免許を取りに行きましょう

高校三年生の三学期。それはこの春、卒業する者だけに与えられた三年間の労いを込めた期間のようであるがそうではない。自宅学習とは言え、この春までに成すべきことを慌ただしく終える期間である。その一つが運転免許の取得である。それはなにも強制ではないが、この期間を逃すとなかなか取得する時間を取りに行けないというのが目に見えている彼らは、通い慣れた高校から教習所へと学舎を変える。それは伊達工業高校三年生とて同じであった。
そして教習所というのは無論、他の学校からも人が集まるものである。

「ねえねえガム食べる?」

友人同士で配っていたガムをあろうことか知らない高校生にもやろうとしているなまえを見やり、反応に困っている知らない人を思い彼女のお目付け役である茂庭は慌てて止めに入る。学校を出ても世話係になっている茂庭が気の毒であるが、彼以外にはなまえを止められる人がいないため致し方ない。

「こら、知らない人に絡むな。すみません」

茂庭が彼女の代わりに頭を下げると、謝られた高校生もたじろぎながら会釈をした。制止された当の本人は当然善意から来る行動であったためぶすくれている。

「これおいしいんだよ〜もにたんいる?」
「俺はいいや」

遠足か、と突っ込みを入れたくなる茂庭である。これから免許を取得するまでの約一ヶ月間を思うと先が思いやられるが、こいつを一人教習所に放り込むのは危険すぎる。卒業は彼女を送り出すまでできそうにないと、過保護にも感じるが入校早々悟った茂庭であった。


しかし彼の心配とは裏腹に、意外にもなまえはすんなりと実車をこなしているようだ。いくら不出来な頭であっても曲がりなりにも工業生である。機械やそういうものには強いのだろう。だがしかし。

「もにたん助けて〜!!」

実車を終え次の講義まで時間が空いた茂庭の元に泣きついてきたのはなまえである。なんだあのギャル、泣きつかれているあの好青年は何者なんだと言わんばかりの好奇の視線が二人に突き刺さる。耐えきれずに「他にも人いるんだからあんま騒ぐなよ」と声を掛けるも、彼女はそれどころではない。

「実地は大丈夫だけど筆記だめだと仮免受からないって知ってた!?」

と今更なことを言われ、思わず呆れる茂庭である。

「え?知らなかったの?」
「うん!だって先生がみょうじさん運転は問題ないから大丈夫だろうねーって」

それとこれとは話が別なのだが、天狗になりかけていた鼻っ柱をへし折られどうしていいのかわからずに茂庭に泣きついたということだろう。つまり。

「俺に教えろってこと?」

と聞くと目を輝かせる彼女に深い溜め息を吐いた茂庭であった。




「これは一時停止、これは駐車禁止、でこっちが侵入禁止」

ところ変わって自習室。なかなか覚えられない道路標識を一つ一つ確認してやるも段々意識を手放しかけるなまえに「こら、お前が教えろって言ったんだろ」と現実に引き戻してやる茂庭。なかなか進まない勉強会に業を煮やしていると、思わぬ人物が登場した。

「あ!なまえちゃんだ、久しぶり〜」

と遠い目をしていた彼女に声を掛けてきた人物を茂庭も振り返る。と。

「あっ!及川!!」

相変わらず穏やかな笑みを絶やさずに手を振っている及川に思わず声を荒げる茂庭であった。自習室にいた女子から「きゃー及川さーん」なんて声が上がるので更に気持ちが沈む茂庭。どういうわけか目立つ人物に囲まれなんとも居心地の悪い思いをしている。

「あ、君は確か伊達工の主将くん?茂庭くんだっけ」

高校は違えど同じくバレー部。お互い軽く挨拶すると、及川も椅子を引っ張ってきて二人に混じった。

「徹くんだ〜。相変わらずヤサオー!!」

と及川の登場に嬉しそうななまえ。何やら親しげな二人に茂庭は首を傾げた。

「なんでお前及川と知り合いなの?」

当然バレー部でもなんでもない彼女と、見た目と態度こそはチャラいがストイックにバレーに打ち込む及川のどこに接点があるのか茂庭には皆目見当もつかないのは当たり前である。

「徹くんはあたしの恩人なんだよ〜、もにたんの次くらい」
「あ、俺茂庭くんの下なんだ」
「もにたんはあたしの世話人だからねー」

なにやら話の筋は見えないがどうにかこちら側に意識を戻した彼女に安堵し、今度は三人で始まった勉強会。こいつには甘くしてはいけないと散々思い知っている茂庭と、珍しく彼女が本来の意味で使っている通り優男である及川が優しく教えたこともあり先程よりは捗ってきたのだが、ある問題で躓くこととなる。

「ねえこれは?このかわいいの」
「は?かわいいの?」

道路標識にかわいいもくそもあるか、と不思議に思いながら彼女の指さす方を覗き込む男子二人。及川はそれを見るなり噴き出したが、茂庭はなんともいえない気持ちで突っ込んだ。

「これは動物注意。いきなり出てくるかもしれないから気をつけろってこと」
「へえ〜、かわいい〜」

しげしげと標識を眺め感嘆の声を漏らした彼女に「習っただろ……」と頭を抱える茂庭である。一方及川は標識をかわいいというその謎の感性に爆笑している。教えてもらったところでさて次の問題へ行こうとしたとき、彼女の中でまた引っ掛かることがあった。

「ねえ、動物出てきたらどうしたらいいの?」

彼女からの問い掛けに、ピタリと動きを止める二人。講義で言われたことを思い出すが、若干18にしてその答えはなかなかやるせない気持ちになるものであった。

「えっと、止まれるなら止まった方がいいと思うけど、例えば高速とかだったら急ブレーキ踏むと逆に危ないから轢くしかない……かな」

言いづらそうに口ごもる茂庭の答えにショックを受けた彼女であるが、確かその講義は彼女も聞いたはずである。

「じゃあどうすんの!?可哀想じゃん!!」
「いやそうだけどさ……」
「でもいきなり止まったり急ハンドル切ったらもしかしたらなまえちゃんが死ぬかもしれないんだよ?それにもし動物が助かったとしても対向車とか後続にぶつかったら対人事故になるかもしれないし」

とあっさり言いのけた及川。確かにそうなのだが、なんとも腑に落ちないらしい。

「いやだー!!あたしその状況無理ー!!」

自習室で項垂れる彼女だが、できることなら誰しもがその状況を避けたいのは同じである。実際にそんな場面に遭遇したらトラウマになりえるだろう。が、ここはあくまで最悪の状況も学ぶ場所である。それほど車というのは便利な反面、危険性もある乗り物であるため致し方ない。

「お前もう免許諦めたら?」

と匙を投げたくなっている茂庭が言うと「やだー、ギャル車乗るのー!!」と駄々を捏ね出す彼女である。

「うーん、じゃあさ、もしそういう場面に遇ったらお参りしてあげなよ。そうしたら動物も怒らないと思うよ」

と、優しく諭す及川の言葉になんとか納得したなまえ。茂庭も彼女の扱いには長けていると思っていたが、どうやら及川も短時間で彼女の扱い方がわかるくらいにはなまえの世話係という素質があるらしい。
そこでチャイムが鳴り、「そろそろ岩ちゃん達も教習終わるから俺行くね」と笑顔で去っていく。

「徹くんやっぱヤサオ……」

及川がいなくなった自習室でぽそりと呟いた彼女に「今度から及川に教えてもらえば?」と、匙を投げたい茂庭が及川に押し付けようとしたものの彼女はそれを一蹴した。

「やだよー、だって徹くんと仲良しだと殺されるもん」

とまたなにか訳のわからないことを言い出す彼女である。いくら女同士の嫉妬が怖いとは言え少なくともこんな見た目の奴に喧嘩を売るやつはいないと茂庭は思うのだが、あえてそこは黙っておく。

「でも及川と友達だろ?」
「そうだけどー、でも教わるのはもにたんがいい」
「なんで俺……」
「なに言ってんのー、徹くんは友達だけどもにたんとあたしは鬼ダチだからねー?」

なんだよそれ、と茂庭は思うが要するに厄介ごとに付き合わせやすいだけだろうと悟る。こうして茂庭を付き合わせた結果、彼女は無事に仮免試験に受かったのであった。

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