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受験が終わったあとすぐに期末テストがあり、そのまま三年生は自宅学習へと移行した。黒尾に話さなければいけないことも曖昧にしたまま、あとは卒業を待つだけになる。
受験が終わるまで待っていて欲しいと言ったのは私なのに、なにも言わない黒尾に甘んじて私はなにも言えずにいる。このままでいいとは思っていない。だけど、自分で決めたことをそのまま自分のなかで完結させるのと、人に話をつけなければいけないのとでは訳が違う。それが好きな人なら尚更そうで、決して楽しい話ではないから余計にだ。

二月に入って少し経ち、相変わらず自分からは黒尾に連絡を取れずに悶々としている中、気分転換に出掛けた町はバレンタインムードに包まれている。
去年は、去年の私達は。付き合ってはいなかったけど、初めて男子にチョコをあげる緊張と、そのあと初めて手を繋いだ緊張で、だけど楽しかった。あげる機会を逃しに逃して、結局友人に無理矢理連れていかれたんだっけ。

ふと自分が去年のことを思い出したことに、こうして私は季節を巡る度に会えなくなる黒尾を思い出していくのかと気づいてまた苦しくなった。
きっと春になれば、気まずくなったことや付き合ったことを思い出す。夏になれば花火のこと、夏の終わりに初めて黒尾と話した日のこと、そうやって重ねていくうちにその度に胸が痛んで、色褪せて忘れるどころかきっと鮮明に思い出す。
そのとき私は、黒尾を好きでいていいのだろうか。なにも望まない、だけど忘れられそうにないからせめて、ひっそり想うことは許して欲しい。

冬の冷たい空気が切なさを増して頬に刺さる。潤みそうになる瞳をゆっくり閉じて楽しそうな町から目を逸らした。大事なことから目を逸らすのは私の悪い癖だ。黒尾を好きだと気づくまでもそうだった。だけどあの頃の方がずっとましだ。あの時だって泣くほど悩んでいたのにそう思うのは、きっと乗り越えてしまったからだろう。だけど今の悩みに明けが見えそうにない。
帰ろうかな。そう思って顔を上げると、見知った人物を遠くに見つけた。そそくさと歩く小さな背中を呼び止めると、くりっとした目で振り返った。

「おー、みょうじ。なにしてんの?」

私を確認するとおおらかな笑顔を向ける夜久に少しだけ泣きそうになる。ぐっと堪えるも、夜久は鋭いやつだ。不思議そうな顔をした夜久に気づき慌てて言葉を紡ぐ。

「気分転換的な感じかなー。夜久は?」
「俺もそんな感じ。でもさすがに女子多くて居づらくてさ」

夜久がチラリと目を向けた先には、バレンタインの特設コーナーが大々的にあるデパートだった。私も去年、行ったところ。私も目を逸らして「バレンタインだもんねー」と笑うも、乾いた笑いが出たことに気づいた。

「みょうじは黒尾にやるんじゃないの?」

それは当たり前のことみたいに、だけど探るように聞いたのは、きっと私と黒尾の現状を夜久は察したのだろう。少し先のこと。だけどそれが私には見えない。私はこれ以上思い出を重ねてしまっていいのか。これ以上、黒尾と一緒にいてもいいのか。
答えあぐねていると、夜久は確かめるように紡いだ。

「みょうじはさ、黒尾のこと好き?」
「え、いきなり?」
「まあそうなんだけどさ」

苦笑した夜久に、私は口をつぐんだ。
夜久の問いに対する答えは決まっている。それ以外の答えなんて持ち合わせていない。だけど想うだけならまだしも、言葉にしてはいけない気がした。
またしても沈黙を貫く私を見兼ねてか、夜久はまっすぐに私を見つめて言った。

「黒尾はお前のことちゃんと好きだからな」

夜久の言葉は嬉しいはずなのに素直に喜べない。だってそれじゃだめなんだ。黒尾がいなくなるというのに、黒尾に甘えていてはだめなんだ。私はこれ以上、黒尾にぶら下がるわけにはいかない。

黒尾から愛されているというのは痛いほどわかっている。そして私も黒尾のことが好きで堪らない。できることなら距離だってものともせずに、このまま笑って送り出してやりたい。黒尾はきっとそうするつもりだ。
だけど、ただでさえいつも私を心配する黒尾が、距離が離れてしまっては余計に心配することもわかっている。それでは黒尾の夢を応援するどころか邪魔になっているだけではないのか?
自分の心が引き裂かれたって構わない。だから黒尾が心置きなくバレーに集中できる環境を整えてやりたい。
それに、黒尾を想うあまり自分の未来を棒に振ろうとした自分が怖い。黒尾が私の未来を願ってくれたというのに、黒尾をこれからも想ってばかりいそうな自分が寂しさのあまりまた同じことを繰り返しそうで、そんなこと黒尾は絶対望んでないから、そうならないための未来はもう、決まっている。
だから夜久の言葉が痛いほど胸に突き刺さる。それに喜んではいけないこともわかっているのに、泣きたくなるほど嬉しくて、このまま黒尾の心の中に私を置いてほしいと思ってしまう自分がいる。だめだ、決心が鈍りそうになる。

「でもそれじゃだめなんだよ」
「それさ、黒尾とちゃんと話したか?」

言葉を詰まらせる私に夜久は更に続けた。

「二人のことなんだからお前一人で決めんなよ」

諭すような夜久の言葉に頷くと、「わかればよし」とにんまりと笑みを浮かべる。夜久に話してよかったかもしれない。そう思った。

「ちゃんとあいつと話せよ?今頃寂しがってるかもな」
「それはないでしょ」
「わかんねえけどな」

声を漏らして笑う夜久に私も笑顔を返した。
自分のエゴだとしても、少しくらい自分の気持ちに素直になったっていいじゃないか。
いつも自分の心に蓋をし続けた。でもそんな私を黒尾はなんて言った?忘れたわけじゃない。そうやって少しずつ好きになっていった黒尾のことを一つたりとも忘れるわけがない。
黒尾のためと言って自分に嘘を吐くことが、黒尾の言葉を何一つ汲んでいないことに私は今までどうして気づかなかったんだろう。

「ありがとう夜久。なんか元気出た」
「うん、さっきまでのお前この世の終わりみたいな顔してたしな」
「嘘、そんな顔してた?」
「してたしてた」

例え本当にさっきまでの私がこの世の終わりみたいな顔をしていたとしても、今の私はきっとそんな顔をしてはいないはずだ。だってこんなにも、晴れやかなのだから。
黒尾がこれからも笑っていてくれるならなにも望まない。だけど一つだけ、たったそれだけでいい。黒尾に聞いて欲しいことがある。私の自己満足だとしても、それでもいい。黒尾は困るかもしれない。だけど話さないことにはきっと、私はこのままに違いない。だからそれだけは許して欲しい。
想いを伝える日、それは甘い言葉を連想させるけれどきっと違う。
現実と、向き合う日だ。



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