「……なにがあった」

 結婚式でも何杯か引っ掛けてきた上に、先に居酒屋に着いたので手持ち無沙汰で飲みすぎてしまい既に出来上がってる状態で迎えたからか黒尾は目に見えてドン引きしていた。おまけに結婚式帰りでいつもよりおめかししている。だいぶ様子がおかしいことは自分でもわかっている。

「今日結婚式行くっつってなかったっけ」
「行ってきたよ。楽しかった」
「その割にはなんかいやなことあった人の飲み方してんだけど」
「ほんとに楽しかったよ、写真見る?」

 まあクズとかサイコパスとか人でなしとか散々言われたけども、とは言わずにたくさん撮った写真や動画を黒尾にも見せる。この子雰囲気変わったなとか、こいつは全然変わんねえなとか、おもしろかった演出やふざけて撮った動画を見せてふたりで爆笑したりして、少しだけ抱いていた緊張がほぐれていく。
 黒尾とちゃんとした話をしようと思っていた。けどいざ本人を前にして、こうしていつもと同じく他愛ない話で笑い合っていると「やっぱりこのままでいいんじゃないか」と弱虫な私が嘯く。高校の頃から私と黒尾はずっとこうだったし、私は今のままでも充分満ち足りているのだと自覚してしまう。
 でもそれじゃだめなんだよな。ずっと今のままでいられるなんて高を括ってちゃだめなんだよな。もし叶ったとしても、それは黒尾に我慢させ続けてるからなんだよな。顔面ケーキを食らってる新郎の動画でいつまでも腹を抱えて笑ってる黒尾の横顔を見ながら、その事実が胸を締め付ける。つい動画より黒尾ばかり見ていたからか、黒尾が私の視線に気づいて不審そうな顔をする。

「……お前やっぱなんかあったろ」
「なんもないって」
「余興ミスった?」
「みんなで音駒の制服着て恋チュンやったんだけどさ」
「懐」
「全員踊らせてきた」
「成功してんじゃねーか。もうDJになれよ」
「定年したらね」
「てかその動画ないの。すげー見たいんだけど」
「あとで友達が送ってくれるって」

 だから今度見よう。って言う前に、今の関係のまま次の機会があるのが当たり前だと思うなと自分に釘を刺す。わざわざ呼び出した目的を忘れるなよ私。ジョッキに残っていたビールを一気に飲み干してすぐにおかわりを頼む。お酒の力を借りないと勇気が出ない自分のことは嫌いだ。でも言い訳ばっかりで臆病で他人の気持ちに鈍い自分はもっと嫌いだ。

「……私、黒尾のこと好きだよ」
「……どうした急に」
「でも正直今の関係のままでいいと思ってる」
「それ前も聞いた」
「黒尾はどう思ってんの」
「前も言ったろ。別に今後のことは考えなくていいって」
「だから、それは私が今のままでいいって言ったからじゃん。黒尾がどう思ってるか聞いてんの」

 いきなり呼び出した上に逆ギレとかいよいよ手がつけられない。恋愛のこういうところが本当にいやだ。自分の悪い面をいやでも自覚させられて、相手を好きになればなるほど自分のことを嫌いになる。自分を愛せないやつは他人も愛せないとかよく言うけど正直よくわからない。逆じゃない? って思う。単にちゃんとした恋愛をしてないからではと言われればそうなのかもしれないけど、じゃあこの世の中で自分を心から肯定した上で他人を愛する余裕のある人間がどれくらいいんのって聞きたいし、世の中の大半の苦しい恋愛たちが片手間のしょうもない戯言だとも思わない。心から好きだから向き合って、それでもうまくいかないから傷ついてる。その傷は例えかさぶたになって剥がれ落ちたとしても痕が残る。完全に消えたりなんかしない。だから傷つきたくなくて、向き合うのが怖いから自分の気持ちに蓋をする。蓋をしたところで内側に眠る気持ちがなくなるわけじゃないけども。
 でも今回の私に限って言えば、私は黒尾のことが好きで黒尾も私のことを好きだと言ってくれている。一緒にいて楽しいし、気が合うから落ち着く。黒尾の性格から考えても、ちょっとした嫌味や皮肉は言っても私を完膚なきまでに傷つけるようなことはしないだろう。むしろ私の気持ちや今の状況をわかった上で今の関係に落ち着いてもらっているのだから、これ以上ないくらい気を遣わせている。これだけの条件が揃っていながら傷つきたくないから向き合いませんは、さすがに根性なしが過ぎるだろう。

「……まあ付き合ってるか付き合ってないかってハッキリさせなきゃいけないもんでもないんじゃねえの」
「本音は?」
「さっきからなんなの、お前は俺になにを言わせたいの」
「本音が聞きたい。好きって言っといて付き合う気ないとかクズな女だなとか思わないの」
「誰に言われたんだよそれ」
「でもほんとのことじゃん。私クズだよ最低だよ普通見捨てるよ」
「お前今日ほんとにどうした」
「私は傷つきたくないし悩むのもいやだけど、その分黒尾が傷ついたり悩んでるならそれもやだ!」
「やだっつったってどうすんだよ、付き合う気ねえんだろ」
「だからそれを一緒に考えたいの!」

 黒尾は額に手を当てて途方に暮れている。私ですらクズでめんどくさい自分に呆れてるのだから、黒尾が呆れるのも無理はないだろう。でも向き合うしかないのだ、こういう自分のいやなところにも、いつか見えてくるかもしれない黒尾のいやなところにも。黒尾にそれを強要するのは正直気が退けるけど、お互いが納得する関係でなきゃずっと一緒にはいられないのだから。

「……じゃあ言わせてもらうけど、お前は付き合うってなんだと思ってんの」
「……え、」
「今だってお互い好きでしょっちゅう連絡取ったり会ったりしてんだから付き合ってるようなもんだと俺は思ってんだけど」
「……でも将来のこととか考えなくていいじゃん、結婚……とか……」

 世間的にはとっくに結婚適齢期かつ、仲の良い友人の、しかもあんなに幸せそうで心温まる結婚式に参列したというのに自分のこととなるとやっぱりピンと来ないなんて、私もホームラン級の大馬鹿者なのかもしれない。だからこそ安易に誰かと付き合えない。真摯にそう思っているのに黒尾はいきなり声を上げて笑いだした。

「なんで笑ってんの!?」
「いや、お前、まさか付き合う前から結婚まで持ち出してくるとか」
「笑うとこじゃないんだけど!」
「悪い悪い。でもなるほどな、お前がなにをそんなに渋ってんのかやっとわかったわ」
「は?」
「みょうじは真面目でおもしろいな」
「はあ〜!?」

 涙まで浮かべて笑う黒尾に腹が立つけど、正直延々悩んでたことを笑い飛ばされて少しだけ、本当にほんの少しだけスカッとした自分がいる。私の悩みって大して深刻でもないんだなって言われているようで、少なくとも頭を抱える必要はないんだなって肩の荷が降りる。それにしても結婚ってだいぶ悩むことのようには思うけど。

「結婚だよ結婚! この年で付き合うって多少なりとも考えるでしょ」
「確かにな、考えるけどそれお前ひとりで悩んでどうすんの」

 どういうこと? 本日二度目の宇宙映像脳内上映会が始まる。意味がわかってないのが表情にも出てたのか、黒尾がまた笑いそうになっているので睨み付ける。

「そういうのってふたりで話し合っていくもんだろうし、別に結婚しないカップルだって今時珍しくもねえだろ」
「そりゃそうだけどさ……」
「結婚したくなったらお前をその気にさせればいいだけだしな」
「さっき“ふたりで話し合ってく”って言ってたじゃん」
「話し合った上でに決まってんだろ」

 今まさにやってんのと変わんねえよ。そう言われて突然すべて腑に落ちた。そして理解した。黒尾とならちゃんと話し合えるし、自分のだめなところも全部見せられる。その結果だめになって傷ついたとしても、黒尾が私に向き合ってくれる気があるなら私も逃げたくない。

「私、洗濯物も食器も溜めてからまとめて一気に洗う派だから」
「なんの話?」
「あと玄関汚いとやる気失せるから靴何足も出しっぱなしにされるのいやだ」
「は?」
「でも靴下とか裏返しのまま洗濯に出されても気にしない。そのまま洗うけど」
「俺は今なにを聞かされてんの? トリセツ? そんな歌詞あった?」
「黒尾は? 許せないことあったら先に言って。改善するかは別だけど」
「てかもうお前の方が結婚する気満々じゃん」
「はあ!? 違うから、普通に付き合う段階でもこういうの大事だから」

 今さら誰かと付き合って、100%相手に合わせられる気はしない。たぶんこれから喧嘩とかもするし最悪別れ話になるかもしれない。でもそうなったらそれはそれでどうしようもないから受け入れようと思う。だいぶへこむだろうけど、失恋しても死なないしなんとか生きてこれちゃってるんだから次もなんとかすればいい。

「……ちなみに黒尾は、帰ったら私がごはん作って待ってるの想像できる?」
「週5で弁当買ってきそう」
「そこまでひどくはならないと思うけど」
「みょうじこそ俺が保育園に子供の送り迎えしてるとこ想像できんの?」
「よその子ギャン泣きさせてるとこしか想像できない」
「……俺結構子供好きなんだけど」

 架空の未来には、うまくいかないこともたくさん待ち構えている。だからって今起きてもいないことにまで向き合って怯む必要もない。そのときが来たらいやでも向き合わなきゃいけないのだから、だったらそのとき考えればいい。楽観的すぎるのもどうかと思うけど、身構えすぎてなにもできなくなるくらいなら今考えなくてもいい。少なくとも今現在のことに向き合うより先に向き合わなきゃいけないものではない。
 なんか急に世の中の大半のことは大丈夫な気がしてきた。

「なんか黒尾と話してると悩んでるの馬鹿馬鹿しくなってきた」
「呼び出しといて悪口」
「違う、いい意味」
「いるよな〜、“いい意味で”って言っとけばなに言ってもいいと思ってるやつ」
「なんなの、今日は真面目にちゃんと話そうと思ってたのに」
「悪かったって。怒んなよ」
「怒ってないけどちゃんと聞いて。どうせ照れてんでしょ」
「は……?」

 ちら、と黒尾を見るとやっぱり呆気に取られた顔をしている。よくしゃべるときの黒尾が、本当は重い空気とか動揺している自分に耐えられなくてふざけてるだけっていうのは知っている。何年好きだったと思ってるんだ。両手で顔を覆いだした黒尾に今度は私のにやけが止まらない。

「……俺、みょうじには一生敵わない気がする」
「私も黒尾に同じこと思ってるけどね」
「俺なんでこんな振り回されてんのにお前のこと好きなんだろう」
「どんまい。ちなみに私は覚悟決めたよ」
「と、言いますと」
「黒尾と友達やめる」
「……それはいい意味でだよな?」
「当たり前じゃん」

 自分の顔を覆っていた黒尾の大きな手が放れる。照れてるからなのか酔ってるからなのか頬が赤みを差している。本当はわかってるけど、今日は後者ということにしておいてあげよう。放心状態でなにも言わない黒尾にこちらまで照れくさくなってくるので、黒尾が飲みかけているジョッキに私のを軽くぶつける。コツンと小さく鈍く鳴った乾杯の音は、新しい関係が始まる音だった。

2024.04.17 end
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