外はとっくに日が出ていた。朝の清々しい空気と、隣にいる人物との関係性が重苦しくさせている空気の両方を吸い込む。嫌いなその両方、今ならそのどちらにも甘んじてもいい。あくびを漏らす御柳と駅まで歩く道中。会話はないのに嫌でもなかった。

「ごめんね」

なんとなく言いそびれたことをぽつりと溢す。私から言葉を発することも、それが謝罪であることも予想だにしなかった御柳は目尻に涙を溜めながら見下ろした。

「あんたにあのソファ小さかったでしょ」

一般男性より遥かに大柄な御柳の脚は、可哀想なほどソファからはみ出していたことを思い出す。連れ込まれたからといっても追いやったのも私だ。なんとなくそれが申し訳なく思った。つり目を丸くさせて見下ろす御柳はポカンと口を開けたまま。なにも言葉を発しないのでいたたまれなくなる。

「なんか言ってよ、調子狂うんだけど」
「……お前まじでどうしちゃったわけ」
「どうもしないってば」

結局駅に着くまでそれきり会話はなかった。私もなんだか気恥ずかしくてなにも言えずに、改札で御柳と向き合うのも照れ臭くて仕方がない。

きっともう、これきりだ。

今朝私のことを「落としたくなった」と言った御柳の言葉も、それを受け入れた私も全て一夜限りの夢だと思う。こんな出会いをしたのだ、きっと二度目はない。あんな会話に意味や理由なんて求める方がおかしいのだ。もう少しでホームに電車が来てしまう。名残惜しいとは思わない。だけど現実に帰るには、少し刺激のある夜だったように思う。

「じゃあ、行くね」

結局私の口から出たのはそれだけで、御柳もまた小さく頷くだけだった。寝ぼけ眼で行き急ぐまだまばらな人達、私達を避けるように改札へ吸い込まれていく。私もそれに乗らなければいけない。改札へ振り向いた私の腕を、御柳の大きな手が掴んだ。

「え、なに」
「別に。学校遅れんなよ」
「あんたもね」

ほら、もう終わりなんじゃん。今朝こいつが言った言葉なんて気まぐれに過ぎない。吹っ切るように改札へと急ぐ私の背中に、気だるげな言葉が飛んでくる。

「またな」

驚いて振り向くと、御柳は薄く笑って手を振っていた。だけど振り向いたときには私は改札の向こう側。いつまでも別れを惜しんでいる場合じゃない。手を振り返すと、満足気に去っていく背中を見届けて私もホームへと急いだ。


電車に揺られながら頭の中を整理していた。昨夜からあった出来事、そして自分の感情、それらを全て客観的に見ていく必要がある。さっきの私は「またな」なんて言葉をどうして信じようと思ったのか、よく考えてもみろ、連絡先どころか奴が普段なにをしてどこの学校に通っているかすらろくに知らない。そしてあいつだって私があの場から二駅先に住んでいることしか知らない。
どうしたいのか自分がわからなくなってくる。
こっくりこっくり今朝の夢の続きを見ているであろう目の前のサラリーマンのように、私だってできることなら醒めない方がましだった。最悪の出会い方をしておいて期待をさせるなんてあの男、本当にろくでもない。わかっているくせにどうして次なんか期待したんだ、私は。ろくでもないのは私の方だ。自己嫌悪を座席に沈めて電車を降りた。

家までの道中、近所の人とすれ違う度に身を縮こまらせる。みょうじさんとこの娘が高1にして朝帰りなんて噂が広まるのは親に申し訳が立たない。俯いて歩く道すがら、咲きたがっている朝顔の蕾を見つけた。

梅雨が明ける頃、きっと咲き出すその一年草。比較的咲かせやすいからと小学生の時に育てた記憶がある。

今の私もそうだ。あんな出会い方、流されやすいに決まってて、だけど夏が終わる頃にはきっと終わっている。朝顔と違うのは来年なんてきっとないこと。
こんなの、咲かない方が幾らかましだ。だけど種は蒔かれてしまった。そして水をやったのは私。もうあとには戻れない、ならば早々と枯らしてしまうほうがよい。一瞥して自宅へと急ぐ。

大丈夫。どうせお互い、本気になることはない。次が本当にあるかもわからない。

言い聞かせてそろりと玄関を開ける。途端に溜め息が溢れた理由は、自分でもよくわからなかった。
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