3日目


 朝、気持ちよく寝てたらタオルケットをひっぺがされてカーテンまで開けられて起こされた。枕元のスマホを見ると五時半。信ちゃんは寝起きとは思えないシャキッとした顔をしている。

「目ぇ覚めたか」
「……覚まされた」
「そうか。はよ顔洗い」

 人ん家に泊めてもらってる身で言ったらあかんけど、ふつう女の子が寝てる部屋に勝手に入らんやろ。泊めてもらってる、っていうのも変か。信ちゃんに泊めさせられたって感じやし。ていうか五時半て。うそやろ。ろくに働きたがらない頭は次々と文句を生成する。
 顔を洗って、一緒に朝ごはん食べて、近所のラジオ体操に連れていかれる。うちのおばあちゃんも毎朝参加してるらしい、信ちゃんに連れてこられた私を見てびっくりしてた。久しぶりに会う近所の人たちにも大きくなったねえってめっちゃ絡まれる。知らん子供に不審者見る目で見られる。寝起きでこれは勘弁してほしい。ていうか信ちゃんのラジオ体操本気すぎてちょっと引く。
 信ちゃん家に戻るとすぐに作業着を着せられて軽トラ乗せられて田んぼに連れていかれる。ガタガタ揺れる砂利道で乗り心地は最悪でおしり痛い。眠い。あくび出る。もう帰りたい。

「昨日夜ふかししたやろ」
「五時半とか人間が起きる時間やない」
「部活の朝練とかあったやろ」
「ない」

 うちみたいな弱小にそんなんない。あっても誰も来ないし私も行かない。そんなんだから全国行けないんだろうけど引退したやつが今さら出しゃばって後輩に朝練せえ言うてもうざいだけやし。朝練したからって勝てるとも限らんし。

 田んぼに着いたら鎌とか渡されて雑草刈りを命じられた。どれが雑草でどれが雑草じゃないのか見分けつかないんやけど。

「全部刈るん?」
「畔のは全部やってええよ」

 ええよ、って簡単に言うけども。めっちゃあるやん。だる。顔に出てたのか信ちゃんは稲の中から静かな圧をかけてくる。

「サボったら許さんからな」
「うざ」
「疲れる前に休憩せえよ」
「どっちや」
「熱中症で倒れられても困んねん」

 じゃあ連れてくんな。朝から頭の中で文句が止まらない。休み休み畔の雑草刈ってたら「そろそろ休憩にしよか」と額の汗を拭いながら信ちゃんが上がってきた。信ちゃんのおばあちゃんお手製のお弁当を並んで食べた。おいしかった。

「うまいやろ」
「うん」
「それうちの米やで」
「……これ?」

 手の中のおにぎりと目の前に広がる田んぼを見比べる。稲は信ちゃんの腰ほどに伸びていて風が吹く度みんな一斉にさらさらと同じ方向に揺れた。

「新米はもっとうまいで」
「いつできるん?」
「来月あたり刈って、そっから加工やから十月あたりやろな」

 米は一年のうち一回しか作れない。小さい頃、田植えの体験をしたときに聞いたことを思い出す。それをいつでも食べれるようにたくさん作って加工して保管して。考えただけで途方に暮れそう。重労働の割に合わん。

「なんで家継いだん」
「なんでって」

 こんな炎天下の中でわざわざ汗水流さなくたって、世の中にはもっと楽に、もっとお金を稼げる仕事はあるはず。少なくとも高校卒業してすぐじゃなくたっていい。大学行って、なんかいいとこ勤めて、会社だるくなったら家継いで、農業は年取ってからでもできると思う。だって農家っておじさんばっかなイメージやし。いくら長男だからって、いやなら弟に押し付けることもできたと思う。
 さすがに言ってはいけないのはわかるから、静かにおにぎりを食べる信ちゃんの横顔を盗み見る。真顔だ。信ちゃんは昔からなにを考えているのかわからないし、子供の頃から年相応の愛嬌というものがなくて怖いと思っていた。子供なのに愛嬌がないから怖いのではなくて、大人になっても怖いのだから単に信ちゃんが怖い人というだけの話なんだろう。

「飯って毎日食うやんか」
「うん」
「ええことあった日も嫌なことあった日も食うやろ」
「嫌なことあったら食べる気せん」
「でも腹減ったら食うやろ」
「まあ」
「そうやって強くなってくんや。心も体も」
「……答えになってへんし」
「ナマエには難しかったか」
「子供扱いすんな」
「子供やろ」
「子供やない」

 悔しいから、なんとか自分で考えてみる。顔もわからない不特定多数の誰かや誰かの成長を支えたいってことなんかな。確かにそれは素晴らしいことなんだろう。でも。
 私が納得できていないのを察したのか信ちゃんは続ける。

「“米なんかみんな当たり前に食うし、作っても誰も感謝してくれへんのにこんな重労働割に合わんな”とか言いたそうな顔やな」
「…………。」

 なんなん、エスパーなん。心読むな。

「俺はそれでええと思てる。毎日飯食えることが当たり前で、特別なことやと思わんのはそれだけで恵まれてるってことや。俺だけが重労働しとるわけやないしな。感謝なんかいらん」

 高校生になって、周りの女の子たちが体型について気にするようになった。別に太ってないのにみんな痩せようとしてた。なんなら少食なのが偉い、みたいな風潮まである。白いごはんを始めとした炭水化物なんて悪の権化みたいに扱われていて、私もなんとなくその感覚に流されていて、一時期全く食べなかったこともある。

「……なんかごめん」
「なんや」
「なんとなく」
「どうせいらんダイエットとかしてるんやろ」
「さっきから人の心読んでくんのなんなん」
「心読まんでもわかるわ。なんやその脚。そんなんで『全国いったら部活やりきったとか思えたんかな』とかよう言うたな。食わんと筋肉なんかつかへんわ」
「うるさいな。信ちゃんにはわからんやろうけど、女子は脚細くするためやったらなんでもする生き物なんや。筋肉なんかついたら太くなるやろ」
「そんな脚じゃ自分のことも支えられんしどこにも行けんやろ。いらんこと気にする前に自分を大事にせえ」

 先に食べ終えた信ちゃんは、食ったら作業再開せえよ、と言って田んぼの中へと戻っていった。自分を大事にせえ、って言葉がなんとなく響いた。これからはちゃんとごはん食べようと思った。



 今日はうちに帰れると思ったのに当たり前のように私は今日も信ちゃん家に泊まるらしい。ちょっとくつろいでダラダラしようとしたら宿題やれって言われるしサボらんように目の前で見張られるしで最悪だった。ほぼ白紙のテキストを見たときの信ちゃんはあまりの衝撃で固まっててちょっとウケた。でもわからないことは聞いたら教えてくれて、信ちゃんて頭いいんやなと感心した。教え方も上手でわかりやすくて、小学生のときクラスで一番頭がよかった女の子のことを思い出した。小学生のときは仲良かったのに、中学に上がってから話さんようになって、高校生となった今、その子がどこの高校に行ったのかすらもわからない。あの子のノートは今もきれいにまとめられているんだろうか。ぼんやり思いを馳せていると「集中せえ」と現実に引き戻される。

 お風呂から上がったら結仁依さんが信ちゃんのアルバムを見せてくれた。この信ちゃんかわいいやろ、と言われても、全部真顔で全部同じ顔にしか見えない。顔立ちだけがちょっとずつ大人っぽくなったりしていてじわじわ来る。笑えよ。でも一枚だけ信ちゃんが笑ってる写真があった。部活の集合写真みたいなやつだった。他の人たちはみんな違うとこ見たりしてるのに、信ちゃんだけは満足そうにバレーボールを持って真ん中で目を細めて笑ってる。変な写真、と思いながら見てたら風呂上がりの信ちゃんが私を見下ろした。

「なに見とるん」
「“思い出なんかいらん”ってなに」

 写真撮ってる時点でめっちゃ思い出欲しがってるやん。突っ込んだら負けな気がするので言わないけど。ていうかこんなメッセージ性強い横断幕見たことない。ふつう「がんばれ!」とか「粘れ!」とか簡単なやつしかないし、と思い至ったところで自分のとこの横断幕になんて書いてあったかが思い出せないことに気がついた。

「うちの監督が“世界一のやつでも同じことしとったら引きずり下ろされる。昨日を守らんと今日なにかひとつでもいいから挑戦せえ”ってよう言うてたな」
「……意外といい意味やった」
「俺はあんま好きやないけど」
「なんで?」
「道は前だけにあるわけやないやろ」

 平然と言ってのけた信ちゃんが悔しいけどすごく大人に見えて、写真の中の無邪気な信ちゃんは他の人よりも小柄で誰よりも笑ってるのに一番大人っぽく見えた。ひとつしか年が違わないのに、信ちゃんはいつも私より先に大人になる。
 いろんなことを簡潔にまとめすぎて逆におもしろくなってる信ちゃんとこの監督の言いたいことも、信ちゃんの言いたいことも、どっちもなんかいい言葉やなって思って、どっちが正しいとかなくてどっちも正解なんやろなって思った。そんな三日目。

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