修学旅行に行きたい!

※ 2年の時の話

修学旅行のしおりを手になまえは目を輝かせている。行事大好きな彼女にとって、高校生活で二番目に楽しみにしていた行事なのである。ちなみに一番は毎年行われる体育祭である。伊達工業高校の修学旅行は奈良京都大阪という定番であったが、地元大好きな彼女は修学旅行くらいでしか宮城を出ることがないため、初めての関西に心が弾んでいた。

「もにたん知ってる?京都にはサムライがいるんだよー」

勿論茂庭は京都にいる侍が普段は普通の人で、イベントや特定の場所で客を沸かせる職業的なものであると知っていたのだが、しおりを食い入るように何度も読み返すなまえの夢を、修学旅行に行く前に壊すのは偲びなくて言えなかった。隣の席でこんなに楽しみにされると、茂庭も余計に楽しみに思えてくる。
ずっとそうしてしおりを見ている彼女に突如呼び出しがかかったのは昼休みのことだった。校内放送で呼び出しをかけたのはバレー部監督であり生徒指導も兼任している追分先生である。

「拓ちゃん先生だ〜何だろー?もにたん何だと思うー?」

突然の呼び出しに首を傾げるなまえだが、呼び出される理由ならその見た目だけで山程あるのだ。しかしいくら校則無視の彼女でも校内放送を使ってまで生徒指導部に呼び出されることは早々ないため、茂庭も首を傾げると、しおりを大事そうに手に持ったまま教室を出ていった。生徒指導されに行くのにそんなふざけたもの持っていくのか、と茂庭は思ったが、それだけ楽しみにしているのだろうと思うと言えなかった。

昼休み終了5分前に戻ってきた彼女は見るからに落ち込んでおり、彼女が教室に入ってくるなりクラスメート達がぎょっとした顔で迎える。そして自分の席まで戻ってくるや否や突然顔を上げ「もにたああああん!!どうしよおおおお!!」と茂庭に泣きついた。突然のことに茂庭も驚く。

「いいから落ち着けって、どうしたんだよ」

ティッシュを差し出すと長い爪で引ったくられるが、拭ったそばから目からも鼻からも液体を垂れ流す彼女の顔は見れたものじゃない。ただでさえ化粧で迫力のある顔が、涙で落ちていく化粧品が黒い液体と化す様子は狂気の沙汰と言っても過言ではない。

「怖い、怖いから!泣くなよ」
「もにたん、あたし、修学旅行、行けないのに、泣くななんてひどい……」

そこで初めて彼女の泣いている理由を知った茂庭は思わず聞き返す。え?何で?と。
聞くところによると、校内だけならまだしもその見た目で修学旅行に行かせるのは学校としても非常に問題なのではと話し合った結果、彼女の容義指導が改善されない限り行かせないという結論に至ったらしい。

「拓ちゃんにも泣きついたのに聞いてくれなかった……」

隣の席でしおりを握り締めながらわんわんと泣く彼女を見て、茂庭は「まあそりゃあそうだろ」と思う。強面で厳しいため生徒から恐れられている追分先生は、どんなに服装や生活指導で注意しても“拓ちゃん先生”と親しんでくれるなまえを生徒として何だかんだで可愛がっているのを茂庭は知っていたため、泣きつかれて心苦しかっただろうなというのも想像がつく。しかしそれとこれとは話が別なのだ。

「見た目改善したら行けるんだろ?」
「もにたんそれあたしに死ねって言ってんの?」

ギャルにとってすっぴん、黒髪は死活問題だと言わんばかりに詰め寄られ、でも今泣きすぎて大分化粧落ちてるぞ、と茂庭は突っ込みを入れたくなる。入学式の時からこの見た目を貫いてきた彼女のすっぴんというのは非常に気になるところだが、今はそんな話をしているのではない。

「修学旅行と見た目どっちが大事なんだよ」

と心を鬼にして言うとなまえは言葉を詰まらせた。修学旅行は一度きりだが、派手な格好をするのはこの先何度でもできる。彼女もそれをわかってはいたのだが、自分の好きな格好をしたいというのは女子の永遠の願いなのだ。その天秤で揺れ動いていた彼女だが、茂庭の厳しい一言に漸く目を覚ます。

「わかった……でももにたん、あたしがどんだけブスでも友達でいてね」

と、やけに重い一言を最後に彼女はそれきり大人しくなった。




次の日。

バレー部の朝練が終わり生徒指導部として校門に立つ追分先生は、とうとうなまえが学校に来なかったことを多少なりとも気にかけていた。昨日は言い過ぎたか、しかしそれではいかんのだ。学校の代表として県外に行かせるのだから、旅先で何らかの事件に巻き込まれては遅い。ただでさえコミュニケーション能力の化け物の彼女だから、何かしら問題が生じるかもしれない。追分先生もだてに二年間彼女を指導してきたわけではないので、根は非常にいい子で見た目と学力以外の問題行動は特にないというのもわかってはいるのだが、修学旅行というのは羽目を外しやすい行事であるため心を鬼にしたのだ。ライオンが我が子を谷底へ突き落とす気持ちを味わいながら、正門を閉め校内に入る。一限目は早速2年C組の物理である。


一方その頃2年C組では、教室に入ってきた知らない少女に皆動揺を隠せない。墨汁を垂らしたのかと聞きたくなるような真っ黒い腰までのストレートヘアは顔を覆い隠しており、髪の隙間から覗く肌は死人のように青白い。おいまだ朝だぞ、何のホラーだよ、と皆その知らない少女の動向を伺っていたのだが、やがて見覚えのある派手な鞄と、左右にでっかく書いた“まぢ強め、極める”上履きを目にしたとき更に驚いた。当然茂庭も、珍しく学校に来るのが遅いため心配していた隣の席の問題児を思い浮かべる。亡霊の様に足取りが遅い彼女はやがて茂庭の席の隣に腰を落ち着かせ、やはり派手な携帯を取り出す。

「……みょうじ?」

恐る恐る話しかけるとゆっくりとこちらを向く亡霊もといみょうじなまえは、力なく「もにたんおはよ」と挨拶してくる。ちらりとこちらを向いた彼女の目力がいつもの半分以下しかなく、しっかりネイルも落とし短くしてきた爪で打ちづらそうに携帯を弄るなまえに、心から申し訳ないが笑いそうになる。昨日「どんだけブスでも友達でいてね」と言ったのはあながち大袈裟でもないらしい。ブスというよりは、自信なさげで何故か色んなことにビクビク怯えている彼女の様子は、入学時から昨日までの振る舞いを考えるとギャップがありすぎるのだ。なるほど女子というのは化けることで自信をつけているのだと茂庭は若干17歳にして悟る。

HRの際も担任が彼女の様子を気にかけていたのがわかったが、チャイムが鳴り追分先生が教室に入ってくると茂庭の隣の席を見やり「そこ、授業始めるから自分の教室に戻りなさい」と注意をされ、遂になまえが口を開いた。

「拓ちゃんひどい!!拓ちゃんがあたしに服装どうにかしてこいっつったんじゃーん!!」

と食って掛かるなまえと同じ声をした暗そうな女子に、追分先生はあんぐりと開いた口が塞がらない。

「……みょうじか?」
「あたしだってば!!拓ちゃんあたし修学旅行いくからね!?絶対行くから!!」

と突然宣言され、思わず「おお、楽しんでこい」としか言えず授業が始まる。それに満足した様子の彼女は、昨日泣きながら握り締めた修学旅行のしおりを机の隅に置き授業を聞く。クラスメートだけでなく追分先生までもが皆すっぴん黒髪の彼女の様子が気になり授業どころではなかった。


休み時間、教科書を忘れたため茂庭に借りに来た鎌先が「あれ?今日はみょうじ休みか、珍しいな」と溢す。先程の追分先生とのやり取りを聞いていたクラスメートとしては、その言葉は地雷だということを知っていたためピクリと反応したなまえに皆知らないふりを通す。

「鎌ちのバカ、あほ、筋肉」
「あ?誰だお前」
「頼む、もう教室帰ってくれ」

余計なことを言われまた彼女が泣いたら、その尻拭いが全て自分に来るのを茂庭は知っていたため、何とかその場を丸く収めようとする。

「あ!もしかしてお前、みょうじか?」
「わかってくれた〜!!鎌ちヤサオ〜」

とやけに感動し、いつもの調子を取り戻しつつあるなまえの様子に安心したのも束の間、鎌先はとんでもない地雷を踏んでいった。

「お前あれだな、まつげが本体って感じだな。別人じゃねーか」

腹を抱えて笑うのは鎌先だけで、教室中がしーんと静まり返っていることに爆笑している鎌先は気付かない。女子に、それも化粧に命をかけている奴が断腸の思いで選んだすっぴんという決断を重んじ、皆思っても言わなかったことをしゃあしゃあと抜かした鎌先に「だからお前はモテないんだよ!」と突っ込む。
恐る恐る彼女を見やると、やはり肩を小刻みに震わせて俯いている。あーあ、やっちゃったよ。と茂庭は溜め息を吐いた。

「鎌ちだって金髪のくせにー!!もうやだ〜」

と声を上げて泣くなまえに「大丈夫だって、俺はすっぴんもいいと思うよ」とフォローする茂庭。「まじで?」と確認するなまえの目が、いつもに比べてやはり迫力がないため“まつげが本体”という的確な例えを思いだし笑いを堪える。しかしそんな風に笑われることに敏感になっている彼女は茂庭の様子を察知して、次第に瞳に涙が溜まる。

「わー!!ごめん、ほんとごめんって!!」
「あたしもにたんのこと信じてたのに〜!!」

遂に顔を覆って泣き出すなまえに、茂庭はとっておきの一言を言い放つ。

「でもこれで修学旅行いけるな」

その言葉にピタリと泣き止んだなまえ。やはり彼は偉大な男である。彼女のお目付け役は彼以外に務まらないだろう。

「京都で侍見に行くんだろ?」
「うん」
「あの爪と化粧じゃいくら人慣れしてる奈良の鹿もビビって餌食いに来ないぞ」
「……鹿と写真撮る」
「だろ?USJ全部回るんだもんな」
「ミッキーいる?」
「ミッキーはいないかなあ」

ミッキーいないのかあ。と何かと勘違いしている彼女だが、茂庭が諭したことにより次第に目を輝かせる。修学旅行に行くために大好きな化粧も盛り髪もネイルも辞めたのだ。しかし修学旅行に行けるなら「俄然強気〜」である。
こうして彼女は高校生活最大のイベント、修学旅行を勝ち取ったのである。

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