四度目のバレンタイン

一度目は付き合う前のこと。
放課後になっても渡せなくて友人に連れられた冬の夕方。廊下のど真ん中。そして夜、初めて手を繋いだ日、そんな17歳のバレンタイン。

二度目は別れを決意した。
そうすることが黒尾のためであると思っていた。それも見透かした上で、だけど認めたくないのは彼とて同じで散々泣いた。苦しかったけれど、今は微笑ましくも思う。それが18歳のバレンタイン。

三度目はカウントするのも気が退ける。
大学が春休みに入ったのをいいことに誰とも会わなかった。そしてその話題にはいつも口をつぐんだ。好きな人がそばにいないことを痛く実感した19歳。だけどそれすらも大事な気持ちだから、絶対に否定はしない、したくない。

そして四度目。今年は。

成人式に再会したときにお互いの気持ちを確かめ合った。まだ彼女でいてもいいと言う。それどころか別れたつもりがないなんて。会えなかった日々の心労を思うと呆れるくらい。笑っちゃうくらいの言葉が嬉しくて、だからこそ今年は。

色めき立つ街に引け目を感じる必要はもうない。そばにいないからなんだと言うんだ。好きならそれが全てで、通りすがる男女に苦しくなったりはしない。
本当は私だって毎日会いたいし、そばにいたいと思う。だけど一ヶ月前に聞いたことは今でも忘れていないから、また当たり前に一緒にいられる日が来ることを待って、それだけで生きている。

「なまえは今年誰かにあげるの?」

大学で知り合った友人が嫌気が差すほどのイルミネーションを睨み付けて言った。こんな時期に女二人はなかなか厳しいものがあるけれど今ではもう慣れた。

「あげようかなーとは思ってる」
「例の遠距離の?」

声に出さず頷くと友人は気のない返事をした。
出会った当初、イギリスの人が天気の話をするみたいに女子は恋愛の話をする。入学してすぐのときは隠していたけれど次第に黒尾の話をしていくと、彼女は私の恋愛をあまりよく思ってはいなかった。
今遊ばなくていつ遊ぶ。遠距離、それもそんなわかりづらい関係勿体ないにも程がある。
それが彼女の言い分で、確かにそれは正しいとも思う。

「ほんと好きだね、嫌にならないの?」
「ならないって言ったら嘘だけど」

苦笑混じりに話すと溜め息が聞こえる。
そばにいることだけが愛だというなら私達は根本が間違っているのかもしれない。だけど私はそう思わない。そばにいない時間が長くても、ちゃんと想い合っていたのだからそれが全てだ。誰がなんと言ったって自信を持って言える。


と、思っていたのに。

「ごめんなまえちゃん、14日出れる?」

大学生になって始めたバイト先の店長が心底申し訳なさそうに言ったので、まさに今提出しようとしていたシフトの希望をすかさず背中に隠す。聞くと、やはり皆デートだなんだと休みが14日に集中したのだという。そこで遠距離恋愛中の私に白羽の矢が立つのはなんの違和感もない。
会いに行こうと思っていたのに。
とは言え、たかがバイトだからと言ってお金を貰っている以上雇用主に頼まれたら文句が言えるはずもない。なるべく笑って返事をすると店長は心底安堵していた。


そして迎えたバレンタイン当日。
あげることを諦めたわけではないので、ちゃんとその日に届くよう宅配の手当ては済ませてある。《午前中家にいてね》とメッセージを送って家を出た。人手が足りない分、今日は心して臨んだバイトが終わって携帯を確認すると既読はついているけれど返事は来ていなかった。
別に期待とかしてないけど。
誰に言い訳するでもなく帰路につく。時折来る友人からのメッセージやらメルマガにいちいち心弾ませては落胆していると、今度は電話の着信が鳴る。たった一人のために変えているその音に驚いて、確認するまでもなく通話ボタンを押していた。

『お疲れ』

疲れも相俟ってか電話越しの声に涙腺がツーンと刺激される。だめだ、歩きながらの通話で一人泣いていたら不審なことこの上ない。泣かないように空を見上げる。私がせっせと働いている間に日はとっくに沈んでいる。

「届いた?」

訊ねると、おうとかなんとか気の抜けた返事が聞こえる。別に喜んでほしいわけじゃなくて私があげたかったからやっただけだけど、やっぱり会いに行かなくてよかったかもしれないと思った。こんなの目の前で見たら激昂しかねない。
いくら二年会わない期間があって、一ヶ月前想いを確認しても、その一ヶ月で気が変わらない保証はどこにもない。二年待てても更にその一ヶ月どうかなんてこと、そばにいないならわかるわけがない。

「ならよかった、じゃあね」
『待て待て、それはねえだろ』

少しのショックで思わず切ろうとした電話に黒尾が慌てているのが見てとれる。終話を押そうとした指はそのまま携帯を持ち直した。

『お前今外にいんのか』

通りすぎる車の音や話し声で気付いたのか黒尾が訊ねる。

「うん、バイト帰り。ごめん、聞きづらい?」
『そうじゃねえって』

くつくつと喉元で笑う声。なんだか今日の黒尾はいちいち掴めない。元々そういう奴だったけれど、あの頃と今では事情が違うのだから些細なことで不安になるのは許してほしい。

『どこにいんだ』
「えっ、なんで」
『いいから』
「もうちょっとで公園、ほら、よく会ってたとこ」
『あーね』

なんで聞いたの、とは思うけれど少しでも声が聞けるだけで嬉しいとも思う。身のない会話だって愛しく思うほどには距離がもどかしい。

『そういやまだお礼言ってなかったな』
「いいよ別に。あげたかっただけだし」
『そう言うなって。なまえ、右見てみろ』

いきなりなに、そう思いつつ言われた通りにそちらを見る。
開いた口が塞がらないとは、まさにこのこと。

「うそでしょ……」

なんでいんのとかなにしてんのとかいつからいたのとか、疑問はいくらでも浮かぶのにそれよりもなによりも今、目の前にいることが最大の疑問。

「嘘じゃねえよ」

会えないと思っていた。諦めていた。だからこそ頭の整理がつきそうにない。

「ごめん待って意味わかんない」
「細けえことはいいんだよ」

いやよくないし、全然よくないし。遂に幻覚まで見るようになったかと頬をつねってみる。外の空気で冷えた頬は、私の指に従ってぐねりと歪んだ。どうやら本当らしい。ちゃんと痛い。

「なんつう顔してんだよ」

苦笑する黒尾を見上げていると、さっき堪えた涙がまたしても込み上げる。

「会っていきなり泣かれる俺の身にもなれよ」

そう言って優しく頭を撫でられて、それと同時にその胸に飛び込んだ。黒尾はちゃんと温かくて、今更疑っているわけではないけれど私が見ているものが幻ではないと改めて実感した。
確かに黒尾の言う通りだ、細かいことなんてどうでもいい。この際なんでもいい。なんでいるのとかそんなの、どうだって。

「髪、跡ついてっけど」

優しく髪をすきながら言う黒尾の声は言葉とは裏腹、その手と同じくらい優しい。

「うるさい、バイトだったんだから仕方ないでしょ」
「別に気にしてねえよ」

どうせだったらちゃんとした状態で会いたかったとは思う。ていうかそれが女子として普通の感性だと思う。だけど今更なりふり構っていられない。髪がボサボサだって、それでも抱き締めてくれるならもうどうでもいい。



「ところでやっぱり気になるから聞くけどなんでいるの」

ベンチに隣合って座ると本当にあの頃に戻ったみたいで、どうしても夢のように思ってしまう。さっきは突然のことに驚いて冷静さを欠いたけれど改めて疑問が浮かんだ。

「しばらくオフだから里帰りしようとは思ってたんだよ、お前に内緒で」
「え、なんか傷つくんだけど」
「ちげーから。サプライズに決まってんだろ」
「そういうの先に教えてよ」
「教えたらサプライズになんねえだろ」

サプライズという響きは女子にとって甘美だけれど、このサプライズはちょっと困る。なにせ好きな人に会うのになんの準備もできないのだから、これほど厳しいことはない。せめて事前に教えてくれれば、どれだけ疲れていても化粧くらい直してきたし、そもそも朝からもっとちゃんとした格好してきたのに。

「女の子には準備ってもんがあるの」
「あー、ひでえ顔してるもんな」
「でしょ?」

なんの自慢にもならないけれど、バイト帰りということを差し引いても泣いてしまったのだからどのみち崩れたとは思う。だとしてもだ。

「だからそういうの気にしねえって」
「私が気にするの」
「ったく、相変わらず素直じゃねえな」

そんなこと言われてもこれだけは譲れない。過去にいくらすっぴんを見られようとも絶対に。

「それともなんだよ、俺に会いたくなかったのか」
「そうじゃないってば」
「いい加減素直になれよ」

呆れて溜め息を吐く黒尾の方にそのまま引き寄せられる。それだけでさっきまでの押し問答がどうでもよくなるから女って本当に現金だ。そして本当に、黒尾はずるい。

「わかっててやってる?」
「何年好きだと思ってんだ、こうすれば黙ることなんてわかってんだよ」
「ほんとむかつく」
「とか言うなら離れてもいいけど」
「やだ」

会えなかった時間を埋めるように私も黒尾の背中にしがみつく。思わぬ展開だけれど、もっとましな状態の私だったらって思うけれど、会えたことを嬉しく思ってないわけじゃない。

「来年は私が会いに行こうかな」
「ま、追々な」

一昨年で最後だと、あの時は確かにそう思っていた。
だけどどうだろう。今も続いている。そして不確かな来年のことを話している。それは願望にも近い。だけど信じられないものじゃない。
信じて、願うことで続いていくのだと、今この瞬間がなによりもの証だと思っている。黒尾の腕の中で、確かに思った。



back
- ナノ -