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「部活終わったらちょっといいか」

帰り際に友人と話しているところを黒尾が話しかけてきた。最近は鍛えがいのある一年生が入ってきたんだって部活に本腰を入れていたので帰りも遅いようだ。遠征も近いのにいいのだろうか。

「私はいいけど、黒尾疲れるんじゃないの?」
「んなもん大したことねえから気にすんな」
「わかった、じゃあいつものとこで」
「おう」

気をつけて帰れよ、とポンと頭に手を置いた黒尾が去っていく背中を見て友人が「いいねえ〜、なまえも春が来たね〜」と感極まっている。なんで。

「なんか今までなまえにも春が来るようにって世話焼いてたけど、やっぱなまえが自分で好きだって思える人じゃなきゃだめだったんだなって黒尾見て思う」

確かに友人には今までそういう面で世話になってきた。そして申し訳ないけど悉く破局してきたから言っている意味もわかるけど。久しぶりに二人で会えることに気が浮いたのも束の間、そういえばと思い出す。
私、もしかしてまた振られるんじゃないだろうか。
可愛いことは言えないし、名前だって呼べない。それに黒尾は部活が忙しい。振られる理由なんていくらでもあるし、それを差し引いても黒尾が私と付き合っている理由もない気がしてくる。
今まで付き合ってきた人も、大体これくらいの期間付き合って私を振ってきた。そうだ、そろそろ私も振られる頃合いなのかも。
研磨くんは、ああ言ったけど。研磨くんとの会話からだいぶ経っている。その間に黒尾の心変わりがないという保証もない。一人青ざめていると友人が呆れながら溢した。

「なまえなんか馬鹿なこと考えてない?」
「え、なに馬鹿なことって」
「私なんかしたかも、とか」

ぎくり。思わず固まっていると友人が更に続けた。

「黒尾のこともっと信じてやりなよ。どう見てもあんたのこと可愛くて仕方ないって感じじゃん」

友人には申し訳ないけどそうは見えない。今朝も「お前今日顔浮腫んでる」とか言ってきたし、そろそろ可愛いげのない私に愛想尽かしたのかもしれない。他人からは仲睦まじく見えても、実際のところは付き合っている当人にしかわからないものだ。可愛いげのないところが可愛いなんて最初だけかも。どうしよう。追い討ちをかけるように今朝の私の顔が浮腫んでいるのを見て幻滅して振るために呼び出したんじゃないだろうか。やばい。一回家帰って顔中コロコロローラーかけないと。今までの“振られる”の比じゃないくらい、私は黒尾に振られたくなかった。




いつものコンビニに行って黒尾を待っていると外に見慣れた長身が見えたので慌てて外に出る。先に買っておいたスポーツドリンクを手渡すと驚いていた。こんなので引き留めようとしているわけではないけれど、やらずにはいられない。

近くの公園のベンチに座り込んで横目で黒尾を見る。いつも通り。いつも通り何を考えているかわからない。ボーッと前を向いたままの黒尾がいつ「別れよう」とも言いかねないため様子を伺っていると遂に黒尾が口を開いた。

「お前さあ」
「うん?」
「なんか顔赤くね?」

両手で自分の頬を包むとじんわり熱を持っている。やばい、コロコロかけすぎた。これじゃ浮腫みは取れても元も子もない。もう幻滅されるルートしか辿ってないじゃん、と答えあぐねていると黒尾が私の額に手を当てた。

「熱出てるわけじゃなさそうだな」
「いや、えっと」
「それ」
「ん?」
「やっぱお前に選んでよかったわ」

黒尾が指差したのはホワイトデーにもらったヘアピンだ。もらってから毎日つけているそれは、今日も今日とて私の視界を良好にしている。

「重宝してます」
「そりゃどうも」

首の皮が一枚繋がったけれど油断はできない。髪で顔を覆っていないからこそ浮腫や顔の赤みに黒尾は気付いたのだから、結果的にいいのか悪いのかよくわからない。

「なんだっけ、女って化粧で顔赤くするやつあるよな」
「ああ、チーク?」
「それ。塗りすぎじゃね?」

違う、違うの黒尾。顔が浮腫んでいると言われたから頬に目がいかないように帰って化粧直して塗ってないの。なんでそんなに顔が赤い理由が気になるの、と思うけれど素直に自白することにした。ええい、もうどうにでもなれ。いやだけど。

「黒尾が顔浮腫んでるって言ったから」
「は?」
「コロコロかけすぎた」

そう言うと吹き出して「なんだそれ」と笑う黒尾。ああもう恥ずかしい。ほんとやだ。

「ほんと鈍臭えなお前」

そう言って私の肩を引き寄せる黒尾。あれ、なんか思ってたのと違う。そのまま黒尾は私の髪に顔を埋めた。

「ちょっと、恥ずかしい」
夜だし人通りが少ないとは言ってもここは屋外で、いつ人が通ってもおかしくない。ご近所の噂好きの奥様に見られようものなら「みょうじさんとこの娘さんってば破廉恥なのよ」なんて噂が明日には広まる。家族にも隠しているわけではないけれど彼氏がいるなんて言ったことは過去一度もない。離れようと身を捩るも、黒尾は更に強い力で私を引き寄せてくる。

「遠征でしばらく会えねえから充電してえんだよ」

これが充電になるのだろうか、とも思うけれど事実、さっきまで振られることに怯えていた張りつめた気持ちも和らいでいるのでそうなのかもしれない。

「研磨になんか言ったんだってな」

思わず肩をびくりと揺らした。研磨くんに口止めするの忘れてた。これじゃ本格的に恥ずかしい人だ。

「私可愛げないことしか言えないし、名前呼べないから、」
「不安になったのか」

弁解しようと口を開くと、黒尾に言い当てられこくりと頷く。ああもう、本当にこれじゃいつ振られても何も言えない。絶対呆れられた。そう思っていると喉元で笑いを堪える黒尾に気づいた。

「お前はそのままでいいんだよ」

優しく頭をポンポン、とされてさっきまで感じていた不安が溶けていく。付き合ってからこうして二人でゆっくりする時間はなかったように思う。だから私は、勝手に不安になっていたのかも知れない。それでも。

「黒尾は私のこと名前で呼ぶじゃん」
「俺が呼びたいだけだから気にすんな」
「黒尾の元カノは鉄ちゃんて呼んでた」
「あいつと話したのか?」

地雷を踏んだかもしれない。少し低くなった黒尾の声にそう思った。相変わらず私の頭に顎を乗せているから黒尾の顔は見えないけれど、怒っている気がした。

「なんか話しかけられた」
「そうか」

小さく溜め息を吐いた黒尾は少しの沈黙。続く言葉を待っていると、今度は優しく言葉を紡いだ。

「お前はお前でいいっつってんだろ」

小さく頷くと満足したらしい黒尾に安心する。もう不安に思う必要はないのかもしれない。友人が言った「黒尾をもっと信じてやれ」という言葉を思い出す。

「そんなに俺のこと好きかよ」

いつものからかうみたいな言い方だったけれど、私は素直に頷いた。いつもみたいに言い返されると思ったのか、黒尾は拍子抜けしたようだった。
「俺も」

その一言で全部、吹っ切れた。何を勝手に疑っていたのだろう。
好きだと言ってくれるまでに、私も言うまでにあんなに悩んであんなに時間がかかったのに。もし別れようって言われても、私は嫌だと言うし私からも言うつもりはない。黒尾の気持ちを信じたい。そう思った。

「遠征がんばってね」
「時間あったら連絡する」
「無理しないでいいよ」
「無理なんかしねえよ」

会えないGWの期間なんて、一週間以上も会話しなかった頃に比べればなんてことはない。だけど会えなくなる前に、こうして黒尾の温度をもう少しだけ感じていたいと思った。



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