「ちょっと、待ってってば」

慌てて追い掛けるも、御柳は足を止めるどころか振り向きもしない。まさかこんな風に怒るとは思わなくて、そして放っておくこともできなかった。
御柳との関係がこのまま終わってしまうのではないかと思った。
バカな欲に身を任せてしまった自分を恨む。御柳が嫉妬なんてするはずがないことを誰よりわかっていた。今あいつが怒っているのは、目の前にいながら他の男を誉められたことでプライドを逆撫でされただけ、嫉妬とは少し違う。
軽率なことをしてしまった。幾らそこまで興味がない女とはいえ、あんな風に言われた御柳の気持ちを何一つ考えていなかった。私だって御柳の立場なら同じく嫌な気持ちになるだろう。少なくとも、自分に好意を寄せていると思っていた人間からあんなことを言われたら不愉快極まりない。妬かせるつもりが、結局未だに根に持っている私こそが嫉妬で押し潰されそうなのだと思い知る。
なんて愚かなんだろう。嫉妬からはなにも生まれないと誰かが言っていた気がするけれど本当にそうだ。身をもって知った。長い脚でさっさと歩いていく御柳の背中を追い掛ける。傍目からどう見えているかなんてもう構わなかった。惨めな女だと思われているくらい知っている。だって惨めなことに変わりない。それで間違っていない。

「ごめんって、話聞いて」

見た目より骨の太い手首を掴むとあっさり振り払われる、途方に暮れそうだ。さすがに煩わしくなったのか、不機嫌そうな瞳が振り向いた。

「しつけえんだよ、そんなに墨蓮がいいならあいつんとこ行けよ」
「だから違うんだってば」
「なにがちげえんだよ、さっき言ったのてめえだろ」

言葉は口に出してしまえば後戻りはできない。どう弁解するべきか。簡単な話だ。本当の気持ちを言ってしまえばいい。だけどその後はどうする。弁解して、自分の気持ちを吐露して、御柳は「はいそうですか」と元に戻る男なのか。それよりも面倒くさい女を断つことを選ぶ方がよっぽど自然だ。

「勘違いしてんなよ」

追い討ちをかけるように御柳が静かに紡ぐ。背筋がぞくりと粟立つほどその目は冷ややかだった。

「別にお前がいなくても俺は困ることなんざ何一つねえんだよ」

吐き捨てられた言葉で、目の前は真っ暗になった。

わかっていた。気まぐれで出会って、なんとなくでここまで来れた。そして主導権の全てはあいつが握っていて、私の意思なんていつだって関係なかった。飽きたら捨てられるだけ、面倒くさくなったらいつでもあいつは私の前からいなくなれるのだと。
どうせ一夜、よくて一月の関係なのだと最初に思った通り、きっと今が潮時だ。いつかこんな日が来ることくらい、本当はずっとわかっていた。グラスがいくら水を欲しがったって注ぐ水に限度があるように、私は今溢れてしまったのだ。それも愛なんて綺麗なものではない、ヘドロのように汚い嫉妬という感情が。
所有したいと思った。気まぐれなんて嫌で、もっとわかりやすく愛されたかった。一緒にいる時間にもっと明白な理由が欲しかった。好きだから一緒にいてくれているのだと実感したかった、ただそれだけ。そしてそれが叶わないことを知っていた。グラスは注がれるためにあるけれど、水はどこにだって行ける。御柳の気持ちが私に向いていないことくらい、本気じゃないことくらい痛いほどわかっていた。

自然消滅するよりいいのかもしれない。痛い目を見たと思えばいい。最低な男だと思った御柳より、自分の方がもっと嫌な人間なのだと思い知っただけでも一緒にいた時間に意味がなかったなんて思わない。そう思うのに。

本当に、本当にこれでいいのか自分。

そんな言葉が頭を過ったたった一瞬のこと、それでも足が動くには充分だった。



体育くらいでしか走ることはない、それなのに足はどこまでも進む。息が苦しくて汗が滲むのに、目はずっと御柳を探していた。

このままでいいはずがない。なんにも気持ちなんて伝えていないし、おまけに好き放題気持ちを弄ばれただけ、このままみすみす黙っていられるはずがない。私の意思なんかいつでも無視して、食べたかったパフェすら「パイナップルが乗っているから」という理由で食べられなかった。あいつがパイナップルを嫌いでもこっちは別に嫌いでもなんでもないっていうのに、こんなバカげた話がどこにある。
逆に冷静になってきた。なにが「嫌いな食べ物を共有させたことが嬉しい」だ、少し前の私はとんだ大バカ女だ。盲目にも程がある。最初からそうだ、顔がいいからという理由でほだされやがって朝まで一緒にいて、授業中だっていうのに自分がサボっているからって何度も連絡寄越してきて、夏祭りだって友達といたのに連れ回されて、その上オチがこれなんてふざけるのも大概にしてほしい、だけどそれもこれも全部惚れた弱味に突け込まれているからだ。最後まで振り回されっぱなしで悔しくないのか、こんなだからなめられるんじゃないのか自分。最後くらい言いたいことを言ってもバチは当たらない、当たったとしても別にいい。このまま黙ってるなんて女が廃る。

見つけた長身に衝動で突撃すると、御柳は目を丸くした。
prev next
back
- ナノ -