19

手を繋いだとは言ってもあれから黒尾とは何事もなく一ヶ月が過ぎた。期末テストも終えてもうすぐ修了式を迎え三年生になる。気だるい日々が続いた。
放課後にいつものように友人とファストフード店でおしゃべりしているとふと携帯が鳴った。メッセージの受信を知らせるその着信を確認すると予想外の人物からで思わず携帯を落としてしまった。

「えっ、なに、どしたなまえ」

驚きすぎて口をパクパクさせていると友人に携帯を奪われる。取り返そうとするも寸でのところで惜しかった。

「『部活終わったらお前ん家の近くのコンビニ来い』ってさー!!え?なに、遂に?」

見られたくなかった、こんなの勘違いされるだけじゃん。なんてタイミング。ていうかなんで今日。ていうかなんで黒尾。黒尾からこうして個別にメッセージが送られてきたのは初めてでどうしていいかわからない。ていうか、ほんとなんで。
声にならない叫びを続けていると、器用に汲み取った友人が「別にクラスみんなの連絡先入ってんだから今更じゃん」と呆れたように続ける。そうだけど!でも違う!

「私なんかしたかな……」

なんて返そう、と眉間に皺を寄せながら携帯を睨んでいると友人がニヤニヤして言う。

「ていうかあんたらいつになったら付き合うの」
「はあ!?なに言ってんの、変なこと言わないでよ」

グラスを持つ手は震えるしストローを通るメロンソーダが気管に入るしで動揺を隠しきれなかった。一ヶ月前のことは友人には言っていない。「チョコ渡せた?」と言われて頷いただけで、まさか帰り手を繋がれたなんて言った日には大騒ぎするのは目に見えている。隠しているわけでもないけど言えない。ていうかほんとなんで。言いたいことはそれだけだったけれど私は素直に「わかりました」とだけ返した。ていうか黒尾部活中じゃなかったのかな。


友人と別れて、暗くなった帰り道を歩く。少しだけ日が長くなった。もうすぐで春が来る。そんな気がした。なんとなくいてもたってもいられなくなって来た道を引き返す。さっきまでいたファストフード店も通りすぎて、学校まで。なんで学校来ちゃったんだろう、とは思うけれど、こうして一人校門の前で立ち竦むのも私がやりたかった青春の一ページ。こうやって誰かを待ってみたかった、それだけ。深い意味なんて、絶対ない。
やがて野球部やバスケ部が私の横を通り過ぎて行って、遂には見慣れた赤ジャージがちらほら出てくる。連絡、してみようかな。
〈学校来ちゃった〉と送ってすぐに着信。今度は電話だった。え、なんで電話。慌てふためくも無視するわけにいかず一呼吸置いて電話に出た。

「もしもし…」

咳払いしてから出たにも関わらず掠れた声が出た。うわ、恥ずかしい。

『お前今どこいんの?』
「校門前」
『わかった、そこいろ』

一方的に切られた電話に、これメールじゃだめだったのかな、なんて思う。打つの面倒だったのかな、とも。思考を巡らせていると今度は見慣れた長身が一人で出てきた。私を確認するとびくっと肩を揺らしたのが見て取れたのがおもしろい。

「お疲れ」
「おう」

何だかこの会話も久しぶりで、だけどぎこちない。そういえば一ヶ月ぶりだ。先月は確か私が呼び出したのだ。つい手を繋いだことも思い出してしまって一人赤面する。悟られないように下を向いて唇を噛んだ。

「なにしてんのお前」

腰を屈めて顔を覗き込もうとしてきたので「なんでもない」と慌てて顔を上げる。そういうことしないでほしい。ほんと心臓に悪い。

黒尾と並んで歩くのも少しだけ慣れたけれど、呼び出された用件がいまいちわからなくてさっきから前を向いたままの黒尾をちらりと盗み見る。その横顔は相変わらず何を考えているのかわからない。

「お前何で学校来たの」

いきなり話しかけられたので思わず上擦った声が出る。さっきから何なの私の声帯、仕事しろ、と言いたくなる。

「さっきまで友達といたの、近かったから来ちゃった」
「ふーん」

聞いてきたくせに大して興味がなさそうに返されて、本当に意味がわからない。別にこうして呼び出されるのも二人で帰るのも嫌じゃないけれど、何を考えているのか教えてほしい。どう思ってるのかも、教えてほしい。
結局大した話もしないまま角を曲がればすぐに私の家、というところで「なあ」と黒尾が声を掛けた。

「なに?」
「いや……」

珍しく煮え切らない黒尾に首を傾げる。こんなのいつもの黒尾じゃない。一体なんなの。一日を通して何やら様子がおかしい黒尾を見上げているとふと手を取られてあからさまに動揺してしまった。

「目ぇ瞑れ」
「え?なんで」
「いいから」

目を閉じたら少し遠くの車の音しか聞こえなくて、右手から感じる黒尾の手の温度しか感じなくて、黒尾の動きを感じる度に心臓が脈打った。手のひらに乗せられた紙のような感触に眉をしかめると「もういいぞ」と許しを得たので目を開けてみる。

「なにこれ?」
「開けてみろよ」

黒尾を見上げるも、黒尾は目を逸らしていて視線が合わない。小さな紙袋を開けてみるとヘアピンが入っていた。

「え、なに、どうしたの」
「うっせえ、黙ってつけろ」

くれるのかな、と思っていたヘアピンをあっさり黒尾に引ったくられ「じっとしてろ」と言われ前髪を横に流される。額やまぶたに触れる固い指の腹の感触と、真剣な黒尾の瞳にどうしていいかわからない。じっとしてろなんて言われなくても、こんなの動けるはずがない。
つけ終わったのか満足そうに額の一点を見つめられて「ねえ、なんで?」と声を掛けた。いきなりこんなのもらう理由なんて見当たらない。

「先月」

そう言って目線を逸らした黒尾を不思議に思って眺めていると、またゆっくり交わる視線。

「お前からチョコもらっただろ」

照れ臭そうに頬を掻く黒尾に、なんて言っていいのかわからない。忘れていたけれど今日はホワイトデーで、あげたことで満足していた私は当然お返しなんて全く期待していなかった。嬉しいけれどいきなりすぎる。それにチョコをあげた代償がこれって大きすぎるんじゃないだろうか。世間じゃ「三倍返しは基本」なんて言うけれど私達はまだまだしがない高校生だ。黒尾にチョコをあげた人なんて私以外にもいるだろうに。そんな考えが伝わったのか、黒尾は続けた。

「言っとくけどお前にしかやってねえからあんま言うなよ」

と釘を刺された。言えるわけない。ていうかさりげに今なんて言った。

「ちょっと待って、色々待って」
「うるせえな、黙って貰っとけよ。お前の前髪邪魔そうだから見てるこっちが気になんだよ」

いつもなら「いや黒尾の前髪に言われたくない」とか返すんだろうけどそんなこと言えない。その代わりにちゃんと本心から言えたのは「ありがとう」の一言だった。
一人でこれ探しに行ったのかな、とか、買うとき恥ずかしくなかったのかな、とか、あの図体で雑貨屋は目立って仕方なかっただろうな、とか色々思うことはあるけれど何よりも「私だけ」なのが嬉しかった。それが本当でも、本当じゃなくてもどっちでもよかった。一人で頬を綻ばせていると「にやけてんじゃねえよ」と黒尾から貰ったヘアピンによって剥き出しになった額を弾かれる。運動部男子のデコピンはそれはそれは痛かったけど、今はそんなのどうでもいいしちょっと照れてる黒尾にだけは言われたくないと思った。

居たたまれなくなったのかさっさと家の前まで送られて、黒尾の背中が見えなくなるまで見送っているとすれ違いに父親が帰ってきたのを見て慌てて家の中に入った。黒尾と私は父に咎められても何も疚しいことなどないけれど、だからと言って何もないとは言い切れない関係なんじゃないかなと私は一人舞い上がっていた。



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