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修学旅行が終わってからの二学期はあっという間だった。まだ沖縄に心を奪われたままの二学年の期末テストは過去最悪で補習組が後を絶たない。私も過去最低点を叩き出したうちの一人だったのだけど、特に冬休みの予定がない私も友人達と共に補習を受けることにした。
しかし蓋を開けてみるとその補習はなかなかに鬼のスケジュールである。年末年始以外はほとんど補習に追われることになる。勿論、クリスマスもだ。

「何でクリスマスに補習なのよー」

と、休憩時間にお菓子をかじりながら友人が溢す。その友人の彼氏もまた補習のため、一緒に帰ってそのままデートするという。

「補習のあとに予定あるだけいいじゃん。私となまえなんてなんにもないんだからねー」

そういう友人もつい先日彼氏と別れたばかりで、今日は補習帰りに二人寂しく遊びに行こうと話していた。

「え、なに二人予定ないの?じゃあ女子会しようよー」

と、気付くとクラス中の女子が集まり、みんなでカラオケに行こうと騒いでいると男子もそれに乗っかってきた。
文化祭が終わってから、クラスの団結力が上がった気がする。そしてその後の修学旅行。クラスが変わって随分経ったのもあるけれど、男女隔てなく仲良くなれている。だけどこうして放課後にみんなで遊びに出るのは初めてだ。


補習が終わってそれぞれ一度帰ったりご飯を食べたりして3時頃に全員合流した。即日予約にも関わらず大部屋が空いていたので運がいいのかもしれない。あまり歌うのが得意じゃないので、入口に近い席でせっせと注文を頼んだり来たものを回しているとドアが空く。一通り頼み終わったし、ドリンクバーだから注文はもうないはずなのに。そう思って見ると、ジャージ姿の黒尾と夜久がいた。

「お疲れー」

部活帰りの二人も誘ったらしい男子が声を掛ける。まさか二人も来るとは思っていなくて驚いた。
適当に空いている席に腰かけようとする二人に、近くにいた男子が「お前でかくて画面見えなくなるからみょうじの隣な」と黒尾に言う。
クラスの団結力が上がったついでに、クラス全体で私と黒尾をさりげなくくっつけようとしているのを最近ひしひしと感じる。
前まで女子同士で冷やかされるだけだったのが男子も混じることで冷やかしに留まらなくなったのだ。しかも男子の場合、茶化しているというより割と本気でグイグイ来るのでどうしていいのか余計にわからない。

「部活お疲れ」

隣に腰かけた黒尾に声を掛けると聞こえなかったのか私の口元まで耳を寄せた。男子がちょうど、流行っているアイドルの歌を入れたのでみんな盛り上がっていたところなのだ。もう一度言い直すと、今度は聞こえたらしい黒尾はにやっと笑った。

「お前も補習お疲れ」

補習、という単語をいやに強調してきたのでカチンと来たけれど、事実なので返す言葉が見当たらない。

「黒尾は補習じゃなかったの?」
「夜久大先生のスパルタで部活優先」

そういうことか、と一人納得しつつチラリと夜久の方を見る。ああやってにこにこしてるし、実際誰にでも気がねなく優しい夜久だけど、厳しいときはとことん厳しいらしい。だけどその厳しさは夜久の優しさから来ていることをみんな知っている。練習時間を補習に費やすなどもっての他、そのために夜久は心を鬼にしたに違いない。

「夜久ってほんとしっかりしてるよね」
「なに?夜久に惚れた?」
「はあ!?違うから」

部屋を大音量が包むなか、黒尾と顔を寄せあって話す。お互いなかなかに声を張っているつもりでも、周りの騒音の方が圧倒的にうるさいため仕方ない。アイドルの歌が終わって、女子が少し前に流行ったドラマの主題歌を歌い出す。テロップをぼんやり目で追っていると黒尾が私の耳元まで近寄る。

「お前なんか歌わねーの?」

黒尾の手元には、いつの間に回されたのか曲を入れる電子機器を膝に乗せている。チラリとその画面を見ると人気の女性歌手の名前が打ち込まれていて、まさか私に歌わせる気だろうかと思わず眉をしかめる。

「歌うの得意じゃないの」

サビに入ってより音量が上がったバッググラウンドに負けないように黒尾の耳元で叫ぶ。黒尾はつまらなそうな顔で手元の電子機器に視線を落とすと、履歴を流し見る。

「あ、私これ好き」

男性歌手の曲を指さすと無言で転送ボタンを押されビックリして黒尾を見上げる。涼しい顔してまた画面のテロップを見ている横顔は、相変わらず何を考えているのかわからない。そういうつもりで言ったんじゃないのに。

3、4曲目に黒尾が入れた曲が回ってきて、マイクを通して「次誰ー?」と叫ばれると「あ、俺だわ」とマイクを受け取る。「あー黒尾これ好きだもんな」とマイクを渡した男子が言っていたのも聞き逃さなかった。
まただ。また私は勝手に何かを期待していた。無意識に、当たり前のように。そんな自分に気付く。
イントロのときに「こいつ歌うめーんだよ」と逆隣にいた男子が教えてくれたけど、確かに黒尾は歌がうまかった。だからこそ余計に、自惚れた自分が恥ずかしい。きっと黒尾は私がこの曲を好きだと言わなくても入れるつもりだっただろうし、いつも何となく歌っていたのだろう。黒尾の器用さに気付く度に、自分の期待の浅はかさが浮き彫りになる。
好きな曲だったけれど、その歌詞を目で追う気にはなれなかった。

歌い終わった黒尾は「これ初めて歌ったわ」とボソッと呟いた。またしても勝手に意気消沈していた私は、思わず顔を上げる。

「そうなの?」
「まあ俺も好きだから余裕だけどな」

どや顔の黒尾にいつもなら言い返すのだろうけど、何て言っていいのか正直わからない。でも嬉しいと思ったのは事実だった。


一頻り騒いで解散した帰り道、またしてもクラスの男子が黒尾に私を送るよう言いつける。何で、と思ったけれど、黒尾は軽く言い返したのち私を振り返って「ほら、行くぞ」と急かす。それが日常というか、当たり前のことみたいに。
黒尾と一緒に帰るのは修学旅行から戻ってきた日以来でこれが二度目になる。何も当たり前のことなんかじゃないのに、だけど別に非日常ではない気もするから不思議だ。
並んで歩く黒尾はポケットに手を突っ込んでいて、時折「さみーなー」と言うくらいで別段変わったところはない。私もそれに相槌を打ちながら手持ち無沙汰にセーターの袖を引っ張る。

「てかお前さあ、何が悲しくてクリスマスに補習受けてんの?」

不意にクリスマス、という単語を出されて思い出したけれど今日はクリスマスである。突然のクラス全員参加カラオケも元を辿ればクリスマスに予定がない人で集まった結果だ。楽しすぎて忘れていたのだ。大きなプレゼントを抱えて帰るサラリーマンやイルミネーションを施している近所の家、そういうものが途端に意味のあるものに見えてくる。


「クリスマスどころか年末年始以外ほとんど補習だよ」
「まじかよ、暇だなお前」
「ぜんっぜん暇じゃないから、暇そうに見える?」
「デートに誘ってくれる男もいない位には暇そうだな」

今日来れなかった友人や、街ですれ違った数々の恋人達を思い出し、自分にはそういう人がいないのだと痛感する。だけどもしかしたら、こうして黒尾と並んで歩く私もそう見えていたのかな、なんて思ってすぐにその考えは捨てることにした。

「いいもん、デートしなくてもみんな遊んでくれるもん」
「それもいつまで続くんだろうな?そうやって甘えてるとお前だけ行き遅れるぞ」

楽しそうに笑う黒尾にムッとして、つい「そういう黒尾だってクリスマスなのにデートしてないじゃん」と言い返すと、突如訪れた沈黙。
何かまずいことを言っただろうかと慌てて黒尾を見上げると、無表情のまま真っ直ぐ前を向いていた。私のことなんか1ミリも見えていないんじゃないか、そう思うくらい、真っ直ぐに。

「俺はいいんだよ、部活あんだから」

一瞬張り詰めた空気が和らいで少しだけ安心したけれど、何となく、私は黒尾のことを何も知らないんじゃないかという気持ちになった。知りたいとも思った。さっき何を考えていたのか、何を思い出していたのか、誰を、思い出していたのか。
だけどそれを聞く勇気も、何故黒尾の考えていることを知りたいと思ったのか知る勇気すらないのだと思う。だから私はこうしていじいじ袖を引っ張ることしかできない。

「あ、」

黒尾が声を上げたので私も思わず顔を上げる。と。

「雪だあ」

さっきまでしょんぼり落ち込んでいた自分とは打って変わって今度は思わず嬉しさに声が弾むのがわかった。見慣れないその白が、ゆっくりゆっくり落ちていく。今日は随分冷えるとは思った。

「ホワイトクリスマスだ」

と、さっきまでクリスマスなんて記憶の彼方に放り投げておきながら都合よく引っ張り出して言うと黒尾は苦笑いを浮かべた。

「何でお前となんだか」
「すみませんね私でー」

そう言いながらも、黒尾も少し興奮しているのか口元が弧を描いている。気づいてないんだろうなあ、おもしろいな、と一人ほくそ笑みながら、積もることのなさそうなこの雪が積もることや、それが溶け出した頃のことを考えた。
募ることを拒んだこの気持ちが募ったとき、そしてそれが溶け出したときのことを少しだけ思った。
真っ白な雪は真っ黒な私の心まで覆い尽くしてはくれないだろう。
だけどこうして黒尾とこの景色を見ることができたことに少なくとも私は感動していた。



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