08

木兎さん達が帰ってから、黒尾が私と目を合わせなくなった。
確かに他校の人にまで冷やかされる場面に私も居合わせてしまったのは気まずいけど、私が何かしたわけでもないのにこんな態度を取られる筋合いはない。意識的に黒尾の機嫌を取るのは気が退けるし、どうして私がそこまでしなければいけないのかとも思うし、第一そんなことしたら私が黒尾を好きみたいじゃないか。
不満はあるけれど敢えて気にしていない素振りをして、私は目の前の仕事に打ち込む。他のクラスの女子が「黒尾くんかっこいいね」と本人に聞こえない様に雑談しているのだって、私は1ミリたりとも気にしていない。

午後になり、体育館で軽音部がライブをする時間になると混雑は緩和された。三年生にすごくかっこよくてドラムが上手な先輩がいたから女子は皆そっちに行ったのだろう。その先輩はとても人当たりの良い人だから、同性に僻まれるどころか後輩の男子にも人気がある。まばらになった席に残っている人とのんびり雑談できるほどに、人はいなくなった。

「あ、いらっしゃいませー」

友人がフロアで声を掛けたので、私も連ねるように声を出す。そして入ってきた人を見やったとき、私は明らさまに顔をしかめてしまったに違いない。
入ってきたのはつい最近別れた、あいつだった。
思ってたのと違う、という理由で私を振った、元カレ。
未練なんてこれっぽっちもないけど、気まずくて仕方ない。元カレを含めた集団を見ないように背を向けてドリンクの補充をしていると、友人がこっそり私に声を掛けた。

「なんかなまえ呼んでって言われたんだけど」

嫌々そちらを見やると、バッチリ目が合う。何なの今更、と、わざわざ元カノのメイド姿を冷やかしに来たんなら本当に悪趣味だと思いながら仕方なくそちらに向かう。

「久しぶり」

声を掛けられて、他の男子が明からさまにこちらを気にしながらも視界に入っていないような態度を取られて本当に気分が悪い。だったら一人で来ればよかったのに、そんな度胸もなく来たのだろう。こんな奴に振られたのは私だけど、別れて正解だとも思う。

「なに?」
「いや、俺休憩入ったから来たんだよ。似合ってるよ、それ」

ありがとー。棒読みで言うと苦笑される。

「なまえ休憩入った?」
「まだ。別に今日は入らなくてもいいと思ってるし」
「そっかー。時間あったら俺らの模擬店も来てよ。射的やってるからおまけするよ」

冷やかしかと思えば勧誘か。わざわざ振った元カノに。たぶんそのどちらの意味もあったのだろうけど、それなら尚更不愉快だ。答えあぐねていると、見兼ねたのか黒尾が「みょうじー、暇だから休憩がてら買い出し行くぞ」と腰のエプロンを外しながら声を掛けてきた。さっきまで黒尾にもイライラしていたのに、その絶妙なタイミングは有り難かった。

「まあ、ゆっくりしてけば」

と元カレに言うと「あの噂ってまじだったんだ」と言われる。他校の人にまで広まってるし、別に他のクラスの元カレの耳に入っていたとしても今更驚かない。

「言っとくけど、黒尾と付き合ってるとかないからね」

それだけ言い残して、教室のドアで私を待っている黒尾の元に向かった。

まだ休憩に入っていない子達の分まで、他のクラスの模擬店の食べ物を買いに黒尾と並んで歩く。生徒のほとんどが体育館に行っていて本当によかったと思う。今更噂が広まっていることに何も思わないけど、こうして並んで歩いていると一緒に文化祭を回っているように見えるだろう。ただ二人でパシられているだけなのに。
黒尾は相変わらず何も言わないし、こちらを見もしない。居心地悪く買い物をこなすと、教室に戻る途中でやっと黒尾が口を開いた。

「さっきの元カレだろ」

未だ私に視線を寄越さないまま吐き出すように言った黒尾に私は頷く。

「別れても仲いいんだな」
「別に。さっき久しぶりに顔合わせたし」
「あいつまだお前のこと好きなんじゃねえの」
「振られたの私なんだけど」
「男ってそういうもんなんだよ」

悟ったように言う黒尾に、そういえば一年の頃黒尾に彼女がいるという噂があったのを思い出した。その彼女とは二年になって別れたという噂が立ったけれど、その噂の真相はどうなのだろう。
振ったのが自分でも別れたあとも好きだというのは、その彼女のことを言っているのだろうか。
何を考えているかわからない黒尾の横顔をつい見つめてしまい、その視線に耐えかね「なんだよ」と頭を小突かれる。

「だから!耳!ずれるからやめてってば」
「大丈夫だって、カワイイカワイイ」
「棒読みほんとムカつく!」

やっと笑った黒尾に、私も安心する。黒尾とはそういう関係じゃなくても、私が気軽に話せる貴重な男子であることに変わりはないし、どんな減らず口を叩かれてもこうして他愛なく言葉を交わす黒尾との居心地はやっぱり嫌いじゃない。

「そういやお前の元カレんとこ、射的やってんだよな」

戻る手前で言われて、さっきの会話を思い出す。まさか、と思っていると黒尾が私の荷物を引ったくってそのまま1組の教室に入っていく。元カレの教室だ。黒尾に荷物を取られては私も行かないわけにいかず、仕方なく私も入ると元カレが戻ってきていた。

「あれ?黒尾と来たんだ」

何か言いたそうな顔で言われて頷くと「なんか欲しいもんある?」とおもちゃの鉄砲を手にした黒尾が割り込んできた。

「別に何でもいい」
「俺もなんか欲しいわけじゃねえしなあ」
「何で入ったの」

思わず突っ込むと、「射的やりたくなったから」と返される。景品よりも射的自体に興じる気持ちはわからなくもないけど、何でわざわざこのタイミングで。明日私達は担当から外れるし、明日やればよかったのではと思う。

「なまえこれ好きだったじゃん」

とまた話に割り込んできた元カレが指していたのは、確かに一時期ハマっていたキャラクターのキーホルダー。だけど今はそんなに好きじゃないし、落としたときのショックが計り知れないからキーホルダー自体好きじゃない。
私が微妙な顔をしているのを悟ったのか、黒尾が「あれでいい?」と指したのはなんかよくわからないペアの置物。え、あれ?

「あれ可愛くないわけではないけど可愛いとも思わないんだけど…」
「あー残念。お前に似てると思ったんだけど」
「はあ?私あんな顔してないし」

言い返した言葉は何の効力もなかった。黒尾は早速その置物に照準を定めて構える。三白眼を更に細める横顔と、大きな体を屈めた筋肉質なシルエット、捲った袖から覗く血管の浮いた腕に思わず息を飲んだのは、きっと集中している黒尾は知らないだろう。

黒尾はいとも容易くそれを射止め、何食わぬ顔で私に渡した。近くで見ると余計に可愛くない。私に似てると黒尾が言ったけど、認めたくないほど可愛くない。

「よし、行くか」

一発で仕留めたことに満足したのか、黒尾はさっさと1組の教室を出る。またあっさり荷物を引ったくられたので私は慌ててその大きな背中を追いかけた。

「これペアになってるから一個あげる」

黒尾の前に差し出すと、「え、いらね」とあっさり退ける。「黒尾が取ったんだから半分あげる」と引き下がっても「これお前に似て可愛くねえもん」と相変わらず受け取ろうとしない。ていうか、私に似て可愛くないってなんだ。

「じゃあ私もいらない。取ったの黒尾だもん」

そこまで言うと仕方なく「わかったって。じゃあ比較的お前に似てない方がいい」と渋々受け取ってくれた。そもそもどっちも私に似てないと思うけど、私の目で見て黒尾に似てる方を渡した。

「それ黒尾に似てる方だから」
「バカ、俺はもっと男前だろ」
「そんなん言ったら私だってもっと美人だし」
「それはないな」

悔しくて脇腹に軽く一発肘を入れる。黒尾が言う「私に似てる方」を大事にポケットにしまいこんだ。
教室に戻る頃にはもう私達はぎくしゃくしていなかった。



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