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春高の二次予選。黒尾にとって悲願である“ゴミ捨て場の決戦”がかかった大会。それはあの優しそうで、でも時々こわくなるほど冷静な目をする監督が夢に見ていたものだから、監督が現役のうちに、そして自分達の手で叶えてやりたいのだと黒尾は言っていた。
黒尾の夢は私にとっても夢である。黒尾の嬉しそうな顔を見たいと思うし、勝って観客席に挨拶するときに私に向かって笑顔を見せる黒尾が好きだから。
それをずっとこの目で見たいと思う。応援し続けたいと思う。だから今日も私は観客席で黒尾を、音駒を応援している。

いつもに増して気合いが入っているように見えるのは当たり前だ。この体育館に、真剣じゃない人は誰一人としていない。それを祈るようにして見ている私も、傍目にはそう見えているのかもしれない。
だけど真剣な黒尾を見ているうちに、苦しくなってしまった。こんな黒尾を見られるのは高校生のうちだけで、来年の春、私達の間には途方に暮れるほどの距離が空く。

心だけ繋がっていればそれだけで充分だと思った。
だけどそんなきれいごと、私は思わない。そんな余裕のある恋愛ができるほど私は大人になんてなれない。
黒尾のかっこよさを実感する度に胸が痛む。いつまでも見ていたいと思う。でもそれができないから、苦しい。

もし会いに行って、そのとき黒尾の隣に誰かがいたら。そのとき私はまともでいられるだろうか。
大学生になったからと言って学生であることにはかわりない。そんなに頻繁に会いに行けるのだろうか。勉強を疎かにするようでは、黒尾の言ったことなど何一つ汲んでやれていないのではないか。

そうしているうちに一試合目が終わる。いつものように笑顔を見せた黒尾に、私はいつものように笑えていただろうか。




「どうした?なんか具合悪いのか?」

本日の試合もちゃんと全部勝って、他の学校の試合を見るために観客席に上がってきた黒尾は開口一番そう言った。少しの距離でもちゃんと見えてしまったのかと、そして応援に来ておいて心配されるなんてどういうことだと自分でも思った。

「全然大丈夫。なんか私も緊張しただけ」

半分本当のことである。応援に来ている私も手に汗を握っていたのだから嘘ではない。

「いいですよね……なんつーかこう、一緒になって本気で応援してくれる彼女」

傍で聞いていた山本くんがしみじみした様子で言った。
山本くんは女子に対して憧れは強いのだけれど、どうも女子と話すのが苦手らしく打ち解けるまでだいぶ時間はかかったけれど最近では普通に会話ができるようになった。

「山本くん性格いいからすぐ彼女できるよ」

そう笑って言うとはにかんだ山本くんに心から申し訳ないと思った。確かに私は黒尾のことを心から応援している。だけどそれが時に自分の我が儘でねじ曲がった方向にいってしまっているのをきっと彼は知らない。
バレーをしている黒尾を見て、苦しくなったなんて知らない。それは黒尾も、きっと知らない。
私はここにいてもいいのだろうか。この場に相応しくないのではないか。そんなことを思う。
それは夏休みの合宿のとき、講習で学校に行ったときも思ったことだった。
真剣な人しかいないこの場に、のこのこ私なんかがいてもいいのか。そう思うと居ても立ってもいられない。

「ごめん、私帰る」
「どうした、送ってかなくていいのか」
「大丈夫、一人で帰れる」

いつまでも黒尾に甘えていてはいけない。あと何ヵ月かで黒尾はここから去ってしまう。それに。
私との時間を作ってくれる黒尾には、こうして部員の仲間や友人といる時間だって大事なはずだ。私と付き合う前の黒尾は、いつも男子同士でふざけているような奴だった。
私ばかりが黒尾の時間を独占していていいわけがない。そんなことにも気づいたのだ。


一人出口へ向かうと、追ってきたのは夜久だった。

「お前顔色悪いぞ、ほんとに大丈夫?」

心配そうに顔を覗き込む夜久に思わず本音が喉元まで出かかったけれどそれをぐっと飲み込んだ。大丈夫だよ、と言うと言いづらそうに夜久は口を開いた。

「黒尾となんかあった?」

やけに核心を突いてくる夜久に息が止まりそうになった。厳密に言うとなにかあったわけではない。だけど今、黒尾のことで苦しくなっているのは本当のことだ。それを察してか夜久は静かに言葉を紡ぐ。

「あいつ勘がいいんだか悪いんだか、たまに無神経なとこあるからさ」
「ごめん、違うの。ほんとになんにもないの」
「ならいいんだけど」

夜久は本当に周りがよく見える人だ。見えすぎて、こわいくらい。

「あいつに言いづらかったらさ、俺でもいいし誰かに頼れよ?黒尾もお前のこといっつも心配してんだからな」

夜久の言葉に、少し前の私なら照れつつも心から喜べていたのだろうと思う。だけど今は少し状況が変わってしまった。そしてそのとき、私が選ぶべき道が決まったような気がした。

「ありがとう、心配かけてごめんってみんなに伝えて」
「わかった。じゃあな、気を付けて帰れよ」

そう言って手を振り去っていく夜久の後ろ姿を見て、黒尾より小さいはずのその背中に何故か黒尾を重ねてしまった。そしていつか訪れる別れのときを思うと勝手に涙が出そうになる。
進路を前にしたとき、なにもかもがそのままでいられるはずがないのだと思い知った。時にはなにかのために、同じくらい大切なものを切り捨てなければ進めないことも。
大事なものなんか作らなきゃよかった。こんなに苦しくなるくらいなら、一年前の私みたいになんとなくで付き合ってなんとなくで別れるようなそんな軽い恋愛だけをしていればよかった。だけどもしあのままの自分なら、誰かのおかげで嬉しくなれたり、誰かの笑顔が自分にとっても幸せなのだと笑えたり、そんな幸せだって知らなかった。その“誰か”が黒尾だってことは、自分でもわかりきっている。
そしてその黒尾の大切なものを壊すような恋愛が自分にとっての幸せになりえないことは明確で、苦しさと引き換えだとしても私と黒尾その両方にとって一番いい未来を考えるのは認めたくないだけで簡単なことだった。



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