歩み寄る青春〜第三者から見た二人の話〜

高校から付き合っていた彼氏とうまくいかなくなったのは、夏休みの頃からのように思う。
環境が変わってもずっと好きでいられると思ったのは若さ故か、そう思えるほどにはたった数ヵ月しか違わない大学生と高校生の間が遠く感じる。終わりはゆっくり首を絞めていくように、酸素を求めたときには全てが終わった。だけど解放されたことを手放しに喜べるほど大人じゃないし、半端な気持ちで付き合ってきたわけじゃない。
聞かされる側としては決して嬉しい報告でないにしても、それでも共に青春を過ごした友人に会って話そうと思ったのは、少しだけ気持ちが落ち着いてからだった。

「久しぶり、元気してた?」

訊ねると笑顔で頷く彼女を見てなんとなくまだささくれている気持ちが落ち着く。思えばこの子はいつでもそうだった。

「こうして会うの久しぶりじゃない?なんか高校生に戻ったみたい」

高校時代、よく学校帰りに駄弁っていたファミレスまで歩を進めながらなまえが言った。
高校生に戻ったみたい。
その何気ない一言がなんとなく胸につかえる。戻りたいと思ったからだ。だけどそれができないことを知っている。私が暗い顔をしたのを悟ったのか、彼女はそれ以上なにも聞いてこなかった。その無言の優しさに甘んじて、私も努めて明るく振る舞う。気にする素振りを見せながらも、そんな私に付き合ってくれるなまえの優しさが痛かった。
ふと会話が止まって、二人の間に気まずい沈黙が流れる。高校生の頃は、下らないことをいつまでも話せていたし下らないことでいつまでも笑えていた。久しぶりに会ったのだから積もる話もあるはずなのに、今はそれができない。それこそが私と彼女が今違う環境で暮らしていることの証明に思えた。友人とでこうなのに、恋愛でうまくいくはずもない。

「ごめんね、ちゃんと腰落ち着いたら話すから」

そう言うと目をパチクリさせて、小さく頷くなまえは高校時代となにも変わっていないように思えた。






「なんか久しぶりに来たなあ、昔なに頼んでたっけ」

平日の夕方ということもあってか、あの頃の私達のように学生がちらほらと見える。中には音駒の制服を着た子達もいる。あんな後輩いたっけ?と思いつつも、少なくともたった一つしか違わないその子達がやけに輝いて見えた。

「なに見てんの?」

メニューをまじまじと見つめていたなまえが顔を上げる。私の視線の先を追って気がついたのか「いいなあ、制服着たいね」と同意を求めた。

「知らないの?今着たら犯罪になるんだよ」
「そうなの?なんで?変態だーって逮捕されるの?」
「違うから」

彼女としてはわざとおどけたにしても、その返しが抽象的すぎて思わず噴き出した。それに安堵したのか、彼女もほっと息を吐く。
気を遣わせていることはわかっていた。なまえという人は、いつでも自分のことより他人のことを考えてしまうような人だとわかっていた。そんななまえに気を遣わせたくないと思う反面、今は、今だけはすがりたい。

「学生だって偽ってカラオケとか安く入ろうって思う輩もいるからだめなんだってさ」
「そっか、私達去年着てた制服ももうコスプレになるもんね」
「そうそう、そんなつもりないのにね」

ただ、高校生に戻りたいだけなのに。

小さく呟いたその一言が、やけに重く響いた。目の前のなまえも目を丸くしている。流石にもう黙り通せない。なまえは背筋を伸ばして私に向き合った。

「なにがあったの」

そこで「なにかあったの」と聞かないところが、彼女が唯一無二の友人であることの決定的な証だと思った。逃げないで全て聞くつもりでいる姿勢が好きだと思った。注文を取りに来た店員が去っていくのを確認して切り出すと、彼女は時折難しい顔をしながらも黙って聞いてくれていた。



「ってわけでさ、私達、だめになっちゃった」

わざと明るく言ったつもりが、余計に痛々しく聞こえたのが自分でもわかった。当事者である私よりもなまえの方が眉間に皺を寄せている。
私だってちゃんと傷ついたけれど、なんであんたが傷ついてんのよ。
彼女に話せばこうなることは簡単に想像できたけれど、いざ目の前で顔を曇らせているのを見ると罪悪感はあっという間に広がっていく。そういう優しいところが好きだなんて、私のエゴにも程がある。やっぱり言わなければよかった。話したくて呼び出したのに、話してみると余計に苦しかった。

「それでいいの?」

なまえが苦々しく言って唇を噛む。予想外な返答に面食らってしまった。

「まだ好きなんじゃないの?」

まさか、彼女がこんなことを言うとは思わなかった。いつも他人の意思を尊重する、そんな彼女が。口をポカンと開けていると、なまえは眉を吊り上げる。

「ちゃんと好きだったの知ってるし、そうやって簡単になかったことにしちゃだめだと思う」

確かに、そうだ。
私達がうまくいかなくなったのは全て環境のせいだと思った。毎日学校で会えていた私達を会えなくした環境が悪くて、私や彼に取り巻いて自由を奪った周りだけが悪いと思っていた。だけどそうじゃない。なにが悪いって、お互いが悪いに決まってる。信じなかった私と彼の怠惰が招いた結果。向き合わなかった私と彼、二人だけが悪い。
ガツーンと頭を殴られたような感覚に、世界がホワイトアウトしていく気がした。珍しく苦言を呈したなまえを間抜けな顔で見つめていると、彼女は苦しそうに俯いた。

「私のこと話すのもどうかと思うけど、会える距離にいるなら諦めないでほしいよ」

その一言に、なにも言えなくなった。


なまえと知り合ったのは高一の頃だった。入学式、隣の席に座っていた彼女に話しかけてみると思いの外うまが合った。それからは当たり前のように毎日一緒にいた。休みの日でも遊びに行ったし、私が好きになった先輩の試合の応援に付き添ってもらったりもした。なまえは私と違って引っ込み思案な子で、自分から友達を作ることを得意としなかった。それでも毎日下らないことで笑い合ってるうちに輪が広がって、私達の高校生活は割とキラキラしたものだったように思う。愛想のよい聞き役のなまえとあけすけな私の周りには気付くと色んな人が寄ってきた。

そんな女子から見たら“いい奴”ななまえだったけれど、恋愛となるとてんでだめだった。
まず男子が話し掛けてもいつもの調子で黙って聞いているだけ。それでも男からしたらそういう子の方が自尊心を擽られるのかも知れない。密かに人気を誇っていた彼女に告白する奴もいて、彼女のよさを近くで見てきた私としてはなまえの幸せを願って「付き合ってみれば?」と提案するも、なまえの彼氏になる奴は悉く骨のない連中だった。
ばかだな、ただの聞き分けいい子がクラス中の女子から信頼を置かれるとか思ってんなよ。
そうでなくとも彼女がただのイエスマンなら私と仲良くなっているはずがないのに、男は呆れるくらいなまえに幻想を抱いていた。

そんななまえにも転機が訪れる。
高二の二学期、男子と話すのが苦手ななまえと、同じく女子と話しているのをあまり見かけない黒尾がなにやら親しげに話すようになった。この黒尾鉄朗という奴もなかなかにわかりにくい男で、一見イケメン風を装っているけれど掃除時間箒と雑巾で野球をするようなどこにでもいる高校生である。デカイ図体と重力に逆らった髪型を除いて。
それでも話を聞く限り、どうやら黒尾はなまえに変な理想や期待を持ち合わせておらず、たまに変なことを言い出すなまえも受け入れた上で面白がっている。そして自分より他人のことを優先してしまう彼女をおちょくりつつも気に掛けているようだった。

なまえの本質を見た上で、あいつはそれでも惚れている。

周りから見たらそれは一目瞭然でも、自覚なしに軽い男性不信に陥ってるなまえはただただ戸惑っていた。先の恋愛を見てきた側としては無理もないのもわかるけれど、どうもうまくくっつかない二人に周りの方が業を煮やす次第である。だけど戸惑いつつもなまえが黒尾を信用しているのは傍目からもわかったし、その信頼が恋より愛に近いことに気付いていないのは当人達だけだった。お互いの気持ちを確かめる前からそうだったのだ、周りから見たらくっつかない方が理解に苦しむけれど近すぎてわかりづらかったに違いない。無駄に初々しく微笑ましい黒尾となまえがくっつくのは結局春が来てからのことだった。

拙いなりにうまくやっている様子の二人を周りは温かく見守っていたけれど、高校三年生という時期は残酷であまりにも儚かった。
なまえは高一の頃から決めていた進学先があって、黒尾には人生の大半を懸けたバレーがあった。お互いそれは譲ってはいけない大切なもので、だからこそお互いがお互いの幸せを願った。そこに距離ごと愛する選択肢もあったというのに、なまえは黒尾が新たな土地で心置きなく暮らせるように、黒尾もまたそんななまえに距離という重荷と待つ苦しみを背負わせる位なら身を引くことを選んだ。
好きという気持ちが全てなのに好きなだけじゃだめだなんて、こんなつらいこと絶対ない。
それでも目の前のなまえは、今も黒尾を想ってる。

「そうだね、ごめん」

まさかあのなまえがこうして怒るとは、少し驚いたけれど、これも黒尾と付き合ってなまえが成長したことの大切な遺産だ。私にはまだ二人が終わっているようには見えないけれど。

「私がつらいとき同じこと言ったくせに、忘れたとか言わせないからね」

しらーっと睨み付けながらなまえはストローからオレンジジュースを吸い上げる。その子供らしい仕草は高校の頃からなにも変わっていないのに、その言葉の重みはまるでかわいくない。

「あんたにそれ言われるとぐうの音も出ないよね」
「当たり前じゃん、因果応報ってやつだからね」
「でもさ」

氷が溶けて橙と透明の二層になったオレンジジュースを掻き回すと、彼女に倣ってそれを吸い上げる。

「なまえが黒尾をまだ好きでいてよかった」

会えない距離と時間は、きっとこうやって静かに二人を引き離していく。高校生の恋愛なんてそんなもんだとみんな言うけれど、だからと言って容易く諦めたりなんてできるわけもない。そんなことできたら苦労しない、好きになんてなってない。だから私も彼女もこうやってしがみつくことを選んだ。それが建設的でないのはわかった上で、だけど他人に自分の幸せを推し量られたくなんてない。
好きなだけじゃだめだ、だけど好きな気持ちこそが全てじゃないのか。私達は今、それを一番知っている。身をもって知っている。
溶けて別れた透明も、ちゃんと混ぜれば橙になる。どれだけ薄くなったって、全てなかったことにはならないのと同じ。

「なに。どういうこと」

私の言葉に怪訝な顔をしたなまえを見て、思わず笑いが込み上げる。なんて顔してんのよ。

「懐かしい気持ちを思い出したってこと」

高校生には戻れなくたって、今の私達には今の私達なりの愛し方がある。どれだけつらくて苦しくても、乗り越えたらまた前みたいに笑えるかもしれない。でもできないかもしれない。だからといって本気で惚れた男のために賭けに出ないなんて女が廃る。バカだって言われてもいい、情けないって思われてもいい、別にいい。少なくとも私は、目の前で待ち続けるなまえのことをそうは思わない。

「お互いがんばりますか」
「私はがんばりようないけど」

ほんとばかだな、そうやって一途に想い続けることの、どこが頑張ってないと言うのか。
だけどこんななまえだからこそ黒尾は好きになったのだとも思うし、後ろ髪引かれながらも置いていけたのかもしれない。信じる方に賭けたのかもしれない。

「黒尾に連絡してみればいいじゃん。寂しい会いたいよハート、って。俺もだよハートとか来そうだけど」
「黒尾が言うわけないじゃん。てかその語尾のハートなんなの」

昔みたいにこうやって笑えないことなんてないと、久しぶりになまえと会って実感しただけでも儲けもんだと思った。
私ももう一度、ちゃんと向き合ってみよう。玉砕上等だ、怖いものなんてない。好きな気持ちから目を逸らしてなかったことにする方が、よっぽど怖いに決まってる。それを教えてくれたのが、目の前で逞しく想い続けるなまえだった。



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