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結局五限はまるまるサボって六限前に教室へ戻ると友人が驚いて駆け寄ってきた。

「ちょっと、なにその顔どうしたの」
「あー、お腹痛くて中庭で動けなくて泣いてた」

上手に真実を混ぜ込んでバレない嘘を吐いたつもりだった。友人は眉を吊り上げ、私の手を掴んで教室を出る。さすがに新学期早々六限もサボるのはどうかと思ったけれど、目が合って驚いた顔をしていたくせにすぐに逸らした黒尾を見て、やっぱり教室にいたくないとも思う。友人が連れ出してきたのは滅多に使われない空き教室だった。

「もういい加減にしてよ」

振り向いてすぐに声を荒げた友人に目を丸くする。なんだって突然そんなことを言われなきゃいけないんだ。今日は災難だ。そう思っていたのに、友人の目には涙が溜まっていた。

「なんでいっつもなまえは何も言ってくれないの?」

ガツン。本日二度目の鈍器で殴られた錯覚。怒りながら泣く友人を、私は今日初めて見た。

「黒尾となんかあったんだろうなって気づいてたけど、なまえなんにも言わないからこっちだって聞けないじゃん。なまえが授業サボるなんてしたことないから心配してたのにその上一人で泣いてたって、どういうことなの、私のこともっと頼ってよ」

泣きじゃくる友人の肩に手を置くと、手のひらから感染したように私も泣きたくなってくる。さっき無理に枯らした涙がまた沸いて出てきた。二人で子供のようにしゃくりあげながら六限の本鈴を聞いた。午後の授業全部サボっちゃった。でも私は今、授業では教えてもらえないことを学んでいる気がする。許されることではないけれど、これも成長の過程として先生許してください。そう思いつつ、少しずつ落ち着いてきたため言葉を紡ぐ。

「黒尾にさ、告白されるのかなーって雰囲気のときになんにも言えなかったの、私」

友人と二人並んでドアに背中をぴったりとくっつけて見つからないように小声で紡ぐ。悪いことをしている背徳感と、秘密を打ち明けている高揚感があった。

「そしたら気まずくなっちゃって。さっき黒尾の元カノに喧嘩売られて泣いちゃった」

思い出すとまたじんわり滲んでいく視界。友人に背中を支えられて、手のひらで顔を塞ぎながら底を知らない涙を手のひらで受ける。

「黒尾のこと好きだって、気づいちゃった」

最後まで言い切れずに泣き崩れた私の頭を撫でてくれた友人の手は黒尾より小さかったのに、とても頼もしくて、だからこそ黒尾の手のひらを思い出して私はまた泣いた。


帰りのHRだけは出ようと教室に戻るとそれはそれはみんなに心配されるわ先生に怒られるわで悲惨だった。それでも友人が「なまえと昼休みから喧嘩しててさっき仲直りしてました」とありえない嘘を吐き通したためお咎めはなかった。

「よし、気分転換にゲーセン行こ」

そういきり立っていた友人だったけど、思わぬ来訪者によってそれは阻まれた。

「悪い、なまえと話したい」

半年前に別れた元カレだった。


付き合っていたときこうして二人で帰ったのは確か二回くらいしかなかった気がするし手を繋ぐこともなかった。それくらい、彼と私の関係は薄かったのだ。

「一緒に帰んの久しぶりだなー」

私の胸中なんて知るよしもない楽しそうな彼に、私今それどころじゃない、なんて言えるはずもない。本当に今日は災難だ。一体みんなして何なの。ひっそり思っていると彼は突然真剣な顔で呟いた。

「黒尾となんかあったろ」

的を射た言葉に思わず顔が強張るのが自分でもわかった。それを見て「やっぱりな」と溜め息を吐かれる。

「最近話してないらしいじゃん。お前の友達の彼氏から情報横流しだからさ」

文化祭の時にも思ったけれど本当に悪趣味な男だと思う。だけど少なからず心配してくれているのが伝わって無下にもできない。

「振られた?」

言葉を選ぼうとして、だけど直球で来た言葉に「それ以前の話」と返す。私と黒尾の間には最初から何もなかったし、何も始まらないまま自覚したときには始める余地もなかった。それだけのことだ。

「俺文化祭のときお前に振られたじゃん」

あのとき確かごめんって言って逃げ出してしまったんだっけ。そのあと黒尾が一緒にいてくれた。そしてそれを彼は見ていた。そのあと彼からは何もなかったから当然あの日で全て終わったのだと思っていた。なのに何で今更。
あの日の黒尾を思い出すと胸が痛い。言いたいこと言えって黒尾に言ってもらったのに何で肝心なときにその勇気を振り絞らなかったのかと後悔が押し寄せる。

「俺も一回お前のこと振ったし、まあ五分五分かなって思ってる。振った女が誰かに取られるっていうヤキモチだったしあのときの俺は振られて当然だって今は思ってる。都合よすぎたもんな」

寂しそうに笑った彼を見ていられなくて俯く。何で今その話するの、と聞きたいけれど彼の様子を見ているとそんなことも言えない。

「でもさ、つらそうなお前見て『俺が幸せにしてやりたい』って思った。あー俺ちゃんとお前のこと好きなんだなって気付いた」

あのときの私達は、恋愛をしたいだけの高校生だった。お互いを好きだと心から思っていなかったし、そもそも心からの好きっていう感情も理解していなかったんだろう。でも、今は違う。

「今でもなまえのこと好きだ。弱ってるとこにつけこむ気はないけどより戻してほしい」

突然頭を下げてきた彼に動揺するも、彼の後頭部やつむじを見ていると彼が告白してきた日のことを思い出した。そしてあの日の彼より今の彼のほうが私を好きでいてくれてるのにも嫌でも気付いた。だけど。

「ごめん」

私は心からの好きに気付いてしまった。それは今目の前にいる人じゃない。それにも気付いてしまった。心からの好きは、目を逸らしたくなるほどの好きだって気付いてしまった。だからこそ、心から好きになってくれた人を弄ぶようなことはできない。誠実な言葉を受け取ったからこそそう思った。

「やっぱり黒尾がいいの?」
「うん……」
「そっか」

しばらくお互い無言が続いたあと「ま、幸せになれよ」と彼が無理に笑っていた。ごめん、ほんとに。文化祭のときはただただ嫌だと思ったその言葉の重みに気付いたからこそ、軽率には受け取れない。好きになってくれた人を好きになれていたらどれだけ楽だっただろう。それができないから恋なんて気持ち、気付きたくなかった。

「お前がいい女だってことは俺が一番知ってる」
「一回は振ったくせによく言うよ」
「だからこそ知ってる」

お互い本当は泣きたかったのに、瞳に涙を溜めたまま笑い合う。彼とこんな風に笑い合える日が来るなんて思ってもみなかった。

「でも友達としてなら付き合ってあげてもいいかな」
「うわ、お前そんな嫌な女だったっけ」
「嘘だよ」

付き合っていたときより、そして別れてすぐのときより、今のほうがいい関係なんじゃないかと思う。だからこそ言いたいことがある。

「でもありがとう」
そう言うと目を丸くした彼の顔は情けないのに少しだけかっこよく見えた。好きだとは思えないけど。

「あーもう惨めになるからやめろよ」

そう言って軽く小突く彼と、もし半年前にこんな風に言いたいことを言い合えて腹の探り合いみたいなことしてなければきっと今でもいい関係で付き合えていたかもしれない。でもそうなるまでに、黒尾がいなければ今の関係にはならなかったんじゃないかとも思う。直接的に関係はなくとも、そうに違いない。

「俺ももうお前のこと吹っ切るから、お前もがんばれよ」

そう言って去っていく彼の背中は、少しだけ頼もしくて、初めて「逃した魚は大きかったかもしれない」なんて思った。だけど私は、それ以上に好きになってしまった人ができた。例えそれが叶わなくても、黒尾の代わりなんてどこにもいない。痛みごと携えてこの恋を大切にしたい。玉砕覚悟で誠実な告白をしてきた元カレに勇気をもらえたから、私は自覚した恋に正直になりたいと思った。



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