自分の太刀に手をかけていた。リオレイアに近づく前に手放したそれは、しっくりと手に馴染む。
「あなたたち、動ける?」
 戦えるかとは、彼女は訊かなかった。動けさえすれば、行動はこちらの意志に委ねるつもりなのだろう。わずかに痛みの残る身体を叱咤して、ノブツナは立ち上がった。
「ビリーはあばらが折れてる。歩くくらいなら大丈夫なはずだ。俺は、戦える」
「わかったわ。ルチアーノ、彼を安全な場所へ。私たちは少し移動するわよ」
 クシャルダオラの注意を惹きつつ、戦いやすい場所へ誘導しようというのだろう。ノブツナは頷いた。コートの裾を翻し、彼女は走り出す。ビリーはルチアーノの肩を借りて、移動するところだった。そちらに一瞬だけ視線を向けてから、ノブツナも後を追う。走りながら、ドミニクは先ほどと同じように、閃光玉に細工をしていた。そうして走りながら、空へと放つ。視界を白く染める閃光から目をかばうと、遠くでかすかに咆哮が聞こえた。こちらに気付いたようだ。
「奴と戦ったことは?」
「ついこないだ、戦った奴だ。そっちは」
「あるわ」
 短く答えて、彼女は思い出したようにこちらを見る。
「あなた、名前は?」
 言われて初めて、ノブツナは自己紹介すらしていないことに気付いた。あれだけ喋っていたのに、あまりにも今更だ。
「ノブツナ。……あんた、弓使いか」
「ええ」
「角を頼む。俺は尻尾にかかる」
「了解」
 小気味よい会話を終えて、ふたりは足を止めた。そこにはちょうど大きな木がそびえており、その周囲がぽっかりと空いている。少し狭いが、それでも木の乱立するなかで戦うよりはましだろう。ドミニクは再度、閃光玉を空に放った。風がひときわ強く吹き、身体を持っていかれそうになる。足を踏みしめて、背中の太刀に手をかけた。確かめるようにその柄を握る。目を閉じて、深呼吸する。目を開いたときには、心は凪いでいた。上空に、古龍の姿が現れる。身体のそこかしこに傷が見受けられるのは、アッシュとセブンの戦いの痕だろうか。
 クシャルダオラが地面に降り立つと、ざわざわと森が揺れる。まるで歓迎されざる客を、追い返そうとでも言うように。
 咆哮が響く。それを受け流して、太刀をすらりと抜き放つ。急速に頭が冴えていくのがわかる。脳裏に浮かぶのは、ただ標的の姿だ。ほんの数日前と、同じ轍を踏む訳にはいかない。
(読め。動け。……そして油断はするな)
 ドミニクが弓を展開する。クシャルダオラが大きく息を吸い込んだ。次の瞬間、風圧のブレスがまっすぐに飛んでくる。その寸前、ふたりは左右へと跳んでいた。間をおかず、ノブツナは一気に間合いを詰めて斬りつける。風をまとう古龍はやっかいだが、それでも隙はある。その隙を見逃せば、それだけ状況は悪くなるのだ。少しずつ確実に攻めるしかない。後ろ手にポーチの中身を確認する。回復薬は豊富とは言えない。
(無理はできないか)
 ドミニクの矢が、クシャルダオラの顔を掠めた。そちらに気をとられ、ほんのわずか、風が消失する。その隙に鋭く踏み込んで、斬る。そして風が復活する前に離脱する。その繰り返しだ。鋼のような古龍の鱗は、切れ味の良いノブツナの武器でも僅かにしかダメージを与えられない。それでも、同じ場所ばかりを攻撃していれば、ダメージは蓄積される。
 そこに走りこんできたのはルチアーノだ。走りながら投げナイフを投擲する。勢いを緩めないまま、彼は双剣を抜き放った。通常ならば風に阻まれて届かないその両の刃は、クシャルダオラの前足を傷付ける。
(毒か!)
 先刻の投げナイフのせいに違いない。認識すると同時、ノブツナは奔った。鋭く息を吐く。がむしゃらに振り回したところで、太刀が傷つくだけだ。視線を絶えず動かし、流れるような動きで刃を振るう。少しの血が飛び散る。手ごたえにまずは満足して、ノブツナは離脱した。見れば、ルチアーノも同時に離脱している。安全圏まで退避するとほぼ時を同じくして、風の層が復活した。その頭に狙いをつけながら、ドミニクがルチアーノに声を飛ばす。
「彼は?」
「近くにいるはずだ」
 連れてけと言った、とルチアーノが応じる。ようやくビリーのことかと思い至った。自分だけが安全な場所で、敵を目にすらしないなんて彼には考えられないのだろう。ビリーらしいと、思わず笑みが浮かぶ。同時に残念にも思った。彼は、間違いなく猟団で一番の腕利きだ。この場にいれば、このうえなく頼りになったに違いないのに。
 だが現実には、怪我をしている上、武器をなくした男を頼りにはできない。思考を切り替えて、ノブツナは敵に集中する。
 古龍は厄介な相手だ。長期戦になりそうだった。


     ***


 何かの気配を感じて、ファルトは顔を上げた。ずっと下ばかり向いていた首が痛む。その痛みを無視して、ファルトは耳を澄ませた。ファルトの片目は、ひどく視力が弱い。もう随分昔に怪我を負い、そのせいで視力が低下したのだ。そんな状態でもハンターを続けていられるのは、彼のその感覚の鋭さに由来する。人一倍耳が良く、気配に敏感だ。空気の流れを読み取る能力に長けている、と言い換えても良かった。その彼特有の鋭い感覚が、何かをとらえている。
「ちょっと、待ってくれ」
 突然に声を発したファルトを、全員が振り返る。だがじっと空を見上げ、微動だにしない彼を見て、文句を言うものはいない。彼が何かを探っているのを知っているのだ。全員が息をひそめ、彼の探索の邪魔にならぬよう、気を使っているのがわかる。
(……風?)
 風とは、空気のゆらぎだ。空気のゆらぎは、ささやかなものであれば、ほんのわずかで霧散してしまう。おそらく発生源は遠いのに、こんなに密度の濃い森で感知できるほどの風であれば、それはもはや嵐と呼ぶべきだった。ぽつり、と雨粒が頬を打つ。さわりと揺れる葉の群れを見つめ、ファルトは思考を走らせた。
(風……、それに雨。嵐。俺たちはそいつを知ってる)
 古龍、クシャルダオラ。風を纏い、嵐を呼ぶという生ける伝説だ。先日アッシュとセブンが撃退したという、おそらくそいつがこの先にいる。だがこちらに気付いているわけではないようだった。迂闊に前進して鉢合わせては面倒だ。回り道を提案しようかと思案を巡らせたところで、ファルトは反射的に腰の弓へと手をかけた。かすかな咆哮が聞こえたのだ。こちらに気付かれたのかと冷や汗をかくが、どうやらそういうわけではないらしい。近づいてくる気配はなく、むしろ遠ざかるような……
(何がある?)
 咄嗟に、ファルトはそちらの方向を指差した。
「木の上からあっちの様子を探れないか――クシャルダオラがいる!」
 古龍の名前に、緊張が走る。即座に反応したのはリクだった。手近な木へと手をかけ、するすると登っていく。その木のところに、全員が素早く集合した。何か解ればすぐに行動を起こすためだ。
 だが、木の上からリクの報告はない。じっと観察しているのだろう。焦れてこちらから声をかけようとしたその瞬間、鋭い声が降ってくる。
「閃光玉だ! 誰かいるぞ」
 ザッと音を立てて、リクは高い木の枝から飛び降りてきた。
「クシャルダオラはそっちへ向かった。誰かがいるのは間違いない。……あいつらだといいけど」
 全員が顔を見合わせる。ノブツナとビリーであれば、すぐにでも駆けつけるべきだ。だがこの森には、ギルドナイトが巡回しているという話だった。もしも彼らであれば、鉢合わせるわけにはいかない。こちらは不法侵入者なのだ。
 だが、仲間である可能性があり、他に手がかりがない以上は、そちらへと向かうしかない。無言のうちに頷いて、まずはリクが走り出した。次にファルトが、アッシュが、セブンが、そして最後にジャックが続く。足場の悪さをものともせず、5人は駆けた。雫がぽつりぽつりと落ちているだけだった雨は、だんだんと強さを増していく。
(頼む、……)
 ノブツナたちであってくれ、と、祈るような気持ちで、ファルトは呟いた。


     ***


 どのくらい戦っていたか、すでにノブツナには判らない。顔を流れ落ちる雨のしずくを拭い、クシャルダオラを見やる。すでに角は折れ、風を纏うことはできなくなっている。だが、周囲に吹き荒れる嵐は健在だ。風のブレスも、威力は全く落ちない。
(きついな……)
 ふ、と息を吐き出す。本調子でないのは自分が一番良くわかっている。おまけに吹き荒れる風と、容赦なく降り注ぐ雨が体力を奪ってゆく。最もまずいのは、手に痺れが出てきていることだ。ともすれば太刀がすっぽ抜けそうになる。ノブツナは口布をむしり取り、右手を柄に縛りつけた。邪道だが、すっぽ抜けてしまうよりはマシだろう。剣を教えてくれた師匠が知ったら激怒するだろうなと、内心で笑う。
 そんなことをしている間にも、クシャルダオラは暴れまわる。さすがにギルドナイトを名乗るだけのことはあり、ふたりの腕は素晴らしかった。どちらも手数が多いので、必然的に狙われることが多くなる。だが、弓を構えたドミニクはブレスを難なくかわして頭を狙い撃ち、双剣を展開したルチアーノは、バックステップしたクシャルダオラの足に斬りつける。特にルチアーノの双剣には毒が込められているらしく、クシャルダオラは思うように力を行使できないでいるようだった。苛立って咆哮をあげたその隙をついて、ノブツナは太刀を鞘走らせる。キィンと澄んだ音がして、ようやくその尻尾が切断されて地面に落ちた。びりびりと腕が痺れるが、無視して二の太刀を振るう。今度は翼膜を傷つけたらしい。憎悪の瞳がノブツナを睨むが、その頭をドミニクの矢が襲った。その隙に、ノブツナはどうにか離脱する。距離をとり、上がってしまった息を整える暇もなく、一声吼えてクシャルダオラが羽ばたいた。高い位置からの周囲を薙ぎ払うブレスに、ギルドナイトのふたりは素早く反応する。ノブツナもその場を離れようとして、不意に足元が滑った。ぬかるむ地面に足を取られる。
(まずい、)
 そう思ったときには、強烈な風圧に弾き飛ばされていた。無数に発生するカマイタチが、肌を浅く裂いていく。どうにか受身を取って起き上がると、馴染んだ匂いが鼻をついた。襲ってくるはずの痛みが、わずかに和らぐ。
「大丈夫?」
 はっとして見ると、木にもたれてビリーが立っていた。何かを投げて寄こすのを、慌てて受け取る。受け取ってから見れば、回復薬グレートが3つ。ビリーのポーチに残っていたものだろう。今はそれだけでも、ノブツナにとってはありがたい。
「粉塵は、あとひとつしかない」
 武器もなく、骨折のせいもあってこうして見ているしかないビリーは、それでも生命の粉塵を使うタイミングをはかっていたらしい。今もそれを使ってくれたようだった。そのためにわざわざ近くに待機していたのかと、今更ながらに納得する。
「充分だ。サンキュー」
 まったく、怪我をしていても頼りになる男だ。ひらりと手を振るビリーに背を向けて、ノブツナは再びクシャルダオラに接近する。ちょうど地面にふわりと着地するところだった。切断された尻尾をゆらりと振り、威嚇を繰り返す。そんなものは意に介さず、淡々と攻撃を続けているのはドミニクだ。そちらに気をとられ、わずかでも隙ができればすかさず攻撃を繰り出すのがルチアーノ。弓に双剣、どちらも最初から防御を捨てている武器だ。攻撃に特化したふたりの猛攻は、確実にクシャルダオラを疲弊させつつあった。それでも、決定打にはまだ足りない。古龍はまだ退く気配を見せていない。
(あとすこし、)
 ノブツナはぺろりと唇を舐める。おそらく、あと少しでクシャルダオラは倒れる。そうすれば、思い切り鬼人斬りを叩き込んでやれる。太刀のそれは、その長さに伴う遠心力を存分に乗せた攻撃だ。流れるような斬撃は強力だが、しかし隙も大きい。慎重に機を窺わなければならなかった。手足の痺れはひどくなっている。意識的にそれを押し殺して、ノブツナは柄を握り締めた。クシャルダオラの視線が逸れた一瞬、地面を蹴る。ひゅぅ、と鋭く息を吐き出しながら、繰り出した攻撃は前脚の爪をえぐる。悲鳴をあげて、クシャルダオラは後ろへと跳んだ。間を置かず、翼を羽ばたかせて宙へと舞う。怒りのこもった咆哮に、応えるように風が強くなった。あまりの強風に、疲労の蓄積したノブツナの足がよろける。
「……!」
 その瞬間、確かにクシャルダオラとノブツナの視線が交わった。ぞくり、と背筋があわ立つ。そんなはずはないのに、クシャルダオラが嗤ったような気がした。
(駄目だ)
 容赦のない風圧のブレスが来る。それが解っているというのに、バランスを崩した身体を持ち直すには、ノブツナの体力はあまりにも削られすぎていた。ぬかるむ地面に膝をつく。そこから立ち上がることができない。呆然とするノブツナの視界に、クシャルダオラが大きく口を開けるのが映った。
(来る……!)
 咆哮とともに、強烈な風が吐き出された。地面をわずかにえぐり、土を巻き上げながらまっすぐに向かってくるそれから、ノブツナは反射的に身を丸め、腕をかざして頭をかばった。他に、できることはなにもなかったのだ。
 だが、来るはずの衝撃が来ない。急激な気圧の変化で麻痺した鼓膜は、なかなか音を拾わない。
「……?」
 おそるおそる、まぶたを開く。最初に見えたのは、見慣れた黒い鎧だった。砂漠で生きるものの頂点に立つそのモンスターを、こよなく愛する男の背中。どうして彼がここにいるのか。ようやく、じわじわと音が戻ってくる。
「セブン……?」
「ノブちゃん生きてる!?」
 信じられない気分で呟くと、風圧を分厚い盾で撥ね退けたセブンが振り返る。ぽかんとしているノブツナの横を、走り抜けていくものがいる。
「ファルト……リク?」
 混乱するノブツナを、後ろから抱え起こした人物がいる。
「だらしねぇなノブツナ」
「……ジャック」
 呆然としているノブツナの頭をぽんと叩いて、ジャックも走っていった。そこに、ビリーと何かを話していたらしいアッシュがやってくる。
「……アッシュ」
 どうしたんだ、と呟くと、アッシュとセブンは顔を見合わせた。その顔は笑っている。
「どうもこうも、大変だったんだよー」
「指揮を取れよ。うちのリーダーはお前だろ」
 言い残して、ふたりも戦闘に加わりに行った。その背を見送っていると、ゆっくりとビリーが歩み寄ってくる。
「……びっくりした」
「……そう、だな」
 無意識に応じてビリーの顔を見上げると、珍しく微笑んでいる。
「嬉しそうだな、ビリー」
「ノブツナもね」
 言われて、初めて自分が笑っていることに気付いた。ほんの数日だ。皆と別れてポッケへ来て、崖から落ちて。すべて合わせても、ほんの数日しか経っていない。だが、もう何年も会っていなかったような気すらしていた。あまりにも、色々なことがありすぎたのだ。それに、まさか彼らがここまで来てくれるとは、露ほども思っていなかった。
 にやける顔をぱちんと叩いて、ノブツナは立ち上がった。身体が嘘のように軽い。口布で固定した柄を握りなおした。
「行ってくる」
 ビリーが頷くのを視界の端にとらえながら、ノブツナは地面を蹴る。攻撃するハンターが急に増えたことに、クシャルダオラは対応しきれないでいるようだった。だが、ギルドナイトはさすがというべきか、すでに順応している。弓使いが3人、双剣使いが2人もいる奇妙な即席パーティーだったが、なかなかのダメージ効率をたたき出しているようだ。ジャックの武器がもたらした麻痺の効果で動けないクシャルダオラを、全員がいっせいに攻撃する。その顔には無数の矢が降り注ぎ、たまらずクシャルダオラは地に伏せた。そこにノブツナが走りこむ。
「畳み掛けろ!」
『応!』
 仲間の応じる声を聞きながら、抜刀して斬りつける。ここぞとばかりに鬼人斬りを叩き込むと、ようやく脆くなった鱗が割れて落ちる。その隙間から覗いた皮膚を傷つけられて、クシャルダオラは悲鳴をあげた。アッシュの大剣が、セブンの槍が、ジャックとルチアーノの双剣が、それぞれ唸りをあげる。元々、かなり体力を削られていたのだ。クシャルダオラは一声吼えて、動かなくなる。その死を確認して、ノブツナは地面にへたり込んだ。緊張の糸が切れたのだ。
「ノブツナさん大丈夫か?」
 真っ先に駆け寄ってきたのはファルトだ。少し荒い息をなだめながら、ノブツナは笑う。ひどく懐かしいような気がする。
「……なんとかな」
 拳を掲げれば、同じように拳がぶつけられた。横からも拳が三つ飛んでくる。ジャックとセブン、それにアッシュだ。どの顔も笑っている。気がつけば、雨は止んでいた。見上げれば、葉の間から曇り空が見える。全身ずぶ濡れで気温は低いはずなのに、何故だか寒さは感じなかった。
「ひっどい顔だねノブちゃん」
 笑ってそう言うのはリクだ。ビリーに肩を貸して、ゆっくりと近寄ってくる。言われて頬を撫でれば、泥がべったりと手に張り付く。確かにこれはひどいと、笑いがこみあげてきた。
「そうだな、ひでえ顔だ」
 装備だって泥まみれだ。それでも、なんとか生きている。そのことが無性に愉快だった。


     ***


「感動の再会は終わった?」
 からかうような声がして、ノブツナは身を硬くする。皆も同じようだった。見て見ぬふりをしていたが、ここにはギルドナイトがいるのだ。クシャルダオラの死体を検分していた彼らが、隙のない足取りで近づいてくる。
「あんたたち、こいつらを助けてくれたのか」
 果敢に口を開いたのはアッシュだった。その目に敵意らしきものがちらつくことに、ノブツナは焦燥感を覚える。だが、彼女はそんなことは気にもしていないらしい。
「わたしたちは何もしていないわ。仕事の途中で偶然会っただけ。それよりも、あなたたちはここが立入禁止だと知った上でここにいるのかしら」
 その視線は鋭い。だが、それに対抗するようにして、アッシュは彼女を睨みつける。
「知ってる。でも仲間を助けるために入るのも駄目だってんじゃ、無理やり入るしかないだろ」
「そうなのか?」
 驚いて、ノブツナはドミニクを見やる。彼女は全く表情も変えない。
「いちど許可を出したら、その後も許可を出さなければならなくなる。そういうことよ」
「それにしたって!」
 声を荒げたファルトは、彼女が弓を展開したことで押し黙る。緊張が走ったなかで、彼女はノブツナとビリーを視線でなぞった。
「そちらのふたりは、事故なのだしまあいいでしょう。でもあなたたちは駄目。わたしたちはギルドナイトとして、あなたたちを排除しなくてはならない」
 その言葉に、何人かが身構える。武器に手をかける者もいた。じっとりと、重い沈黙が落ちる。
 その沈黙を破ったのも彼女だった。ふと表情をゆるめて、展開した弓をたたむ。ばちんという音が響いた。
「……本来はね。でも今回は特別に見逃すわ。クシャルダオラの討伐、手伝ってもらったし」
 ドミニクの背後で、ルチアーノが小さくため息をついた。余計なことを、と言わんばかりの雰囲気に、ノブツナは彼女を見やる。疑問は、自然に口をついて出た。
「それだけか? ……手伝いなんかなくても、あんたたちならなんとかなっただろう」
 正直、ノブツナの手すらいらなかったのだろうと思う。彼らの動きは的確で、正確だった。時間はかかっただろうが、間違いなく討伐まで持っていけたはずだ。それなのに、彼女はそれを手伝ってくれたから見逃すという。どう考えても不思議な話だった。彼らにとって、借りにはならないはずなのに。
 彼女もそれは解っていたのだろう。かるく肩をすくめて白状する。
「あなたたちが良いチームだから。……秘密を守れるなら、見逃すわ」
「秘密?」
「この森に入ることをギルドが禁じる、その理由」
 ノブツナは瞬く。彼女からはすでに理由をひとつ聞いていた。人のいないところで、死にかけた竜を狩っても意味がないというのだ。だが、それでは人命救助のための進入を拒む理由にはならない。他にかならず何か理由がある。それは当然考えられることだったが、それにしても――
「わざわざそれを俺たちに説明してくれるのか? 黙ってりゃいいだろう」
 ノブツナの言葉に、彼女ははじめて唇の端を吊り上げた。だが、その眼は笑っていない。
「この森に入ったこと、起こったこと、これらが広まると迷惑なの。だから今回あったことはどうしても沈黙していてもらわなければならない。……でも、ただ頭ごなしに命令したところで、あなたたちは納得しなければ従わない。そうでしょ?」
 気まずげに、皆が沈黙する。この森に乗り込んできたことが、既にそれを証明していた。ノブツナは猟団メンバーを見渡して、ため息をつく。全く、とんでもないことをしてくれたものだ。
「……うちの連中が、悪かった」
 頭を下げるノブツナに、仰天したのは猟団の面々だ。
「ノブツナ! それは俺たちが……」
「うるせえな。これは俺のけじめなんだよ」
 どんな理由にせよ、お前らはギルドの掟に背いたんだからな、と続けると、不満げに全員が黙り込む。どんなに理不尽なものでも、掟は掟だ。一応、猟団をまとめる立場としては、謝罪しておかなければならない。自分たちを心配して、こんなところまで無理をして駆けつけてくれたのは、もちろん嬉しい。だが、それはそれだ。
 そしてその謝罪に、ドミニクは目元をゆるめる。
「本当に、いいチームね。彼らがあなたたちを心配していたのもよくわかる」
 その言葉は、彼女なりの許しの言葉らしかった。


     ***


 ふたりのギルドナイトに先導されて、ノブツナたちは樹海の中を移動した。まだ本調子でないビリーには、リクが肩を貸している。全員が疲労しているが、それでも文句を言う者はいなかった。少し歩いて、先ほどの場所へと戻ってきたのだと気付く。
 寿命を迎えたリオレイアは、相変わらずそこにいた。まだ朽ちるには早く、その鱗はわずかに光を失っていたが、かすかな月光を反射している。竜とはやはり生きている時が最も美しい生き物なのだと、改めて認識させられた。あまりに大きいそのサイズに、皆が感嘆のため息を漏らす。そんななか、ドミニクはすたすたと歩を進め、リオレイアの身体を回り込んだ。その姿が見えなくなり、慌ててノブツナは後を追う。リオレイアの大きな顔を間近に横切り、その後ろ側が見えた瞬間、息をのむ。今までリオレイアの陰に隠れて見えなかったところには、なにかの骨が散乱していた。半分は土に埋もれ、蔦がからまり、草に隠れて見えにくくなっている。だが、その骨の太さ、大きさから考えて、相当に大きな生き物の遺体がそこにあったと考えるべきだった。よく見れば細く小さな骨も覗いているのは、別の生き物の骨も混じっているのかもしれない。
 ドミニクは、そこに膝をついて、素手でやわらかい土をかきわけている。その手元にきらりと光るものを見つけて、ノブツナは少しそちらへと近づいた。ちらりとこちらを見て、彼女はそれを投げてよこす。反射的に受け取って見れば、それは見覚えのあるものだった。
「……銀レウスの、鱗か」
「そうよ」
 その鱗は、わずかに曇っていた。だが傷はなく、少し指で擦れば輝きを取り戻す。狩りで剥ぎ取ったものとそう変わらないように見えたが、しかし身体が朽ちて骨ばかりになってしまっていることを考えると、相当に古いもののはずだった。
「ここには、彼女の愛した竜が眠っているのよ」
 彼女、というのは、リオレイアのことだろう。金色のリオレイアのつがいとなるものは、銀色のリオレウス。ドミニクの言うことが正しいとすれば、あのリオレイアは愛した男のそばを、終焉の地に選んだことになる。何を思ってビリーを抱き、ノブツナを迎え入れたのか、ノブツナはふと気になった。だが、それを訊けるような雰囲気ではない。
 再びドミニクの手元に光るものを見た気がして、ノブツナは瞬いた。彼女は丁寧に土を払い、慎重にそれを掘り出す。そっと持ち上げたそれを目にした全員が目をまるくした。炎を閉じ込めたような紅、わずかにくすんでいるが、いまだ圧倒的な輝きを持つそれは、
「火竜の紅玉……」
 火竜の装備を全身にまとうアッシュが呟く。それがどういうものなのか、一番よく知っているのは彼だ。
「……これが、理由」
 壊れ物を扱うように、それを捧げ持った彼女は言う。一瞬なんのことかと思ったが、すぐに思い当たった。ギルドがこの森を立入禁止にしている理由だ。
「……どういうことだ?」
 疑問符を浮かべるものたちに、彼女は言った。
「この森には、どういうわけか死ににくるモンスターが多いという話をしたわね。こうして死んだ竜の身体は点在しているし、地面を少し掘れば、腐りにくい鱗だの紅玉だのが手に入る……そんな話が広まってしまえば、ここは死体あさりをするハンターで溢れかえるでしょう」
 何十年、何百年も昔から、ここは無数のモンスターの亡骸が朽ちていった場所なのよ、と。その言葉に、ぎょっとしたような顔になる者もいる。こわごわと、己の足を持ち上げてみる者もいた。そんな様子も知らぬげに、彼女は続ける。
「あなたたちはそうは考えないでしょうけど、金さえ儲かれば良いというハンターは少なくはないわ……そんな連中に、ここを知られるわけにはいかないのよ」
 そんなハンターもいる、ということを、知らなかった訳ではない。だが、狩りそのものを楽しむ傾向にあるノブツナたちとは相容れない存在だったのは確かだ。彼らはハイエナのように、金の匂いを嗅ぎつける。金のためならば何でもやる。強盗を働くものさえいる。そんな連中は、確かにここを魅力的な場所だと捉えるだろう。樹海は踏み荒らされ、地面は片っ端から掘り返される。そうなってしまっては、ギルドナイトだけでは到底対処しきれない。その事態をギルドは恐れているのだと、彼女は語った。この森はギルドと王立書士隊がフィールドワークの地としている。いまだ解っていない事柄に関して調査を進める、その貴重な場を荒らされては困るのだと。まだ不思議そうな顔をしている者もいたが、既にドミニクから話を聞いていたノブツナとビリーは頷いた。そんな地道な積み重ねの上に、今の狩りがある。後で、皆にも話してやるべきだろう。
「……よくわかった。俺たちは今回のことを口外しない。こいつらは森には入らなかったし、俺とビリーはギルドナイトに助けられた。その間にはなにも特別なことはなかった」
 それでいいか、と皆に問いかければ、了解だと返事が返ってきた。そのことに満足して、ノブツナはドミニクに向き直る。彼女は一度だけまぶたを伏せた。
「……助かるわ」
 呟いて、彼女は持っていた紅玉を土の中へと戻す。そこにもうひとつ、ポーチから出した紅玉を添えた。リオレイア希少種のものだ。明らかに大きさが違うのは、死を迎えた年齢の差だろうか。火竜の魂と呼ばれることもあるそのふたつの紅に、ドミニクの手がそっと土を被せた。おそらく何年も前に死によって分かたれた二頭の竜は、ふたたび共に眠ることになる。ノブツナは故郷の習慣に習い、両の手を合わせた。せめて、心安らかに眠ることを祈る。
「……さて、樹海の外へ案内しましょうか。ルチアーノ、先導をお願い」
 膝をはたいて、ドミニクは立ち上がった。ルチアーノが頷いて、迷いもせずに歩き出す。その後ろに続いて猟団の皆が歩き出す。ノブツナも歩き出し、ふと最後尾についたドミニクへと近づく。訊きたいことがあったのを思い出したのだ。今でなければ、もう機会はないだろう。
「……あのリオレイアは、どうして俺たちを抱いていてくれたんだと思う?」
 そんなのわかるわけないでしょう、という返事を予想しながらも、ノブツナは小声で訊ねてみる。予想に反して、彼女は少し考えてから答えた。
「……夢を、見ていたのではないかしらね」
「夢?」
 不可解な顔をしたノブツナに、ドミニクは微笑む。
「死に際の女が、愛した男のそばで幸せだった頃の夢を見る。そんなにおかしいことかしら?」
 あのリオレイアは、死に直面していた。ノブツナにはそんな経験は幸いにしてない。だが最期のとき、愛した者のそばで、幸せだった頃の夢を見て、子供を抱くしぐさをするというのは、ありそうな話に思えた。
「……なるほど、な」
 彼女は、幸せな夢を見ながら逝けたのだろうか。誰にもそんなことはわからない。ノブツナは今、無償に煙草を吸いたい気分だった。


     ***


「調子はどう?」
 ポッケ村に戻り、医師に診てもらったビリーは即座にベッドに叩き込まれた。骨折に伴う血気胸で、今は安静にしていないと、治ってから再発する可能性があるのだという。実はノブツナも同じようにベッドに叩き込まれたのだが、彼は「煙草と酒のない生活なんて!」と嘆くと、気合いで退院してしまった。それを呆れ顔で見送った医師は、しかしビリーを同じようには開放してくれない。怪我の程度が違いすぎるというのだ。そんなわけでひとりぼっちで療養させられているビリーのところに、至って気楽な調子で顔を出したのはドミニクだった。ご丁寧に花束持参である。あまりにも意外な人物の登場に、ビリーはぱちりと瞬いた。
「……おかげさまで」
「それは良かった」
 無造作に花束をビリーに押し付ける。受け取った花束を、ビリーは覗き込んだ。あまり、花には詳しくない。だが小さな白い花と、小ぶりの紫の花が可愛らしいと思った。素直に礼を言って、サイドボードにそれを置く。誰かが来たら、花瓶を用意してもらわなければならない。
 今日のドミニクは、ごく普通の旅行者の格好だ。不揃いな黒髪は無造作に括り、肩口から垂らしている。そうしていると、まるきり普通の人のようだった。誰も、まさか彼女がギルドナイトだとは思わないだろう。
「見舞いに来るとは、思わなかった」
 ビリーの言葉に、彼女は笑う。
「わたしも来るつもりはなかったんだけど、ここのギルドマネージャーに用事があったのと……またあそこに入るから、ついでにと思ってね」
 言われて初めて、彼女がもうひとつ花束を持っていることに気付いた。ビリーに渡したものよりも遥かに小さいが、そちらは白一色の花束だ。赤いリボンで結んだだけの簡易なものだが、それが妙に目を惹く。ビリーの視線に気付いて、彼女はそれを掲げてみせた。
「彼女にね」
 それだけで、あのリオレイア希少種のことだと察した。幸せな夢を見て、ビリーを抱いたリオレイア。ノブツナとの話を、ビリーは背後に聞いていた。
(本当に?)
 ビリーは自問する。あのリオレイアに初めて遭遇したとき、確かに彼女と視線が合ったのだ。夢を見ていたにしては、あまりにも明瞭な意志が見て取れた。だとすれば、ドミニクの話は最初から成り立たない。説明の最中から、疑問には思っていたのだ。だが、敢えて訊かなかった。そういうことにしておきたいのが解っていたからだ。
「何か、訊きたいことがあるって顔ね」
 静かな口調で、ドミニクは言う。少し迷ったが、ビリーは素直に口に出すことにした。
「あのとき、リオレイアは夢を見ていたと言ったよね。でも、リオレイアにははっきりした意志があった」
 俺にはそう見えた、と言うと、彼女はどこか遠くを見るような眼をした。でしょうね、と呟く。
「何か知ってるんだ」
「……いろいろと、因縁があってね。……知りたいの?」
 ビリーは頷いた。あの竜のおかげで、ビリーはあのとき凍えずにすんだのだ。医師にも、あのまま身体を冷やし、肺炎でも併発していたら命も危なかったと診断されていた。彼女のおかげで命を拾ったという思いが、ビリーにはある。ドミニクはくるりと反転し、ビリーのいるベッドの端に腰掛けた。手にした花束を弄びながら、独り言のように言葉を紡ぐ。
「もう随分昔だけれど、彼女たちは密猟者に襲われたのよ。火竜の夫婦と、その子どもたち。子どもたちはまだ産まれたばかりで……そのすべてが殺され、あるいは捕らわれた。妻と子どもを守ろうとしたリオレウスは瀕死の重傷を負ってあの森に逃げ込み、息絶えた。彼女はそれきり、どんな相手ともつがいを作ろうとはしなかったわ」
 ドミニクがいつのことを回想しているのか、ビリーには解らない。だが密猟者、という言葉に眉をひそめた。ギルドに属さないもの、あるいはギルドに属していてもルールを守らないもの。あえて金銀の夫婦に挑むのであれば、おそらく相当の腕利きだったのだろう。ギルドナイトとしてそれらを追っていて現場に遭遇したのだと、なんとなく想像がつく。ごく短い付き合いだが初めて聞く、彼女の苦い口調だった。
「そして己の寿命を悟って、ようやくリオレウスの後を追ってここへ来た。愛した男のそばに身を横たえて、ふと見ると怪我をしたなにかがいる――たぶんそこで、子どもたちの姿と重なったのね。密猟者に傷つけられた己の子どもと」
「……なにか?」
 言っている意味がわからず、ビリーは呟く。その意味を正確に汲み取って、ドミニクは答えた。
「リオレイアは、視覚と聴覚が発達しているわ。それを使って狩りをする。でもあのとき、彼女は老化のせいで、目は満足に見えていなかった。足を引き摺る音とかすかな血の匂いが、それを連想させたのよ」
 確かに、リオレイアの眼は濁っていた。ビリーは目を瞬く。あのとき、ビリーは髪を金髪に戻していた。暗く濁った視界に、金色の髪だけがよく見えたのかもしれない。金色は、彼女の色だ。見えたとしても不思議ではないと、ビリーは思った。
「あの竜を、追いかけてたの」
 そんな気がしてビリーが言うと、彼女は考えるように唇を尖らせた。
「……まあ、結果的にはそうなったわね。……愛する相手と子供を失った女が思うことは、どの生き物でも同じだもの」
 ほんのわずか、語尾が揺らぐ。ビリーは瞬いた。そんな経験があるのかと訊こうとして、踏み止まった。軽々しく訊いて良い話ではない。
「……ただし、今のはわたしの予想にすぎないわ。本当のことは、彼女にしかわからない」
 勢いをつけて、ドミニクは立ち上がった。ちらりと窓の外に視線を走らせて言う。
「もう行くわ。話しすぎちゃった」
「そんなに色々教えてくれて、いいのかな」
「そうでないと、お礼が言えないから。……彼女、驚くほど穏やかな最期だったわ。あなたを抱いていたからだと思う」
 ありがとう、と微笑む彼女に、ビリーはかぶりを振った。自分は何もしていない。むしろ、礼を言わなければならないのはビリーのほうだ。あのリオレイアがいなければビリーは死んでいたかもしれないし、ドミニクやルチアーノがいなければ、おそらく自分もノブツナも五体満足では帰って来られなかった。
「俺からも、ありがとう。あそこに行ったら、俺の分も言っといて」
「わかったわ。じゃあね」
 来たときと同様、ひらりと手を振って、気楽な調子で彼女はドアの向こうへと消えた。足音も立てずに去ったらしい。ぼんやりしているビリーの耳に、かすかに耳慣れた足音が聞こえてきた。猟団の皆が今日も見舞いに来たのだろう。もしかして、ドミニクは彼らが来たことに気付いて姿を消したのかと、ふと思う。
「ビリー元気かぁ?」
 ドアを開けて、入ってきたのはノブツナだ。後ろにミスターとスカイを連れている。彼らは連絡の取れない秘境にいたとかで、つい最近ポッケ村へ到着したばかりなのだ。いきさつを聞いて驚愕し、取り乱したのだと言う。今はすっかり落ち着いて、ビリーのところへちょくちょく顔を出すようになった。
「元気だよ」
 病人に対して元気かと訊くノブツナも変だが、元気だと返事をするビリーも変だ。笑いの発作が起こっているスカイの横で笑いを噛み殺していたミスターが、ふとサイドボードに視線をやる。
「あれ? 誰か来たの?」
 ビリーは紫と白の花束に、ちらりと視線を走らせた。
「……知り合いがね」
 その答えに、ミスターは首をかしげた。ビリーの知り合いはそう多くはない。ポッケ村に見舞いに来るような知り合い、誰かいたっけ? と考え込むミスターを見て、ビリーはわずかに唇の端を上げる。ノブツナはその表情だけで、誰が来たのか悟ったらしい。
「……律儀な人だな」
「そうだね」
 ノブツナにだけは、後であの話をしよう。ビリーは内心でそう決める。
 開け放した窓から、春の風が吹く。窓には遠く、フラヒヤ山脈がそびえていた。




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