すっかり暗くなってしまったので、未だグスグス泣きじゃくるナマエをいつまでも体育館裏に放っておくわけにもいかず北は送って帰ることにした。見慣れたはずの夜の閑静な住宅街は出汁の匂いで潤んでいて、隣にいる北だけがナマエにとって異質で落ち着かない。なんで北くんなんも言わへんの。緊張感は余計に増していく。

「笛音九遠いよな、ごめんな」
「ええよ、バスやし」

 なんだか今日は謝ってばかりいる。北くんと一緒に帰れる! とはさすがのナマエにも思えなくて、ただただ重苦しい空気だけがふたりを包んでいた。それもこれも、北がナマエの気持ちをとっくに知っているという事実が起因している。ミョウジが好きなのは俺やから。その一言がナマエの頭の中で何度も繰り返し再生される。どうせなら夕暮れの教室とかでなんかええ感じになったときに好きやでって言いたかった。でも北くんはとっくに自分の気持ちを知っている。ナマエは頭を悩ませた。

「……北くんて」
「ん?」
「私が北くんのこと好きっていつから知っとるん?」
「俺の勘違いやなければ一年の頃からやろ?」
「誰から聞いたん?」
「誰からも聞いてへんよ。ミョウジの態度でわかるやろ」

 そうなんや……。ナマエはがっくりと肩を落とした。こんなダサすぎる一日が今まであっただろうか。
 告白なんかする気はなかった。いつかするだろうとは思っていたが今ではないと思っていた。北くんが自分のことを好きではないというのをナマエが一番よくわかっていた。それでもいいから好きでいられるだけで幸せだった。
 でもとっくに知られていたのなら話は別で、「せやねん北くんのこと好きやねん今後ともよろしく!」と言えるほど厚かましくもなれなくて、もう覚悟を決めるしかないと思った。

「北くんはどう思ってるん? 私のこと」
「野菜くれるええやつやけど人の話聞かんおもろくて意味わからん変なやつ」
「ただの感想やん! そうやなくて」

 そして覚悟を決めたのはナマエだけではなかった。北もまた、ナマエに対していくら考えてもうまく言い表せない感情があり、それはナマエとこういう話をするまでは考える猶予があると思っていた。

「好きか嫌いかで言うたら好きやで」
「そうなん!?」
「けどミョウジが俺に対して思う好きと、俺がミョウジに対して思う好きは別やと思う」

 ナマエから向けられる全力の好きはいわば恋する乙女のそれで、北がナマエに向ける好きは綺麗な景色を眺めて抱く憧憬のようなもの、懸想するなどとんでもない。天気のようにコロコロ変わるナマエの表情は見ていて飽きないし、子供のような素直さはおもしろく、突拍子なく思える言動は時になかなか興味深い筋が通っており、理解の範疇を超えることもあるがつまるところだいぶ好ましく思っている。
 だからといってどうしたいかと言われると困る。
 お互い高校生で、異性で、相手は自分を恋愛対象として好きで、ナマエからの好意を迷惑だと思わないが自分も同じ気持ちで好きだと言えないのなら付き合うなんて不誠実極まりない。第一高校三年生の自分たちには今、恋愛より真剣に取り組まなければならないことが山ほどある。北にはバレーがあってナマエには受験、そのどちらも中途半端にしていいものではない。じゃあ北が部活を引退して、ナマエも受験が終わったら。そのときまで考えるから待ってくれというのはあまりにも都合がよすぎる気がした。

「ミョウジの気持ちはうれしいけど俺はミョウジの気持ちに答えられん。今そういうこと考えられへんねん。ミョウジかて受験生やろ? 煮えきらん俺のことで悩んで後悔してほしくないねん」
「……私のこと女の子として見てへんってこと?」
「そういう意味やない。なんやろな、自分でもうまく言えへん」
「でも付き合えへんのやろ?」
「そうなるな」

 それって女の子として見れへんってことやん。
 ナマエは北にバレないよう、目尻に溜まる涙をこっそり拭う。もちろん隣の北にバレないわけはないのだが、今まさに泣かせている自分がミョウジになにができるというのか、なにも言えないままだった。

 甘えていた。ずっと気持ちを知っていて、それでも迷惑やとも言わない北くんに。知らない間にずっと甘えていた。ナマエがそう思うのと同じく北もまた、煮え切らない自分をずっと好きでいてくれたナマエに甘えていたと思い知らされた。お互いこんな話はしないまま、ずっと他愛もない話だけをしていたかった。それだけでよかった。でもナマエが恋をしている以上そんな関係はいつまでも続くわけがない。いつか破綻する。それがたまたま今日だっただけだ。

「……明日からも友達として仲良くしてくれる?」
「ミョウジがええなら、ええよ」
「ありがとう。北くんはやっぱり優しいな」

 そういうとこやっぱり好きやな。最初はかっこいいってだけで好きで、もっとクールな人やと思ったのに笑ったり、冗談なんかわからん冗談言うたり、現実的で冷めた人なんかなって思ったら意外にも情に熱くて優しい。知れば知るほど北くんを好きになってしまった。別に付き合うとか、好きになってほしいとかどうでもよかったはずやのに。好きな人がいるってだけで幸せやったのに。自分ひとりで完結できていたその幸せはもう戻ってこない。振られたあとでもお構いなく、とはいられない。北くんにこれ以上気を遣わせたくない。ナマエがツラいのは北が自分を好きになってくれないことではなくて、自分が北を好きでいられなくなることだった。
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