1日目


 車を二時間も走らせれば着いてしまう、都会の喧騒が嘘みたいなのどかな風景。八月半ばの太陽は地上に容赦なく熱を降り注ぎ、遮ってくれる高いビルひとつない。生ぬるいだけの風。青い草木の匂いや土の匂い。六年ぶりに来る母方の祖母の家は、私の記憶となんら変わりないままだった。

 高校総体で部活を引退した。県予選で一回戦勝って、なんか今年はいける気がするって思ったけどやっぱりだめで二回戦敗退。中学からそれなりに楽しく続けてきたけどなんのドラマ性もない呆気ない終わりだった。
 問題はそのあと。部活ばっかやってきたから、突然与えられた自由な時間の使い道がよくわからなくてただただ暇をもて余す毎日。中学のときは高校でも部活続ける気だったから、結局友達と一緒に遊びがてら練習したり、高校受験のこととか考えていられたけど高校三年生、まじで暇。進路どうすんのとか言われてもこっちが聞きたいくらいで、私がこれからどうしたいかなんて私が一番わかってなくて、進学なのか就職なのかも決められずにいる。

 そんな私を見かねてか、今年のお盆は無理矢理祖母の家に連れてこられた。両親は仕事があるから墓参りだけして帰って、私だけそのまま置いていかれた。仕事あるって言ったって、両親共にお盆休みに入ってることは知ってるからただの体のいい厄介払いなんだろう。進路とか、生活態度とか、そういうので最近母親と喧嘩ばかりしている。

 そんな私でも祖母は快く迎えてくれて、六年ぶりに会う孫がかわいくて仕方ないようだった。たぶんお母さんからなんか聞いてるんだろうけど腫れ物扱いしたりはしない。最後に会った小六のときから祖母の中の私像は止まっているのか、やたら子供扱いしてくるのだけがむず痒い気持ちになる。それでもさすがに祖母とふたりきりというのは間が持たなくて「ナマエちゃん都会の子やもんねえ」と申し訳なさそうにされるのはちょっといたたまれない。田んぼと畑と山しかないような田舎、当然遊ぶところなんかないし遊ぶ友達もいない。と思っていた。

「せや、信ちゃんとこ行ってみたら?」
「……信ちゃん?」
「ちいちゃい頃よく遊んだやろ? 北さんとこの」

 祖母の家の二軒隣に、北さんというお宅がある。米農家を営んでいるお家で、そこに私のひとつ年上の信ちゃんという男の子が確かに記憶の中にいた。祖母が言うには、信ちゃんは家業を継いで家にいるらしい。記憶を呼び起こし、信ちゃんを思い出してみる。
 かわいい顔した男の子だった。でも纏う雰囲気はちょっと近寄りがたくて、しゃべることも悟りとか開いてそうなしっかりした子供。信ちゃん家って農家やなくて実はお寺の子なんやないかなとか思ってた時期もある。
 信ちゃん、おるんや。
 砂利を噛んでしまったようななんとも言えない気持ちが込み上げてきて、家にいてもやることはないので、なんとなく散歩がてら外に出た。やっぱり超田舎。コンビニも、ファストフード店も、コーヒーチェーン店もなくてスーパーでさえめっちゃ遠い。ここには私を急かしたてるものは何もないのだと妙に安心しているうちに田んぼの中にひとりの男性を見つけた。

「信ちゃん?」

 つばの広い麦わら帽子を被って作業をしていた男性がゆっくりと振り向く。心臓が微妙にうるさい。帽子を脱いで、陽の光で透けてしまいそうな銀色の髪が風に揺れる。頬から汗がツー、と流れている。色素の薄い大きな目がこちらを見る。信ちゃんだ、とすぐにわかった。

「……ナマエ?」
「わかる? 七年ぶりやな」

 記憶の中のかわいくて冷たい信ちゃんは、体格のよい精悍な顔つきの大人になっていた。
 信ちゃんと最後に会ったとき私は小学五年生だった。中学に上がった信ちゃんは部活があるからとかで小六のときには会えなくて、なんやつまらんな、って不貞腐れたのを覚えている。
 でも自分が中学に上がって、部活や、友達と遊ぶ方が楽しいなって気づいて、だから信ちゃんは家におらんかったんやなって妙に納得したのを覚えている。現に私も中学生になってから六年も来てなかったわけだし。その信ちゃんが今や家業を継いでずっとここにいるらしい。どういう風の吹き回しなんやろ。

「来とったんか」
「うん。夏休みの間しばらくおるよ」
「髪、なんやそれ」
「染めた」
「あんま似合ってへんな」
「信ちゃん彼女おらんやろ」
「どういう意味や」

 クロックスで畦畔を踏みしめ信ちゃんの方へと向かう。落ちんようにな、と言いながら作業を再開する信ちゃんにとっても私は小五の頃から変わってないんだと思うと悔しい。高三やで、落ちんわ。

「帽子、持ってきてへんの?」
「いらん。髪べしゃってなる」
「誰も見てへんわ」
「私が気になる」
「おしゃれなんか気にしてる場合ちゃうやろ。熱中症なんで」

 なんか、うるさい、信ちゃん。昔からだけど昔より。お母さんみたい。そこまで考えて、なんでここに連れてこられたのかを思い出す。
 父方の祖父母は割と近くに住んでいてまあそれなりに会っていて、母方の方はちょっと遠いし滅多に来れないから、幼心にここは特別な場所だと思っていた。娘孫は祖母にとってもかわいいらしくて、ただただかわいがってくれて、自然豊かな田舎遊びも楽しくて、近所には年の近い遊び相手もいる。年が近いというだけで子供は仲良くなれるものだと大人は思っているらしい。別に信ちゃんと仲悪くなかったけど。そういう環境にしばらく置いたら私も更正するだろうとか、思ったんだろうな。
 なんかむかつく。ここのところ毎日なにかしらが気に入らない。昨日まではお母さんで、お母さんと離れたら解放されると思ったのに今度は信ちゃんが気に入らない。それなのに私は畔にどかっと腰を下ろしている。ショートパンツが汚れるとかなんかどうでもいい。

「脚。虫除けとかしてきたか」
「うるさい、どうでもいい」
「刺されても知らんで」

 結局脚も腕も何ヵ所も刺されて、ついでに日焼けまでしてしまってかゆいし痛いしで泣きを見る羽目になるんだけど、このときの私は文句とか垂れながらくだらない反抗心でしばらく信ちゃんの田んぼに居座っていた。私がいてもいなくてもどうでもよさそうな信ちゃんは私を気に掛けるでもなく仕事をこなして、だけど邪険にもされなかった。そんな一日目。

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