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二学期に入りしばらくすると中間テストが行われた。その結果によって私は数ある志望校の中から一つ二つと絞って行かなくてはいけない。行きたい学校はほとんど決まっていたから、そこの偏差値に見合うように勉強漬けだった。
その頃黒尾も春高の二次予選に向けて最後の調整に励んでいて、お互い労いながら励まし合っていた。

だけど。
このところ、少し考えることがある。

黒尾は卒業したらどうするのだろう。なんとなく直接聞けずにはいたけれど、人づたいに聞いたところによるとバレーの推薦をもらっているのだという。それも地元から離れたところ。
私の志望校は都内にあって、そのまま実家から通う予定である。もしそうなれば、私達はどうなるのだろう。別れて、しまうのだろうか。それが怖くて聞けずにいたのだ。
きっと黒尾は別れないと言うし、私も遠距離だってなんだってしたっていい。それでも黒尾と繋がっていたいとは思う。でも夏休みの間だけでも、一ヶ月間数える程度にしか会えなくて、それでさえ寂しく感じたというのに、更にそこに距離が加われば私に耐えられるのだろうか。

中間テストの間だけ部活動は全面的に禁止され、放課後に図書室で向かい合って勉強する。私達同様テスト勉強をする人達がちらほらといたのでそんなに静かではなかったけれど、なんとなく図書室と黒尾という組み合わせが少しおかしかった。


「早く部活してえな」

赤く染まった空を見上げながら黒尾が呟いた。勉強は学生の本分ではあるけれど、二次予選を前にした黒尾にとってはそれどころじゃないのだろう。最後の大会なのだから。それを差し引いても、黒尾にとってバレーは大切なものだというのを知っている。

「もうちょっとの辛抱じゃん。あ、なんなら私ちょっとラリー付き合うよ」
「体育のとき見たけどお前下手じゃん」

ニヤニヤと見下ろす黒尾にムッとしたけれど確かに黒尾の言う通りである。下から打ったサーブも入らないしレシーブもまともに取れない。まっすぐ飛ばないボールにやきもきしつつ、それを自由に操る黒尾を改めてすごいと思ったのだった。そんな恥ずかしい場面を見られていたのだと思うといっそ地面に埋まりたくなる。

「体育でしかやったことないもん」
「それにしてもあんな下手な奴久々に見たわ。入部したときのリエーフ以下」
「リエーフくん男じゃん。しかもセンスはあるって黒尾言ってなかった?」
「まあな」
「現役バレー部員と素人比べないでよ」

悪かったよ、って頭を撫でる黒尾の手のひらに、やっぱり私はこの時間が惜しいと思った。いなくならないでほしい、と思ってしまった。

「黒尾さ」

意を決して口を開く。私の声は震えていた。それに気づいた黒尾が何事かと言わんばかりにまっすぐ見つめてきた。

「進路、どうするの?」

さっきの会話と一転、突然真顔で重い話を振ってきた私に黒尾は驚いていた。長い沈黙のあとに、ゆっくりと口を開いた黒尾。

「推薦もらってるし、そこ行こうと思ってる」

ああ、やっぱり。恐れていた答えだった。私が暗い顔をしたのを悟ってか、黒尾は続けた。

「地元は離れるけど気にすんなよ」

そう言って私の手のひらをぎゅっと握った黒尾の手を、確かめるように握り返す。

「たまにこっち帰ってくるだろうし」
「ほんと?」
「当たり前だろ」

二人の距離が離れることに、不安がないわけじゃない。でも百パーセントの信頼があるわけでもなかった。それは黒尾の気持ちを信じていないとか私が黒尾のことをそこまで好きじゃないとかそういうことではない。
大学でお互い今よりもっと広い世界を見る。今よりもっとたくさんの人と出会う。そのとき私より魅力的な人が黒尾の前に現れたら?黒尾に会えなくて寂しいとき、うっかり私に優しくしてくれる人が現れたら?そのとき靡かないという保証はどこにもない。
寂しさが人をおかしくするなんて、そんな最低なこと自分に限ってありえないだろうと今は思う。だけど今、こんなに黒尾を好きで、黒尾のことでいっぱいな私から黒尾を取り上げられてしまったら、そのとき私は自棄にならずにいられるのか。
だからと言って私はどうしたいのだろう。黒尾にどうしてほしいのだろう。
黒尾にはバレーを続けていてほしいと思う。私がうまく扱えなかったボールを、これからも自在に操っていてほしいと思う。点が入ったときの嬉しそうな笑顔も、真剣にボールを追う鋭い瞳も、ボールを容易く射止めてしまう手のひらも、コートに立つ頼もしい背中も、全部全部好きだからこそ黒尾にはバレーを諦めてほしいわけじゃない。
だったら私が。そんなことを思ったのを察してか、黒尾が口を開いた。

「お前もこっち来るとか言うなよ」

その言葉が一瞬だけ。拒絶に聞こえてしまった。
俯いて、声に出さずにただ頷いた。ああもうほんとに、私はどこまでも面倒くさい女だ。自分がこんなに面倒くさい女だったなんて知らなかった。

「言っとくけど迷惑とかそういう意味じゃねえからな」
「じゃあなに」
「お前が」

そう言ってまた少しの沈黙。言葉を選んでいるその様子に、やっぱり私も行ったら邪魔なのかな、と疑い深くなってしまった。

「お前の将来の話何回聞かされたと思ってんだ」

その一言に、私は危うく自分の将来を見失いそうになっていたことに気づいた。呆れながら言った黒尾が、よっぽど冷静なことも。

「お前がその大学に行きたがってたのも知ってるし、将来なりたいものも知ってる。俺のせいで諦められたら夢見わりいわ」

確かにそれは、私が黒尾の立場でもそうだと思った。黒尾とは離れたくない。だけどもし黒尾が推薦を蹴ってまで私といたいと言ったとしても、それを私は手放しには喜べないはずだ。寧ろ一人の有望な選手の未来を潰したことを一生後悔するはずだ。
そんな当たり前のことすら見えなくなっていた自分に気がついて、自分で自分がこわくなった。

「ごめん、ばかなこと考えて」
「ほんとにな」

そう言って繋いだ手に力を込める黒尾。その大きな手のひらを握り返したいと思ったのに、どうしても握り返せなかった。そんな資格、自分にはどこにもないと思った。
そして好きなだけじゃだめなんだということに気がついて、このままじゃきっと私か黒尾のどちらか或いは両方だめになってしまう気がした。
真っ赤な夕日を見て心が焼け爛れていく色に見えたのはその日が初めてで、隣にいるのに寂しく感じたのは付き合ってから初めてのことだった。



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