北信介が湖に落ちた。

「ほんでなんでまたこいつ来とんねん!」

 外周から帰ってきた稲荷崎高校バレー部には、通称南ちゃんことだらしない北信介がいた。毎回適当な名前で呼ばれる尾白アランとしてはもう勘弁してほしいと思うのだが、南ちゃんを連れてきた元凶である双子が逆ギレした。

「しゃあないやん! 湖から出てきた瞬間俺らマブダチやんなみたいな空気で俺らんとこ来よったんやもん! お前ちゃうわとか言えへんやろ!」
「どこで優しさ見せとんねん!」
「久しぶりやなボブ」
「アランや!」

 この南ちゃん、決して悪いやつではないのだが如何せんあまりにもだらしなさすぎるのだ。部室は汚すしすぐサボろうとするし人の名前も覚えない。今日暑いしカラオケ行こ、とほざくなど、全国クラスの強豪である稲荷崎高校バレー部の主将としてはあるまじき男である。こうなってはもう部活どころではないので、湖の女神に事情を説明してさっさと元の北信介を返してもらいに行くことにする。暑いし涼しいとこ行こか〜と言うとアホの南ちゃんはすぐその気になるのである意味扱いやすいのだが。
 一同体育館を出ると、「北くんやあ! 北くーん!」と能天気にも声を掛けてきた女子生徒がいた。入学時から今に至るまで稲荷崎高校では知らぬ人はいない、絶世の美少女ミョウジナマエである。どうやら今日も体育館裏に呼び出されていたらしい。

「すまんミョウジさん! 今はあかんねん!」
「尾白くんどないしたん!? なんかあったん!?」
「信介はおるんやけどおらんねん」
「北くんそこにおるやん!? 尾白くんはボケたらあかんやろ全国五本指のツッコミなんやろ!? 北くん言うてたで!?」
「嘘吐け! あの北信介がそないなこと言うか!」

 北から聞いた「アラン全国五本指やで」と言う言葉と普段のアランを見て「尾白くんて全国五本指のツッコミなんやて」とナマエが勘違いしているだけである。一方南ちゃんことだらしない北信介は、なにやらめちゃくちゃかわいい女子の登場に俄然テンションがぶち上がった。

「なんやめっちゃかわいい子おるやんけ! なあなあ名前は? 彼氏おるん? てかライン教えて」
「……北くんがめっちゃ雑なナンパしてきたんやけど!? 北くんどないしたん!? 熱ある!?」
「あったら俺の熱、もろてくれる?」
「ギャー!」

 北信介(とは言いがたい)が指でナマエの顎を掴み、至近距離でそんなことを言われたものだからナマエは赤面して卒倒しかけている。北くんが……私に優しい……? これは夢やんな! と思うが残念ながら夢ではなくナマエが恋している本物の北信介は今頃湖の中である。

「ミョウジさん落ち着け! これは北信介やけど北信介やない!」
「俺は北信介やで!」
「お前は黙っとれ!」

 南ちゃんの腕の中で死にかけているナマエを早々に回収し、この南ちゃんなる男についてなんとか事情を説明した。

「……ってことは北くん今湖の中なん!? 大事件やろあんたらなにしとん!? ていうかあんたら北くんに散々世話になっといてなにだらしない北くんもろてきとるん!? その頭はバレーボールなん!?」
「褒めんといて」
「褒めてへんわアホンダラ!!!!」

 あのミョウジさんが侑にめっちゃキレとる……しかも侑のやつ嫌味に全く気づいてへんどころか褒められてると思ってるさすが頭の中バレーボール……一同ドン引きの光景だがナマエにとってそれどころではない。北くんを助けねば。ナマエもバレー部に着いていく、というか監視することにした。その間も南ちゃんは北信介の顔をして「なあ自分めっちゃかわいいな、アイドルの、誰やったっけ? あの子に似とるよな」とか「なあ〜、デートしようや〜一回だけ! 一回だけでええから〜」とかなんとかナマエの隣で騒いでいる。ナマエは生まれてこの方ナンパや告白はうざいほどされてきた。そんな中、王子様のように颯爽と現れナマエを涼しい顔で助けてくれた北信介に恋をしてこの手のチャラい輩に見向きもせず、ひたすら一途に北くんだけを想ってきた。相手にもされていないがそれでもよかった。だって私は北くんが好きやから! だが今回だけは話が違った。

「……尾白くんごめん」
「どないした」
「ちょっとだけでええから時間くれへん? 北く……南ちゃんとプリクラ撮りたい」
「なに懐柔されとんねん!」
「だって北くん私のこと全然相手にしてくれへんもん! 別にそれでもええって思ってたけどおんなし顔の男にこんな……こんな……もうあかん!」
「手を繋ぐなー!」

 ちゃっかり指まで絡めた恋人繋ぎまでしちゃっている。ミョウジナマエ、南ちゃんに完全なる陥落である。

「しっかりせえ! ミョウジさんが好きなのはしっかりサイボーグ北信介やろ!?」
「せやけど、せやけど!」
「顔か!? ミョウジさんが好きなのは信介の顔なんか!?」
「ちゃうもん! 顔も好きやけど!」
「せやったらプリクラなんか撮るなや!」
「プリクラくらいええやん! こっそり生徒手帳とかに貼って楽しむだけやもん!」
「……さてはそれ使って信介と付き合うてるて既成事実作ろうとしてへんか?」
「し、してへん!」
「嘘吐け! 目が泳いどんねん!」

 ナマエは頬を膨らませて俯いた。その白い頬をデレデレした様子で楽しげにつついて遊ぶ南ちゃんとのやりとりはただただイチャついているようにしか見えず、見ている者たちを段々イラつかせてくる。お前今に湖沈めたるからなと南ちゃんに対し闘争心まで芽生えてくる。ただの嫉妬である。

 そうこうしているうちに北信介が落ちた湖までやってきた。ナマエと手を繋いでいたことにより、今回は南ちゃんを縄で縛らずとも済んだ。大男に囲まれ縄で縛られ湖に落とされる綺麗な顔をした青年、というのはさすがに絵面がやばいので。ナマエは名残惜しそうに南ちゃんの手を離せずにいる。夢みたいやった。この人は北くんであって北くんではないけど、北くんと手を繋いでデートしてるみたいやった。でもここでお別れやな。頭の中でドナドナが流れてくる。

「はあ、俺はまた湖の中か」

 意外にも南ちゃんに抵抗の色は見えず、観念したように湖を見下ろしている。その様子にナマエの胸がぎゅっと締め付けられる。この人は北くんであって北くんではないし、北くんが言わんことバンバン言うけど決して悪い人ではない。湖の中がどんなところで、普段どうやって生活をしているのか色々謎はあるが、もしかしてこの人は孤独でとても寂しいのではないかと頭を過る。けどあかんねん。私が好きなのは北くんやねん。ツレなくて、冷たい目をしていて、かわいいとも言ってくれないしデートもしてくれない、ただひたすらに正しくて清廉で秩序ある真面目な北信介やねん。一瞬だけでも夢を見せてくれてありがとうな、楽しかったで。ナマエは涙を飲みながら南ちゃんの手を離す。離そうとした。

「頼む! 一回だけ! 一回だけでええからヤラして!」
「はあ!?!? いいわけないやろ!」

 南ちゃんは未練たらしくナマエにすがりついた。しかも最低な口説き文句である。

「なんでや! 俺のこと好きなんちゃうん!? 手繋いだやろ俺の純情弄んだんか!?」
「私が好きなのは北くんや!」
「俺も北くんやって!」
「北くんかもしれんけど私が好きな北くんやないもん!」
「おんなし顔しとるやろ!? お前の好きなキタクンは抱いてくれるんか!?」
「そんなことされんでも好きやもん!」
「なあ〜、頼むて〜! 先っちょだけでええから〜!」
「もうこの人いやや! 北くんの顔してなんてこと言うん!?」

 北信介が言わんどころか、その辺の下手なナンパ師でも今時言わないようなひどい南ちゃんにナマエは青ざめもはや泣いている。一回だけて。乙女の純潔ナメすぎやろ! 北くん助けて! その光景たるや若い姉ちゃんにホテルの前ですがりつくエロジジイそのものだったが如何せん場所は湖畔である。そんなことをしているうちにナマエは南ちゃんもろとも、湖に落ちた。

「ってなにしとんねん!」

 北信介だけではなくミョウジナマエも回収しなくてならなくなった尾白アランは頭を抱えた。



「ひどい目にあった……」

 落ちた衝撃で、湖の中にいた頃の記憶はさっぱりないままナマエは無事に生還した。あの湖の中ってどないなっとるん、とアランは思ったが自分も湖に落ちてみたいかと言われると首を捻る。だってボケ殺しのツッコまん尾白アランとか選ばれた日にはもう世の皆さんに顔向けできんやろ俺の存在意義ってなんやってなるやろ……それは確かに稲荷崎高校バレー部にとって由々しき事態である。誰があの個性豊かな面々をツッコむというのか。たぶんボケ殺しアランは誰も選ばないと思うので安心してほしい。

「尾白くんありがとなー。助けてくれたんやろ?」
「ミョウジさん助けたんは俺らちゃうで」
「そうなん?」

 聞くと、南ちゃんとナマエが落ちたとき、湖の女神が提示してきたのは本物の北信介と熱血の北信介だったので、北信介は迷わず選べたというのだがナマエの方は事情が違った。

「『高飛車で物静かで賢いミョウジナマエ』と『超ネガティブな闇キャラ地雷系ミョウジナマエ』はなんかどっちもいややなって……」
「なんなんその二択!? 地獄やん!」
「俺らがうんうん悩んどったら信介が『俺らが落としたんは自分大好きでようしゃべるアホンダラなミョウジナマエや』って」
「北くん私のことそんな風に思ってたん!? 傷つくんやけど!」

 助けてもらった身でこんなん言うたらあかんけども! けど北くん、賢い私よりアホな私を選ぶんや……ナマエはひとりニヤニヤしている。また自分の世界入ってもうてる……アランが密かに困り果てていると、通りすがりの北が言う。

「ニヤニヤしとるとこ悪いけどもう湖落ちたらあかんよ」
「いやお前や!!!! なに二回も落ちとんねん!!!!」

 こうして稲荷崎高校バレー部と三年七組にいつもの日常が帰ってきたのであった。

2024.7.5
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