北の懸念はそう遠くないうちに現実となった。インハイも終わり「バレー部おめでとう宮ンズかっこいい」という空気に学校中が包まれる中、早くも春高予選に向けて放課後に練習試合が行われることとなった。その噂を聞きつけてナマエはこっそり北の席まで訪ねる。

「北くん、今日の練習試合見に行ってもいい?」
「ええけど、ただの練習試合やで」
「やった! うれしい」

 かく言うナマエも、帰宅部で暇なのでインハイ予選はちゃっかり見に行っていた。愛しの北くんは残念ながら試合には出なかったが、初めて生で見るバレーの試合は迫力があり、なおかつ稲荷崎のバレー部が魅せる試合はとても楽しかった。怖いと思っていた後輩の双子や猫背のカメラ小僧はどうやらかなりうまいようで、素人目にも「あの子らすごいんやなあ」と感心すらした。怖いのは変わらんけどな。
 だがナマエには恐れていることがある。インターハイで二位の稲荷崎高校バレー部が全国的にも有名になればなるほど大好きな北くんが世間に見つかってしまうのではないか。だってこないだテレビでインタビューされとったもん。こんなかっこよくて真面目で浮いた話もない人やから絶対北くんのファンが増えてまう。宮ンズのファンを見る度に「北くんだってかっこええもん!」となぜか謎の闘争心が芽生えるが、いざ自分の他に北くんのファンができたらそれはそれでなんかいや、という複雑な乙女心である。
 だって私は一年のときから北くんのこと好きなんやで。相手にされてへんけど。なんなら気持ち伝わってる気もせんけど!

「応援してくれんのはうれしいんやけどあんま騒がんといてな。侑にシバかれんで」
「わかった! 静かに見る! 放課後楽しみやなあ」

 俺は試合に出えへんと思うけど。という北の言葉はナマエにとってはどうでもいい。そりゃあ本気でバレーをしているときの北くんは見たい。絶対かっこいいはずやから。そんなん見るまでもなくわかる。でももし北くんが試合に出られなくても北くんは自分のチームが勝ったらうれしいはずで、だからナマエもその喜びをほんの少しでも共有させてほしい。そんな健気な思いしかないのだが、誤解というのはどこから生じるかわからないものである。

 そんなわけで放課後の練習試合は無事稲高の勝利。何試合かやったうち、双子の集中力が切れてきた頃に北がコートに立ち「なんであんなん取れんの!?」という難しいボールも何食わぬ顔で拾いナマエはそれだけで卒倒しそうになったのだが。

 試合後、なぜかナマエは体育館裏に連れてこられてきていた。目の前には怖い顔をして腕を組む同級生の女子が数名。ナマエは困惑した。さては北くんのファンやな!? 「あいつ北くんのこと好きなんやって〜」ってどっかで聞いたんやろ!? ナマエの場合、誰かから聞くまでもなく態度がわかりやすすぎるので一年の二学期頃には既に学年全体にバレていることを本人は知らない。
 しかし目の前の女子たちの目当てはどうやら北ではなかったようだ。

「あんたなんなん? 北くんのこと好きなんやろ?」
「き、北くんはみんなのやで!」
「は?」
「北くんは渡さん! とか言うつもりやろ!? 北くんは私のちゃうしそもそも誰かのもんとか言うの北くんに失礼やしみんなで応援したらええやんなんでそんなん言うの!?」
「はあ? 別に北くんどうでもええし」

 今どうでもええ言うた!? はあ!?
 それにはさすがのナマエもむかついた。

「北くんはどうでもよくない!」
「いや今そこどうでもええねん」
「どうでもよくない! むかついた! 謝って!」
「意味わからん。話通じんってほんまなんやな」

 なにその噂! 私話通じんって言われてんの!? 初めて聞いたんやけど!? 性格悪いとか彼氏いっぱいおるとか言われても気にせんけどさすがに傷つく。どうやら身に覚えのある悪口は効くようだ。ひっそり傷つくナマエに畳み掛けるよう目の前の女子は言う。

「あんたがおるとみんな気ぃ散るねん。侑くんが怒られたんあんたのせいやからな」
「それはごめんけどアツムクンってどっち!?」

 ちなみに侑はナマエが見に来ていること自体はわかっていたがナマエのせいで集中力を切らしたわけではなく、調子を落とし始めていた治に気づいて苛立っていただけである。そして治はそんな侑に苛立ち負の連鎖が起こってしまっただけだが、双子をキラキラ(笑)アイドル(爆笑)と勘違いしている外野は彼らの狂暴性にまだ気づいていない。

「はあ!? ていうかあんた宮ンズ目当てちゃうの? 侑くんとか治くんにわーわー言うてたやろ」
「だってすごかったんやもん! どっちがアツムクンでどっちがオサムクンかわからんけどすごいのはすごいでええやん! それと私が北くん好きなん関係ないし」
「北くん北くんうるさいねん。いい機会やから言うとくけど、あんたが北くん好きやからって北くんのこと諦めた子いっぱいおるねんで。ほんで北くんに相手にされへんからって今度は双子? 調子乗りすぎちゃう?」
「……き、北くんに相手されてへんの関係ないやん! 双子の見分けついてへんのに好きなわけないやろ」
「宮ンズだけやないで。角名くんやってあんたに取られた言うて泣いてる子いっぱいおる」
「ごめんけどスナクンはほんまに誰なん!?」

 角名の名誉のために言っておくが角名がナマエを好きという事実は一切なく、“あのおっかない北さんを好きな人”というだけでおもしろがって観察したり、ナマエが体育館裏に呼び出され告白されたりこうして女子に詰められていたり北と一緒にいるところを「おもしろいから」という理由だけで動画を撮るのを楽しんでいるだけの愉快犯である。決してナマエのことが好きだから盗撮しているわけではない。そしてナマエはカメラ小僧の名前を知らないのでとんだ勘違いが生まれている。

「あんたが知らんくてもおるだけで迷惑やねん。みんな気ぃ散るねん。ハッキリ言うけど邪魔やねん、意味わかる?」
「……迷惑はかけんようにする。すごいって思っても声とか顔に出さんようにする。けど宮くんファンはよくて私はだめな理由がわからん! 私だって北くん見たいもん! 北くんって書いたうちわ持ちたいの我慢しとるもん!」
「あんたは、おるだけで、迷惑やの! 北くんスタメンちゃうんやから見に来なくてええやろ」
「今日出てたやん! スタメンやなくてもええもん北くんとおんなし空気吸いたいだけやもんあとさっきからずーっと北くんに失礼なのなんなん? 謝って!? 今すぐ! 北くんと! 北くんのご家族と! 全世界の北くんファンと関係者の方々に!」

 愛する北くんをバカにされぶちギレ寸前のナマエと絶対に引く気のない女子たちの口論は知らず知らずのうちにヒートアップしており、主に声の大きいナマエのせいではあるが体育館の中にいるバレー部員にも「裏でなんかやっとんなあ」というのは聞こえており、そしてただでさえ気の立っている宮侑の怒りを買うには充分だった。

「うるっさいねんさっきから! 何しとんねんはよ帰れやブタ!!!!」

 というわけで、ぶちギレ共の三つ巴という最悪のトライアングルが発生してしまった。もはや収拾がつかない事態である。

「侑くんも言うたって。この子おると迷惑やって、試合見に来られたら邪魔やんな?」
「知らんわ! どいつもこいつも邪魔やねん何たかが練習試合でキャーキャー抜かしとんねん今日の俺のどこがかっこええねん全員記憶消せほんまに!」
「……宮くんすごかったよな?」

 自分より謎にキレている人間が目の前に現れたことにより、ナマエは急に冷静になりさっきまで言い合っていた女子に同意を求めた。ナマエから見ると調子の悪い侑でさえ「なんかすごい」である。

「ほらそうやって侑くんに色目使う! なーにが『北くん大好き』やねん腹立つわ」
「俺が北さんの女に手出すわけないやろ! ミョウジさんなんかかわいいだけやしそないチョロないわナメんな」
「侑くんがミョウジナマエのことかわいい言うた……」

 泣き出す女子まで出てくる始末であるがナマエの方はというと「北くんの……女……!? そう見えるん……?」と三者三様違うことが気になっている。ちなみに侑はこの状況でも徹頭徹尾“今日の俺のサーブあかん!”しか気になっておらず、ジャンプフローターサーブを試みるまでに至るきっかけのためある意味決定的瞬間ではある。
 ナマエとしては「宮くんすごかったよな」「せやで、侑くんかっこよかったで」「ほんまに? うれしい付き合お」で済む話やのになんで私が怒られるん!? 今のめっちゃええパスやと思ったのにどこがあかんかったん!? この状況で突然そんなハッピーエンドを迎えるわけがないがナマエの妄想は全体的に雑である。
 侑の謎の参戦により事態は混沌を極めている。「侑くんもミョウジナマエのこと好きなんやあ」と泣き出す女子、「北さんの女に手出さへんわ」とキレる侑、これ私一番関係ないやんなと気づき始めたナマエ。もうアツムクンとファンの方々だけで愛を育んだらええんちゃうの? そこに私を挟む必要性ないやん。ていうか私練習試合見に来ただけでなんでこんなん言われて北くんまでバカにされなあかんの? そこまで思い至り、遂にはキレた。

「ええ加減にせえ! なんなんどいつもこいつも! 私関係ないやん!」
「……は?」

 いきなりぶちギレたナマエに女子たちと侑はぽかんとした。

「私はあんたらの甘酸っぱい青春に一ミリも関係ないやん! あんたらが主役の物語では私なんか北くんのことが好きなだけのただのかわいい通行人やで、勝手に悪役に抜擢せんといて」
「……なに言うてんの」
「どいつもこいつもなんでかわいいってだけで私を悪役にするん? キャスティング下手すぎちゃう? 観客見てみい、“あの悪役かわいいだけでなんもせんな、おもんな”って顔しとるやろ、なあ!?」

 侑の後ろにいた治と角名、銀島は突然話を振られて困惑している。銀島は「北さん呼んできた方ええんやろか、でも北さんの話しとるしな」と悩みながらとりあえず勢いに気圧され頷いて、角名はキレるナマエがおもしろいので頷いて(ちゃっかり動画は撮っている)、治に至ってはファンの子からもらったお菓子を食いながら「はよ話終わらんかな、ツム置いて帰られへんしな」と思っている。つまり死ぬほどどうでもいい。

「いっつもそうや! かわいく生まれてきただけやのに誰々ちゃんの好きな人取ったとか言われんのもういやや! 嫌いになるんやったら私の性格が合わんとか言うてくれたら直さなあかんなって思うのにそんなん私どうせえ言うねん! 知らんわ! なんなん! 私がブサイクやったらよかったん!? いやや! ママがせっかくかわいく生んでくれたのに! みんな私の顔好きなんやろ? 私もや! 私かわいい!」
「……この人さっきからなに言うてんの?」

 女子たちに向かって斜め上の反論をし始めたナマエに侑はドン引きである。思わず後ろにいた治たちに助けを求めたがいらぬ首を突っ込んだのは侑なので三人は我関せずといった様子である。そしてナマエにとっては侑も無関係ではなく、困惑している侑ににじり寄った。

「でもそれもこれもあんたら男のせいや……かわいいってだけで好きになられるこっちの身にもならんかい私ばっかかわいい言いよって他にもかわいい子いっぱいおるやろあんたらには見えてへんのか目ん玉節穴かそのおめめはビー玉ですかあ!? ああん!?」

 全男性に対する長年の鬱憤をなぜかひとりで背負わされた侑は、別にナマエのことは好きでもなくかわいいとしか思っていないのに「スンマセン……」と謝らされる羽目になる。俺関係ないやん。虫の居所が悪いというだけで首を突っ込んだ自分を恨んだ。
 そしてナマエからの思わぬ反論に気圧されていた女子たちも引くに引けないので更なる反論を試みた。

「あんたが言うても説得力ないねん、どうせ腹ん中では私らのこと笑てんのやろ? かわいい顔してよう言うわ」
「……あんたそれ本気で言うてんの? ほな言わしてもらうけどあんたこそ綺麗な面晒しよってなんなん? にきび一個もないどころか毛穴も見当たらんのやけどスキンケアしぬほどやっとんやろなあえらいなあ!」
「……な、なんやねん急に」

 しかしまたしても予想外の角度から返り討ちにされる羽目になる。しかもその反論は謎の燃料を注いただけで、ナマエは違う女子に向き直る。

「そっちのあんたもやで。なんやねんそのツヤッツヤの黒髪キューティクルどないなってんねんシャンプーなに使たらそうなんねんシャンプーのCM出たったらええねん私絶対買うてまうわ」
「……ダイアンめっちゃええで」
「教えてくれてありがとう! ついでにあんた前髪ぱっつんにして真っ赤なリップ塗ったら雰囲気出そうでええな!」
「やめろや、私には似合わんて」
「自分の限界を自分で決めんな、超えてくねん今日の自分を! そっちのあんたはなに笑てんの歯並びきれいやしえくぼかわええな!? えくぼて天使の贈り物いうらしいで!」
「……それ死んだおばあちゃんにもよう言われたわ」

 ナマエは次々にその場の女子たちにキレながら褒めていった。これなんの時間なん、とナマエ以外の全員が思っているが全てはナマエを逆恨みで囲んだことから始まっているので誰もなにも言えない。

「もういやや! あんたら全員腹立つわ! なんで自分で気づいてへんねん鏡見たことないんか貸したろか!?」
「もうわかった、わかったて! 恥ずかしいからやめろや頭抱えながら言うことちゃうねんあんたこそ情緒大丈夫か」
「大丈夫ちゃうわー!」
「……なんか、あんた意外とおもろいしええ子やな」
「なに言うてんの私は今キレてんねん! あんたこそええ子やな!」
「気ぃ済んだか」
「北くん!?」

 もう誰の手にも負えないと思ったナマエだったが、実はさっきからずっといた北が声を掛けると途端に大人しくなった。

「お互いまだ言いたいことはあるやろうけど、今日はもう遅いしはよ帰り。頭冷やして明日続きやりや」
「喧嘩は止めへんのかい!」

 お互い言いたいこと言うのは大事やろ、という考えのもとでの提案であるがそれにはすかさず容赦ないツッコミが入った。尾白アランは今日も冴え渡っている。
 明日も女子たちが火花を散らすかはひとまず置いておき、ご乱心状態のナマエが大人しくなった隙に全員「ほなそろそろ帰ろか……」という空気が流れ始めた。これにて一件落着と思われたが、「すまん、これだけ言わしてほしいんやけど」と前置きした上で北が言う。

「ミョウジが好きなのは侑でも治でもなく俺やから」

 え…………。
 それには全員ぽかんとしたが「ほな気ぃつけて帰りや」と北が言うのでそそくさと逃げ出していく。北としては、ナマエが侑や治を好きだと思われているから起こった争いであるなら誤解は解いてやらんとなというちょっとした親切心のつもりでしかないのだが、誰もがもうちょっと詳しく聞きたい気がしてでもこれ以上詮索してはいけない気がした。ちなみに侑は「でもミョウジは俺の女ちゃうで」としっかり釘を差されている。この男、一体どこから話を聞いていたのか。
 そうして体育館裏にようやく静寂が訪れた。ナマエはおずおずと北に向き直る。

「……北くん、ごめんな。騒いだらあかんて言われとったのに」
「大暴走やったな」
「私もう見に来れへん……」
「せやな。喧嘩するくらいやったら来おへん方がええな」
「……迷惑かけてごめんな」
「俺は気にせえへんけどミョウジがいやな思いするやろ」

 北からの思わぬ言葉に、突然ナマエは泣きたくなった。聞きたくないことをたくさん聞かされて言いたいことも言いたくないことも全部言わされて、悔しかったり恥ずかしかったり感情を制御できない。唇を噛んで俯いて泣きたいのを堪えていたナマエに気づいて北はハンカチを差し出した。途端、決壊する涙腺。止まりそうになかった。

「ごめん、新しいの買って返すな」
「いらんよ。洗って返さんくてもええからミョウジが持っとき」
「もういややー! 北くんにはかわいい私だけ見といてほしいのに喧嘩するし泣くしハンカチもらうしダサすぎていややー!」
「ダサくはないやろ。言いたいこと言うてすっきりしたんちゃう?」
「したけど! 言わんくてええことまで言うてもうたし聞かれたないこと聞かれたしもういや!」
「あかん。俺がなに言うてもミョウジ泣いてまう。大耳頼めるか」
「この空気に入れるかい」

 いくら同じクラスのよしみとはいえ、たまたま通りがかっただけでとんだとばっちりを受けた大耳だった。
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