「なあ北くん、サインくれへん?」

 は? またしても突拍子のないことを言い出したナマエに怪訝そうに顔を上げると、満面の笑みでピカピカのバレーボールを差し出してくるナマエがいた。

「どないしたん、これ」
「バレー部から盗んできたんとちゃうよ!? 自分で買うた」

 それは知っとる。うちにこんな新品のやつないし。バレー部主将ともあろう北とてそんなことはわかっているが、問題はそこではない。

「バレー部入るん?」
「高三やで? 入らんよ。球技大会バレーになったから練習しよー思って」
「ほんでなんで俺のサインがいるん?」
「え、ほしいから……」

 この人なに言うてるん? みたいな顔でお互い見合っているが正直どっちもどっちである。

「アランとかの方がええんちゃう? あいつ全国五本指やで」
「私は北くんのサインボールがええ!」
「まあええけど」
「やったー! うれしい、ありがとう。北選手のサインやあファンなんです〜」

 また適当なこと言いよる。北は呆れながら、ニコニコしているナマエからボールとペンを受け取るが、ナマエが既に平仮名で自分の名前をでっかく書いている上に周りにハートマークが散りばめられている。

「書くとこないやん」
「あるある! どこでもええよ」

 仕方なくボールをぐるぐる回しながら空いている箇所を探す。やっと見つけた空きスペースに「北 信介」と丁寧に書いて渡した。若干ハートマークに被ってしまったがいいだろう。サインらしいサインなど持っていないのでもはやただの署名である。

「ちょっ……!」

 受け取るとナマエは困ったように笑って、頬を染めて片手で口元を抑えた。ナマエがでっかく書いた自分の名前とハートマーク、の隣に負けないくらい大きな字で北信介と書いてある。北としてもそこまで無神経ではないので「お互いの名前の間にハートマークあんのはどうなん?」と思ったが能天気なナマエに対するちょっとした意趣返しでもあった。なんでこんなことをしたくなったのかは自分でもよくわかっていない。

「なんでここ!? どういうつもりなん!?」
「空いてるとこ他にないやろ」
「あるやんいっぱい! こんなおっきく書いてくれると思わんかったからうれしいけど!」
「なんや、注文多いやつやな」
「せやな! ごめん! うれしい! うれしいけど照れるな色んな意味で」

 両手で大切そうにボールを持って「あかん、直視できへん」って言いながら目の前で照れるナマエを呆れたように見る。ナマエが自分を好いていることにはとっくに気がついているが、なんで俺なんやろ、と北はずっと思っている。一年の頃から好かれていた気がするが、自分が女子から好かれる覚えもなければナマエに対して特に優しくした覚えもない。ナマエを好きだと言う男は他にもいるし、ナマエが振った男の中には「あいつええやつやけどな」と思うやつもいた。なのになんで俺なんやろ。理由を聞いたところでナマエの気持ちに答えられないことに変わりはないが、ここまで一途に思われる心当たりがないのでこうして好意を全面に出されるとたまに途方に暮れたくなることがある。だからさっきみたいな、自分らしくもないことをしてしまう。思わせぶりな態度を取りたいわけでもないし、ましてや困らせたいわけでもない。

「練習がんばりや」
「ありがとう。他のみんなも誘ってみる!」

 サインありがとお〜、と手を振り自分の席に戻るナマエをつい目で追ってしまう。天真爛漫で思わず目を留めてしまうくらいかわいらしくて、だけど意味わからん変なやつ。悪いやつでは決してないし、人を惹き付けてやまないのも納得せざるを得ない。客観的には理解できるのに、「なんでミョウジさんと付き合わへんの?」と聞かれると困る。今はそういうの考えられん、と突っぱねるが自分の本心に答えを出し渋っているだけではないのか。
 ナマエが照れるとわかっていることをあえてしたくなるのは、ナマエのころころ変わる表情がおもしろくて見たいと思うからなのだろうと自分で結論づけた北だが、その感情の根底にある本心には未だ自分でも気がついていないのであった。
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