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▼ 涙色の約束




頬を叩いたような、ひどく乾いた音がテニスコートに響き渡る


「何をしているんだ!」


あまりの大きな音にコーチは俺たちの方を振り返ると、状況を察したのか、これまた大きな声を出して俺たちを咎めた。



「さなだに、ほっぺたをたたかれました。」



少しふてくされたように俺が言えば真田はムッと口を結びあからさまに嫌そうな顔をしてこちらを睨みつけてきた。そんな顔をされても、君がしたのは本当のことじゃないかと、先程までのイライラがもっと大きくなっていく。コーチは俺たちの視線に膝を曲げ、呆れたように、それでも優しく話をし始めた。




「真田君、どうして幸村君を叩いたんだい?」


「ゆきむらが...テニスなんてつまらないなどというから...」


「それはちがうよ!おれがさなだにいつもまけるくせにっていったらたたいたんだよ!」


「む、もとはといえば、おれが1ゲームかっていたのに、ゆきむらが試合をなげだしたことが原因ではないか!もしこのまま試合してたらおれがかっていたのだ!」


「っー..それはちがうね!おれはつまらなくてしゅーちゅーりょくがたりてなかっただけでおれのがつよい!」


「それはいいわけだろう!」


「いいわけじゃない!さなだなんかとテニスしても、おれはつまんないもん!!」





おれが言ってやったり、と真田の顔を見れば、真田はこれ以上ないくらい目を見開いて、それから眉を下げ下を向いた。それを見て俺は思わず心臓がキュウ、と締め付けられるような気分になった。だって俺は、素直な気持ちを述べたまでじゃないか。なのにどうして、どうしてこんなに俺が苦しくならなきゃいけないの?




「...はい、真田君と幸村君、そこまで。お互い悪いところはあるから、幸村君は途中で試合を投げ出した事にごめんなさいしなくちゃいけないね。真田君は、幸村君の頬を叩いたことにごめんなさいしようか。」


「....」


「....」


「イヤだねっ!」



あっかんべーと舌を出して、そのまま後ろに振り返ってから自分の出せる最高潮の速さでコート外に走り出す。後ろで真田の声が聞こえたけど、構うもんか。








息を切らしたどり着いた場所は少し離れた緑の沢山ある公園だった。少し打ち合ったせいか、身体が重たい。椅子に腰掛けぼんやりと先程の言い合いを思い出す。



『このまま試合してたら俺がかってたのだ』


『それはいいわけだ!』



真田の言い放った言葉が何度もなんども頭の中で繰り返される。思えば真田と出逢ってからというもの、ちゃんとした喧嘩はしたことがなかった。いつもは、言い合う事も滅多にないし、もし俺のが悪い事を言っても、真田のほうから折れてくれるのだ。だから、今日も大した事にならず真田は許してくれると思ったのに。




「あんなに、おこんなくてもいーじゃんか」



だいたい、試合を途中放棄したって死ぬわけでもないし、テニスは楽しむものだから別にいいじゃんね。あんなに大声出して、しかも俺のほっぺたまで引っ叩いて。真田は最低だ。


真田なんて....






「ひっ..ぐ..うぐ..」



目にいっぱい溜まった涙は俯いた瞬間、止まることを知らないかのようにポロポロと流れ落ちる。本当は分かってるんだ。俺が中途半端な気持ちで試合にのぞんだから、真田が怒ったこと。真田は、自分の勝手な感情で、簡単に暴力を振るうやつじゃないってこと。ほんとは、負けるのが怖くて、逃げ出してしまったこと。全部ちゃんと頭では分かってるのに、素直になれず真田を傷つけてしまった。



「ひっ、ぐ、ぅぅ、さなっだ..っ、ごめんねっ..ひっく」



ちゃんと目を見て、謝らなくてはいけないのに。こんなところで1人で泣いていても何の解決にもならないのに。何だかモヤモヤとした感情に押し潰されそうになって、とても、胸が苦しい。




「おれがわるいのにっ..真田としあいっ..っぐ、つまんないって...おれ、さいてーだっ..ひっぅ、さなだっ..」



こんなに泣いたのは、いつぶりだろう。こんな情けない姿、誰にも見せられないし、見せたくもない。ただ俺は、とにかく泣いた。カラダ中の水分が全てなくなってしまいそうなほど。


ある程度時間が経てば、呼吸は落ち着き、ようやく涙も止まったが、もうすでに太陽は影を落としていた。...帰らなくちゃいけない。そう、思っているのに、どうも体が重くて、動き出せない。



「....ゆきむら」



俯いた視界に、小さな黒い靴が目に入る。突然の頭上からの聞きなれた声に、俺はばっと顔を上げた。



「...さなだ」



「皆がしんぱいしている。もどろう」



目の前に真田がいて、心臓が飛び出そうになる程驚いた。心底俺はポカン、とした顔をしているに違いない。真田が、迎えに来てくれたってことだけで、俺の心は先ほどとは打って変わって、とっても暖かくなったのに、言わなくてはならない大切な言葉だけがどうしてもでてこない。


「...」


「...」



真田とテニスをするのは好き。さっきはごめんね。何度も頭の中では流れている言葉を、伝えるのはどうしてこうも難しいのだろう。でも、言わなくちゃー...




「っ、さな」



「ゆきむら!あんなになかせて、すまなかった。俺はもう、お前をなかせたりしない..!」




俺が勇気を振り絞って言おうとした言葉は、真田の熱い言葉によって打ち消された。

どうして、俺が泣いてたのを、君が知ってるんだ。もしかして、真田は、この1時間、ずっと何も言わずに俺が泣き止むのを待っていてくれたのだろうか。

握られた手は、俺と同じくらい、とても冷きっていて、それが俺の推測ではないことくらいすぐに分かった。

ずっと見ていたなら、途中で声くらいかけてくれたっていいのに。

....真田らしい、優しさだと思った。それから、相変わらず不器用なヤツだと、俺は笑った。



「なにを、笑っているのだ」



「ふふ、なんでもないよ。」


「....ゆきむらは、わらっているかおが一番かわいいぞ」



そう言われて仕舞えば、俺はもう笑顔にならざるを得なかった。俺のが、悪いなんて誰が見ても分かるはずなのに、真田は、自分から迎えに来て、しかも、謝ってくれた。やっぱり真田は優しくて、強くて、いつだって俺に甘いなあ、なんて。先程まで怒らせてたはずなのに、真田といるととことん甘やかされてしまう自分が嫌いではない。そんな俺も、真田大好き人間なのだ。



真田は、俺の手を引っ張り無言でテニスコートへと足を運ぶ。おれも勢いにつられて、そこからは、2人で笑いながら、手を繋いで戻った。




「ねえさなだ、.....ありがと。」



とっても小さい声で言ったから、彼の耳には届いてないかもしれない。でも、これが俺の伝えられる精一杯だから、許してほしい。


夕日が綺麗に影を伸ばすせいで、彼の顔が耳まで赤く染められていたなんて、そのときの俺は気づくよしもなかった。






....なーんて夢を見た、14歳の冬のとある日



涙色の約束




「ねえ真田、いつもありがとう」


「?」


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