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修了式が終わってからの春休みは短くて、休みを謳歌するには不十分だった。そんな短い春休みでも先生は嫌がらせのように宿題を出してくる。時折友人の家に行って一緒に宿題をやったり駄弁ったり遊びに行ったり、束の間の休息は予定で詰め詰めだった。
三年生にはクラス替えがない。ただ階が下になっただけの新しい教室に行くと当たり前だけど代わり映えのない顔ぶれが揃っていた。勿論、黒尾も。
黒尾とは春休み中一度も会うことはなかった。またあの日みたく突然呼び出されるんじゃないかと頻りに携帯を確認するも、受信するのはクラスのグループか友人だけだった。春休みも部活で忙しかったのか、黒尾や夜久がグループの話に入るのは極めて少ない。だからこそたまに知らせる黒尾の言葉をつい何度も読み返してみたりもした。私一人に宛てた言葉じゃないにしても。ある意味奇行なのかと疑うほど私の行動が異常なのかとも思ったけれど、その行動を裏付ける自分の気持ちには未だ見ないふりをしていたかった。

明日は入学式があるとのことで体育館は使えなくて、二・三年は午前で始業式を終えてさっさと帰された。その途中でたまたま先生に捕まって入学式の準備を手伝わされる。友人は捕まる前に早々に逃げ出してしまい一人で黙々と作業をする。裏切り者め。教室で一人花紙を折っていると突然教室の戸が開いた。

「ビビった、幽霊かと思ったわ」

入ってきたのは黒尾で、会話をするのも数週間ぶりのような気がする。たったそれだけの期間なのに久しぶりに感じるのも異常な気がした。

「ほんと失礼。はい、黒尾暇なら手伝って」

私の前の席を指すと大人しく席に着く黒尾。後ろ向きに座っているその姿勢に、いつかの会話を思い出したりもした。
二年の、夏休み明け。彼氏に振られた日のこと。初めて黒尾とまともに喋った日のこと。
思えばあの日から私達は急激に仲良くなって、今では気の置けない関係である。だけど大事なことは隠しているような、そんな関係。ぼんやり黒尾の伏せたまぶたを見つめていると、突然顔を上げられて思わず肩を揺らした。

「言い出しっぺがサボってんじゃねえよ」

不審そうな目で睨まれて長い指で頬をつねられる。割と本気でつねられたためなかなか痛いけれど、その刺激でぼんやりしていた思考が覚めた。改めて思うと恥ずかしい。思うところはあるけれど作業を再開する。
あの時はこうしてお互い言いたいことを言い合える関係になることなんて、想像していなかった。そして少なからずお互い、異性として近い位置にいる。自惚れだとしてもそうは思わずにいられない。
ねえ私のことどう思ってるの。気を抜いたらいつかぽろっと出てしまいそうな言葉をいつも言えずに、そんな言葉すらも大切だった。だから隠していた。もしそんなことを言ったとしたら、黒尾はどんな顔をして、なんて言うのだろう。その先が、なにより怖かった。

「つうか何でお前一人で残ってんの?なんか悪いことしたの?」

とんでもなく失礼なことを言ってきた黒尾にムッとしつつ、
「私一人逃げ遅れたから一人で手伝ってんの」と返す。

「うわ、鈍臭えな」

楽しそうに笑った黒尾を無言で睨むも、それすらも楽しいのか黒尾は相変わらず笑っている。悔しいけれど、春の柔らかい日差しの中で笑っている黒尾に胸が高鳴ったなんて、絶対に言えない。

他愛ない会話を交えつつ山盛りになった紙の花達を職員室に届けると二人で教室に鞄を取りに行った。すぐ帰るのかな、なんて思っていたけれど、黒尾は去年よりも地面に近づいた窓の外を見つめている。
上級生になる度に階が下になるのは、地に足の着いた大人になれという無言の圧力なんじゃないだろうかと思う。たった数週間で少しだけ背が伸びた気がする黒尾を見てなんとなくそう思った。

「お前と初めて話したときのこと覚えてる?」

黒尾が依然窓の外を見つめたまま言った。私も似たようなことを考えていたので少しだけ動揺したけれど「覚えてるよ」と遅れて返す。

「あんとき振られたーっつって一人でぼーっとしてたよなお前」

こちらを向かないのでどんな顔をしているのかわからないけれど、楽しそうに声を弾ませた黒尾に「うるさいな、もうとっくに立ち直ってるから掘り返さないでよ」と返す。

「なんだっけ、“青春黄昏ごっこ”とか言ってたよな」
「あーもうやめて、思い出したくない」
「あれ聞いたとき俺『みょうじさんて意外と頭おかしいんだな』って思ったよな」
「なにそれ、超失礼」
「あと、謳歌してない青春を味わおうキャンペーンだっけ?あれはもう不思議ちゃんかと思ったな」

確かあのとき私は黒尾に「私のことをどんな人だと思っていたのか」と聞いたんだ。そのとき黒尾は「しっかりしててあんまりうるさくないやつ」と答えたんだった。その会話を思い出して私も小さく笑う。たった半年、夏の終わりから冬を通りすぎ春になって、あんなに消沈していたはずなのに今では笑い話になっている。時間の進みは怖い。

「なあ」

黒尾が振り向いて、まっすぐに私と目を合わせる。鋭い視線に射抜かれたように動けなくなって、私も黒尾の目をじっと見つめ返した。

「お前の“青春を味わおうキャンペーン”ってまだやってんの?」

あり得ないくらい真剣な黒尾の目に、またしても鼓動が大きく脈打った。いつもなら変な空気にしてくる黒尾に「随時募集中でーす」とか軽く言い返すはずなのに言葉がすぐに出てこない。
もし、もしもの話。
「一緒に青春してください」なんて言ったら、目の前の黒尾はなんて言うのかな。
そんな風に考えた。

だけど相変わらず言葉が出ない私に業を煮やしたのか、黒尾は私から視線を逸らした。

「わり、何でもねえ。さっきの忘れろ」

完全にタイミングを失ってしまった私は、きっと間抜けな顔をしていたに違いない。黒尾はちらっと私を一瞥して「用あるから先帰るわ」とさっさと鞄を引っ掴んで教室を出ていこうとした。その一瞬、黒尾が見たことのないようなひどく苦しそうな顔をしていて、何も言えなくなった。
でも。
今、今言わないでいつ言うのみょうじなまえ。
そうは思うのに、私の口は役立たずで出てきたのは「じゃあ、またね」なんて当たり障りのない言葉だけだった。

「気をつけて帰れよ」

私の方を振り返らないまま、後ろ手を上げた黒尾の背中を見送ったあと、私は机に突っ伏した。
今日も、一緒に帰るんだろうなって、そんな風に勝手に思っていた。約束したわけじゃない。用があるのは本当かもしれない。でもあんな会話のあと、あんな顔をされたら。
嫌われたんだ、私。
そう思った。さっきまで高鳴っていた胸が刺されたように痛い。
だけど当然の報いのような気がした。私は、高を括ってた。
私は、言葉が出なかったんじゃない。勇気が出なかったんだ。
どんな気持ちで黒尾はあんなこと言ったの。どうしてあんな目で見つめてきたの。期待しても、よかったの?
もしもそうなら、どうしてさっき私は何も言わなかったんだ。せめていつもみたいに軽く言い返してたら、黒尾にあんな顔させなかったんじゃないの。なにやってんの私。

後悔はあとからあとから沸いて出て、涙となって私の頬をしっとり濡らしていった。

次の日から、黒尾が私と目を合わせなくなった。



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