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八月末。

夏休みもあと少しで終わりそうな頃、夏季講習のために学校にいた。体育館からは小気味のよい音が聞こえてきて、そういえば今回の合宿は音駒でやるのだと黒尾から聞いたことを思い出す。今頃黒尾もがんばっているのなら私もがんばるか、とシャープペンシルを握り直す。
講習を午前で終えてもまだ体育館からボールの音やシューズが床を擦る音が聞こえてくる。この前インハイの予選や春高の一次予選も見に行ったけれど、バレーをしているときの黒尾が好きだ。ちょっとだけ、覗くだけ。と思っていたけれど、さすがに試合だけでなく練習にも顔を出すのはどうかと思い直し後ろ髪を引かれる思いで校門に向かう。が。

「あ!!なまえちゃんだ!!」

体育館のドアから顔を出していたのは木兎さんだった。それに釣られて赤葦くんを筆頭に去年の文化祭で遊びに来ていた面々がいっせいにこちらを向く。大きく手を振る木兎さんに会釈すると今度は手招かれた。

「黒尾達の試合もうちょっとで終わるからちょっとここで待ってて」

こくん、と頷くと木兎さんが「黒尾ー!なまえちゃん来てるからがんばれよー!!」とコートを振り返って叫んだ。黒尾によると合宿には音駒を含め五校が参加しているらしい。やめてほしい。恥ずかしい。
チラリとコートを覗くと「木兎うるせえ!もう騙されねーぞ」という黒尾の声がする。振り向く黒尾とバッチリ目が合ってしまい、珍しく固まった様子の黒尾に小さく手を振ってみる。

「黒尾から今日なまえちゃん学校来るって聞いて朝からなまえちゃんなまえちゃん言ってたら怒られちゃった」

どんな状況だ、と苦笑していると赤葦くんから例のごとく謝られた。そりゃあ黒尾が怒った原因が私のことでからかっていたとあっけらかんと言った木兎さんに、普通なら私も怒ることなのかもしれないけれど結果的に見たいと思っていた練習風景を見ることができたのでどうでもよかった。それを話すと今度は赤葦くんが苦笑気味に呟いた。

「お熱いですね」
「なんかすみません」

赤葦くんの言葉で堂々とのろけてしまったことに気付き今度は私が謝ってみる。赤葦くんは気にしていない風だったけれど、もし赤葦くんに彼女がいるなら合宿中会えていないだろうにまたしても気が利かない自分に嫌気が差す。そして当然ここにいる誰もが今、何よりも自分の夢のために暑い中汗を流しているというのに楽観的な自分がこの場に相応しくないのではと思い直して「やっぱり私、帰ります」と赤葦くんに告げた。

「何でですか?」
「うーんと、なんとなく、かな」
「黒尾さんの練習見たいって言ってたじゃないですか」
「そうなんだけどさ……」

赤葦くんは表情を変えないまま、耳を疑うようなことを続けた。

「黒尾さんも会いたいって言ってましたよ」
「えっ!?」

思わず聞き返すと、赤葦くんは涼しい顔でコートを眺めていた。

「圧倒的に男ばっかりですからね。癒しがほしくなったんじゃないですか」

女子マネージャーはいるけど、と続けた赤葦くんの視線を追って体育館を覗き込むと、ちらほらと女の子がいる。真剣な顔でコートを見つめている子や忙しなく動き回っている子、みんなそれぞれ可愛い子や綺麗な子ばかりなのだから癒しならいいだけあるのではと思う。首を傾げていると赤葦くんは溜め息を吐いた。

「やっぱり鈍いですよね」
「私がですか?」
「好きな人は特別なんじゃないですか」

好きな人、と他人から言われるとなんともその響きがむず痒い。答えあぐねていると、試合を終えたらしい黒尾がこちらに向かってきた。

「お疲れ」

声を掛けると「もうちょいで昼休憩だからそこで待ってろ」と頭を一撫でしてまたコートに駆け出していく。その後ろ姿は試合で見るようなユニフォーム姿ではなかったけれど、ああいうのもかっこいいなあと思いながら眺めていた。


休憩になってすぐに来てくれた黒尾に、さっき急いで買ってきたスポーツドリンクを手渡す。二人並んで体育館から少し離れた生徒玄関の段差に腰かける。惜しみ無く太陽に照りつけられたコンクリートは焼けそうなほどに熱かった。

「合宿楽しそう」
「まあな」

少し遠くの方で男の子達の声が聞こえる。音駒と梟谷の人以外は知らないからどこの人かはわからないけれど、あの人達も楽しいんだろうなというのが伝わってくる。

「木兎さんに怒ったんだって?」
「あいつそんなことまで言ったのかよ」

膝に肘を立てて頬杖をついている黒尾が嫌そうに言ったので、なんとなくその様子が可愛く見えた。そんなこと言ったらもっと嫌そうな顔をするのはわかりきっているから敢えてなにも言わないけれど。

「あと赤葦くんが私に会いたがってたって」

それでも直接聞きたくなって、黒尾が困るのを知っていてわざと言ってみた。嬉しかったのだ、単純に。
付き合う前の黒尾はいつも大事なことを言わなかった。付き合ってからはそうでもないけれど、その頃の反動からか私は黒尾の言葉をいちいち大事にしていた。

「わりいかよ」

ぼそっと言った黒尾がそのまま大きな手で私の頭を乱暴に撫でた。照れ隠しなのも知っている。

「私も」

黒尾の目を見て言うと目を丸くしていた。
夏休みがこんなに長いなんて、思わなかった。全く会えていないわけじゃない。花火だって行ったし春高の一次予選にも行った。でも学校のある日は毎日会えて言葉を交わしていたから。
去年の夏に付き合っていた人とは夏休み一度も会わなかった。それでも寂しいと思ったことはなかった。けれど黒尾はどうだろう。絶対に言わないけれど、本当は毎日だっていい。会いたいと思っている。

「お前不意打ちで素直になるときあるよな」
「いっつも素直じゃなくてすみませんね」
「まあ俺はどっちでもいいけど」

どっちでもいい、って少し距離のある言い方に感じるけれど、黒尾が言った意味がわからないほど私も伊達に黒尾のこと好きなわけじゃない。素直になってもならなくても、いつも黒尾はなんとなく私の言いたいことがわかっている。その逆も然りで、たまに不安になることはあっても黒尾が私を好きでいてくれてることや言いたいことは私も皆まで言わずともなんとなくわかってきたのだ。
居心地のよさを感じながら黒尾と遠くの蜃気楼を眺めていると「何してるんですか?」という声が聞こえてきた。それに遅れて「シーッ!黒尾に見つかるだろ」という木兎さんのいつもよりは控えめだけどこちらに届くには十分な声がする。

「お前ら覗き見とはいい度胸じゃねえか」

黒尾が腰を上げてそちらに向かうと、他校の人や黒尾がよく話しているリエーフ君と山本君達が顔を出した。

「違う!誤解だ、俺達はなまえちゃんをマネージャーに勧誘しようと」

慌てる木兎さんの言葉に首がもげるんじゃないかというほど頷いたリエーフ君と山本君。「なまえは駄目だ」と黒尾にバッサリ切り捨てられたため目に見えて落胆している。

太陽が真上に昇って「そろそろ腹減ってきたし行くわ」と黒尾が振り返った。

「じゃあ合宿がんばってね」
「お前も気をつけて帰れよ」

手を振って帰路に着くと「そういや木兎、てめえなまえに余計なこと言ったな?」という黒尾の声と「なまえちゃん捕まえたの俺だから!頼む許して!」と懇願する木兎さんの声を背中越しに聞いた。微笑ましく思うと同時に、愛されてるという実感で頬が綻んでいく。夏の日差しは気にならなかった。



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