6日目


 夕方のお祭りのために早めに田んぼから撤収した。貴重な若い男子ということで、信ちゃんは御神輿を担ぐことになっているらしい。お祭りを楽しむ側だった信ちゃんも今や楽しませる側になった。真顔で担ぐんやろな、おもしろそうやから私も写真撮っとこ。

 結仁依さんから信ちゃんのお姉ちゃんが着なくなった浴衣を着ないか聞かれたけど暑いし動きづらいからやめた。結仁依さんだけじゃなくおばあちゃんにまで「ナマエちゃんの浴衣久しぶりに見たかったなあ」と残念がられた。思えばここに来てからきれいな格好してない。

 お祭りにはおばあちゃんと行った。はぐれんように手を繋がれそうになった。高三にもなって勝手にどっか行かんわ。ヨーヨーすくいやらんでええの? とか、射的やらんの? とか、お面買うたるよ、とかめっちゃ言われる。高三にもなってやらんしいらんけど、何かしら甘えておかないとおばあちゃんの気が済まなそうなのでりんご飴を買ってもらった。甘くておいしいし見た目もかわいいけど絶妙に食べづらいのに、なんでみんな食べたがるんだろうと思いながら、友達とお祭り行くときはみんなして毎回買ってしまうのはなんでなんやろと思う。今日は友達と一緒やないのになんで買ってしまったんやろ、と微妙に後悔しながら人混みから離れておばあちゃんと座っていると結仁依さんたちと合流する。

「信ちゃん神輿担ぐの初めてやろ」
「せやねん。楽しみやわあ」

 結仁依さんはもちろんカメラまで持参している。何歳になっても、高校を卒業しても、私も信ちゃんもいつまで経っても孫で子供なのだと改めて思い知る。

「ナマエちゃん、信ちゃんの法被見た?」
「ううん」
「見て、家出る前にな、撮らせてもろたの」

 そう言って結仁依さんが見せてくれた法被を着た信ちゃんの写真は、やっぱり真顔でピースしている。だからなんで笑わんの。見てるこっちが思わず鼻で笑ってしまう。それをおばあちゃんと結仁依さんは、何か別の勘違いをしたらしい。

「それにしても信ちゃん久しぶりに会うたらかっこよくなったやろ」
「……まあ」
「信ちゃんかっこいいのにええ人おらんのやろ? この辺若い人おらんからもったいないよなあ」

 おばあちゃんと結仁依さんが柔らかい笑みを向けながら静かな圧をかけてくる。どういう意味や。信ちゃんは確かにかっこよくなったと思うけど、私と信ちゃんはそういうのではないだろう。たぶん信ちゃんも絶対ないって言う。日中あれだけ一緒にいても、泊まっても、一度たりともそういう甘い空気にならないしそういう目で見たこともない。たぶん信ちゃんも同じだろう。信ちゃんはもっと、真面目で大人しくて清楚で控えめで素直で素朴な女の子が好きそうだし合っていると思う。真面目で大人しくて清楚で控えめで素直で素朴な女の子が信ちゃんのあの性格に畏縮してしまわないかは別として。……そう考えると、あの信ちゃんに物怖じせんとバシバシ言い返す私ってそれなりに信ちゃんと合ってるんかもな、とか思ってしまう。いや、ないな、ないない。私だって年上で落ち着いてて優しい人がいい。年上で落ち着いてて優しい人が私を選ぶかは別として。

 そんなことを考えているうちに遠くから御神輿がやってきて、やがて私たちの前を通りすぎていく。やっぱり信ちゃんは真顔で、結仁依さんはそれでもうれしそうにカメラを向けている。結仁依さんが静止画撮るだろうから私は動画で撮っておく。何もかもつまらんみたいな顔は、見ようによっては真剣な表情にも見えてくる。ただの爽やかな青年に見えてくる。別に異性として意識はしてないけど、なんとなく勝手に気まずくなっているとスマホ越しに信ちゃんと目が合う。あとで怒られそうやからそれとなくスマホごと目を逸らした。変に意識してしまうのはおばあちゃんと結仁依さんがあんな話をしたせいだ。



 祭りの終わりには花火が上がる。御神輿の練り歩きを終えた信ちゃんも合流して、なんとなく勝手に気まずくなって、そろりと抜け出そうとしたら信ちゃんが着いてきた。

「どこ行くん」
「……なんか飲み物買ってくる。ほしいもんあるんやったら買ってくるよ」
「ほな俺も行くわ」
「いらんて。疲れてるやろ」
「こんぐらいで疲れんわ」

 人混みの中を並んで歩く。深い意味はないと思う。ただはぐれんように、迷子にならんように見張られてるだけで。

「ちゃんと飯食うたか」
「食べたよ。焼きとうもろこしとりんご飴」
「足りんやろ」
「人混みで酔ったんかも、お腹空かん」
「しょうもないな」

 あんまり会話をしなくても間が持たないとか、そういうことすら気にならないのは人混みだからだろう。信ちゃんと会話しなくても、周りが勝手に騒いでいてくれる。
 このお祭りには、地元の人も、帰省してきた人もいる。誰も彼もが楽しんでいる。笑っている。私の地元のお祭りよりも質素で小さなお祭りなのに。私の地元のお祭りでだって、たぶんみんな楽しそうに笑っていたのに。周りの目を気にしているつもりで生きていたのに、結局私が気にしていたのは周りに自分がどう見えているかということだけで、周りの人が今どういう気持ちで何を背負っているのかなんて気にしたことなんかなかったのだと思い知る。

「……考えてることがあって」

 ひととおりほしいものを買い終えて、おばあちゃん達のところに戻る道すがら、なんとなく話してみたくなった。信ちゃんは静かに視線を向けただけで、相変わらずあんまり興味がなさそう。でも過度に期待されても困るくらい、自分でもまだ漠然としているからこれくらいの反応がちょうどいいし助かる。

「卒業したら何したいかとか何ができるのかはわからんけど、行きたいとこっていうか住みたいとこはあって」
「おん」
「ここにおりたいなって思ってて」
「ええやん」
「でもここに住む理由みたいなのうまく説明できんし、ここにいて何したいのとか何ができんのかはわからんけど、とにかくここがよくて」
「じゃあうち来るか?」
「……はあ!?」

 思わず大きい声が出た。周りの方々ごめんなさい。私はひとり赤面していたのかもしれない。信ちゃんは相変わらずの無表情で「あ、深い意味はないで」と断りを入れてくる。やっぱりおばあちゃんと結仁依さんがあんな話をしたせいだ、無駄に過剰反応してしまった。恥ず。

「俺もな、夢があんねん」
「夢?」
「毎日食っても飽きん、冷めてもうまい、何と食っても合う、そういう米作りたいねん」
「……すごいやん」
「せやからナマエがやりたいことないんやったらうち来たらええ。雇ったるわ」
「……自衛隊より厳しそうやな」
「ナマエがちゃんとしたらええだけの話やろ」
「できたらやっとるわ」
「できてきとるやん」
「やらされてるだけや」

 信ちゃんが声を上げて笑う。この四日間、毎日早起きはさせられるし宿題やったか確認されるしこのままでは規則正しい真面目な人間にされてしまう。それもいいか、それがいいのか、私は今まで一体何と戦って何に抗っていたんだろう。それも含めて全部くだらないと言い捨てることは簡単だけど、きっと何年か経って大人になって、おばさんになっておばあさんになって思い出したとき、こういう青い自分をいつか愛しく思う日が来るのかもしれない。ふたりで蛍を探しに行った無謀な子供時代を、今の私が懐かしんだように。どれだけ不安で怖くて仕方なくても、いつか笑って話せる日が来るのだろう。

「……明日、帰るよ」
「おん」
「お母さんと話してみる」
「せやな。喧嘩するんやなくてちゃんと話しせえよ」
「それは相手次第やろ」
「お母さんは別にナマエと喧嘩したいわけやないやろ」
「知らん」
「こないだうちにも来たで」
「そうなん?」
「ナマエのこと心配しとった」
「……そうなんや」

 それきり何も言えなくなると、信ちゃんの大きな手で頭を撫でられた。信ちゃんは何も言わなかったけど「がんばりや」と言われたような気がした。
 どう話すべきか、何から話すべきか、まだ答えは出ていない。でもひとりで答えが出ないなら、誰か別の人に聞いてみたらいい。そんな当たり前のことすらせずにひとり、わけもわからないままずっと何かに苛立っていた。不機嫌に黙り込んで、触れたら刺さるサボテンみたいに。そんな私を信ちゃんは押さえつけるでも説き伏せるでもなく、ただ淡々と、正しい大人として振る舞うことで私からひとつひとつ棘を抜いていった。
 明日、地元に帰る。それだけのことなのに、なぜか清々しい気持ちになった。そんな六日目。

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