どこにでもある出会いだった。

どうせ一夜、よくて一月足らずの関係だと思った。それでも一夜の刺激を追い求めるのに理由はいるのだろうか。背の高い御柳芭唐の隣は居心地のよいものではないのにそんなことを思う。
声を掛けてきたのは二人。おもしろがった友人は今、年上の桜花蛮奉に夢中だ。広島訛りが新鮮で男らしい。それは彼の体格や性格もそうだった。それに比べて私の隣にいる男は随分と細身だし余裕な笑みで、そのくせろくに喋りやしない。大方、桜花が見初めた友人の近くにたまたま私しかいなかったから仕方なく、といったところだろう。すみませんね、と心の中でひっそり悪態を吐いておく。前を歩く二人はすっかり意気投合していて、所在なさげに御柳と夜の街を並んで歩いた。

ナンパというものが初めてなわけではないし、今までにも恋人と呼べる男は存在した。だけど、いやだからこそ御柳と出会ったときに本能が訴えかけてきたのだ。こいつは厄介だと。とはいえ、隣のこいつが手を出してくる様子もないので杞憂に終わるかと思ったのも束の間だった。

「このあと抜けね?」

私の方をろくに見もしないまま言ったので空耳かと思ったけれど、隣の男は確かにそう言った。こいつが言った。驚きで彼に視線を向けるも、相も変わらず気だるそうにポケットに手を突っ込んでガムを噛んだまま。私の視線に気づいているのかいないのか、それ以上なにも言ってこなかったので他意があるのかどうかも窺い知ることはできなかった。

どうせこんな出会いだ。適当に乗っておけばいいものの、なにかがいけない気がするのだ。

そのなにかはわからないけれど、なんとなく彼とこれ以上一緒にいてはいけない気がした。どうせ一夜で終わる関係なら、一夜限りに夢を見るくらいなんてことない。翌朝になれば私も彼も忘れるような、そんなあやふやな関係じゃないか。それなのにひっそり一歩だけ後ずさって彼の後頭部を眺める。さらりとした綺麗な髪、形のよい丸い頭だった。

「ねえー、後ろの二人このあとどうすんのー?そろそろ終電だけどー」

前にいた友人がふと振り返って大きな声で訊ねてくる。その辺をふらふらと歩いている酔っ払いにも負けず劣らずな浮かれっぷりを目の当たりにしてもう笑うしかない。
当たり前だけど帰る気満々である。あとは三人で仲良くやっていればいい。別れ際に「今日は楽しかったありがとう、またね」と笑って言えば後味の悪い別れをすることはないし友人にその後気まずい思いをさせずに済むだろう。そう思っていたのに。私の喉が「帰る」と音を発する前に、半歩先を歩いていた御柳に手を取られ、奴は言った。

「桜花さーん、俺こいつと抜けるんであとは二人でよろしくやっててもらっていいっすかー」

ぎょっとして、思わず隣の男を見上げる。口角の上がった口元に、あどけなさを感じる八重歯。

「ちょっと、なに言ってんの?」

雰囲気に水を差すようで悪いけれど、そう言わずにいられなかった。普通に無視されたけれど。
桜花も笑って「こっちは大丈夫じゃけえ、送ってくけえのう」と手を振った。その桜花にうっとりとしている友人も笑顔で手を振ってくる。それを確認すると、御柳は私の手を引いて歩き出した。


「ねえ、ちょっと」

180センチ超の男が普通に歩いたとして、一般的な女子の平均ほどの女では強引に引っ張っていかれているようなものである。その細い体のどこにそんな力があるのか訊ねたいくらい、大きな手に導かれるまま夜を駆け抜ける。聞こえているのかいないのか、御柳は相も変わらずなにも答えやしなかった。
街角の時計をちらと確認する。終電はとっくに行ってしまった。しがない女子高生、いくらバイトをしているからといっても自宅までタクシーなんて途方に暮れる額になること間違いない。そもそもそんな大金、今財布に入ってない。
さてどうしてくれるこの男。途端に怒りが沸いてきた。怒り任せにその手を振り払うと黒目がちな目が不機嫌そうに私を見下ろしてくる。怯むもんか。キレたいのはこっちの方だ。

「どうしてくれんのよ」
「あ?」
「終電行っちゃったじゃん」

キッと睨み付けるも、そんなことは大したことないと軽く鼻で笑われる。その態度に既に堪忍袋の緒は切れそうだ。

「私こっから家遠いんだからね」
「んなこと知るかよ、つーか帰るとかありえねえから」

あっけらかんと言ってのけた挙げ句、ガムを膨らますその余裕な態度。その風船を意の赴くままに割りたい気分になる。帰るとかありえねえと言うけれど、私から言わせれば四人ならまだしも会って間もない男と二人で仲良く始発を待つなんて考えられない。その間どうしろというのか。間がもつわけがない。
そもそもこんな時間に男女二人、この後の選択肢なんて限られてくる。それをわかっているからこそ糾弾せずにいられない。
眉を吊り上げる私とは対照的に、御柳芭唐は悠々とガムを膨らませたり萎ませたり。なにが悲しくて初対面の男と夜の街の真ん中で痴話喧嘩なんてしないといけないのか。途端に疲れが押し寄せてくる。

「あのさ、お前わかってる?」
「は?」

ぎろりと睨み付けるも、奴は薄い笑みを浮かべたまま。その余裕な態度が気に入らない。それなのに、そんな態度すら様になる見てくれのよさも気に入らない。この男の全部が全部、気に入らない。

「俺正直そこそこモテんだよ、どうでもいい女構ってられるほど暇じゃねえの」

更に嫌味と来たか。もうだめだ、こいつ救いようがない。大層な自信を振りかざす目の前の男に、私もまた嫌味ったらしく鼻で笑う。

「暇じゃないなら帰ればよくない?意味わかんないし」
「だーからー。お前ほんとめんどくせえ。聞き分けのねえ女は嫌いなんだけど」

これで完全に交渉決裂、お互いの意見がここに来て合致したのだからそれじゃあさよなら。と思っていたのに、事態は私の思いもよらない方向へ転ぶ。

「ま、気の強い女は嫌いじゃねえかな」

そう言って距離を詰めてくる御柳に、相も変わらず余裕な笑みで見下ろされる。咄嗟のことに思わず後ずさる足。威勢を張っておいてみっともないとも思うけれど、反射的なものであって照れているとかそんなんじゃない。それでも目敏くその様子を察知されて、逃がさないとばかりに大きな手が腰に回ってくる。そのまま更に詰まる距離。顎を掴まれて強制的に目を合わせられる。目線を逸らすも、おもしろいものを見つけたように御柳は笑った。

「これからよろしくな、なまえちゃん」

ああもう思った通り。本当にこいつは厄介だ。
逸る鼓動に気がつかないふりをして、夜の街の真ん中でそんなことを思った。
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