南京錠で鍵をかけたあと、彼女を閉じ込めた女子たちは鍵を投げて寄越したのだと言う。なにも本気で閉じ込めて凍死させようとしたわけではなくて、注意しに来た俺に気づいた彼女たちはこの子に助けを乞わせて恥をかかせたらそれで満足だったのだ。充分悪趣味だとは思うしやりすぎだと思うけど。

鍵を受け取って、無駄な体力を消費することなく彼女を無事に脱出させることに成功する。こうして間近で見ると、顔は青白くて本当に死んでしまいそうだ。着込んでいたブレザーとセーターを脱いで彼女に渡してやる。ついでにマフラーも外して巻いてやると「先輩、風邪ひきます」と歯をガチガチいわせながら止めてきた。

「凍死しそうな子に言われたくないよね」
「……ありがとうございます、えっと、チャラ暇クソ正義感野郎先輩」
「その呼び方」

恩を着せるつもりはない、ないけど、仮にも助けてやったのにその呼び方は絶対適切なわけがない。というか女の子がクソとか言わない。そこまで考えて、そういえば俺はこの子の名前を辻ちゃんたちから聞いて一方的に知っているけど、俺は名乗っていなかったなと気づく。

「犬飼澄晴。はい、リピートアフタミー」
「いぬかいすみはる、先輩」
「よく“犬飼ってんの?”って聞かれるけど飼ってないよ。犬飼ってない澄んで晴れてる先輩ね、覚えた?」

俺の言葉にこくりと頷くと彼女の髪から水が滴った。これはまずい、この状態で風がびゅんびゅん吹く外なんてとてもじゃないけど歩かせられない。そよ風でも吹こうものなら一瞬にして凍りついてしまいそうだ。ていうかワイシャツ一枚でこの寒空の下を歩く勇気が俺にはない。いっそのことトリガーオン!すればいけるんじゃ、と思ったけどただでさえ八ヶ月前に問題を起こした部隊の隊員、民間人を連れている以上無用な疑いを避けるためにはやめておいた方が無難だ。まさにこの状況はデッド・オア・アライブ。今俺の平和が脅かされようとしている。ズボンの尻ポケットから携帯を取り出して姉に掛けるも今日は奇しくも花の金曜日、今ごろ二人とも飲みに出かけてしまっているのか繋がらない。母に掛けてもいいけど父が帰ってきたときに晩酌の相手がいないと寂しがるだろう。他に頼れる大人は。苦肉の策だったけれど、俺は自分のよく知る身内以外の大人に電話を掛けた。



「いや〜、すみません二宮さん」

本部にまだ残っていたらしい二宮さんは、俺が電話を掛けるとすぐに車を飛ばしてくれた。降りてきて俺らの姿を確認すると、苦々しい顔をしたけれど。

「ふざけるな、死にたいのかおまえら」

そりゃあそうだ、頭から濡れて俺の服を着込んだ女の子とこの真冬にワイシャツ一枚の間抜けな俺。理由はあとで説明します、と言う俺の切羽詰まった声にすぐに来てくれたけど、これじゃあキレられても仕方がない。

「これには深〜いわけがあるんですよ」
「状況はあとだ、まずは乗れ」

二宮さんは助手席の戸を開けると、見るからに凍えそうななまえちゃんに乗るよう促した。彼女と二宮さんは全くの初対面、普通なら俺を助手席に乗せるところだけれど、助手席の方がヒーターの風を直で当てられると思ったのだろう。

「わ、私、親以外の男の人の助手席初めてです」
「不満はあるだろうが非常時だからな、黙って乗れ」

二宮さんはまるで女心がわかっていない、二宮さんの運転する車の助手席に不満を抱く女の子の方が稀少だ。それよりも彼女はきっと「こんなきれいな顔の男の人の助手席に自分なんかが、ましてみすぼらしい格好をしているときに乗るなんて」と混乱しているに違いない。気まずそうに頭を下げながら、彼女は助手席に乗り込んだ。

「……さっきの連中絡みか」

助手席の戸を閉めて俺に向き直ると、二宮さんは端的に訊ねてきた。女心には疎い二宮さんとてこの不穏な空気はいち早く察知したのだろう、伊達に俺より長く生きていない。この惨状が卑劣な行為の産物であることに気がつかないわけがなかった。

「まあそんな感じですね」
「……そうか」
「あ、俺の家までお願いします」

後部座席に俺、運転席に二宮さんが乗って、二宮さんは着ていたジャケットをなまえちゃんの膝にかけてあげたところで車を発進させた。二宮さんがヒーターを一番強くしてくれたので、後部座席の俺まで熱風の恩恵を受けることができた。シートに深く沈み込むと、どっと疲れが押し寄せてくる。

「……本当に、なにからなにまですみません」

助手席の方から震えた声が聞こえてきた。後部座席のど真ん中にいる俺からは彼女の表情はよく見えない。だけど俯いて、肩を僅かに震わせているのを見るに、どうやら寒さからの震えじゃないことはすぐにわかった。

「なまえちゃんのせいじゃないでしょ、気にしなくていいよ」

彼女がいじめられているのも、俺も二宮さんもワイシャツ一枚しか着ていないこの現状も、二宮さんが車を出してくれたのも全部彼女のせいじゃない。誰が悪いかなんて明白で、ただその責任を問うべき人間が今はこの場にいないだけ。今この場にいる誰に責任を問うかなんてさほど問題じゃない。だけど責任を感じてしまうのが、この少女の本質だった。やがて静かな車内に鼻をすする音が聞こえてくる。声を押し殺して泣いているのだろうとすぐに察しがついた。後部座席に据え置かれていたティッシュを何枚か彼女に渡すと嗚咽混じりの「ありがとうございます」が聞こえてくる。二宮さんはなにも言わないまま空いているコンビニの駐車場に車を停めた。助手席側が一番端になる位置に、通行人から見えないように頭から突っ込んで。

「少し待ってろ」

そう言い残すと二宮さんはさっさとコンビニの中へと消えていった。

車内に気まずい沈黙が訪れる。気の利いたことはさっき言ってしまった、効果はなかったけれど。彼女は責任を感じてしまっている上に、きっと今の自分が惨めで仕方がないのだと思う。仮にも女子だ、俺らがどれだけ気にしていないと言ったところで、悔しいものは悔しいし見られたくないものは見られたくないのだ。おまけにたぶん優しくされることに慣れていない、蓄積された孤独感が一気に爆発してしまったのだろう。

「……こないだも言ったけどさすがにさ、担任とか誰か大人の人に相談した方がいいんじゃない?親に心配掛けたくないのもわかるけど」

彼女が親を想うように、親にも子供を心配する権利がある。それに今日みたいなことが続くようならさすがに隠し通せなくなる日は必ず来る。週明けからいきなりこの子を取り巻く環境が変わるわけでもないのなら、黙っていたことを追求される日は遅かれ早かれ来てしまうのだ。だったら早いとここんな屈辱的な日々は終わらせてしまった方がいい。それは他でもない彼女のためだ。未来を育む高校生という二度とはやり直せない大切な時期にこんな状態、彼女の精神衛生上よいとは言えない。そして彼女も事態の終息を待っている、そうでもなければこんな風に泣いたりしない。

「親は、いません」

嗚咽の合間に短く答えられて俺は息を飲む。子供がいくら親を想っていても、親は子供より先に死ぬ。この三門市に限ってはそうじゃないケースも多いけど、前の侵攻で天涯孤独となってしまった子供が多いのも事実だった。

「ごめんね、実は色々聞いてたんだけど、それって転校してきたことと関係してる?」

こくり、小さな頭が縦に頷くのを確認する。そっか、と声を漏らすと彼女は続けた。

「今は親戚の家にお世話になってます、だから心配掛けたくないんです」

なるほどそういう事情か、実の親ならまだしもそれは確かに言いづらい。彼女が頑なに濡れた状態で帰るのを拒む理由に合点がいった。

「このままでいいわけないって、わかってはいるんですけど」

話してみたからなのか、はたまた泣いてすっきりしたのか二宮さんが戻ってくる頃には彼女は落ち着きを取り戻していた。二宮さんは無表情のまま俺らに温かいココアを手渡した。

「甘いものは苦手か?」
「……好きです、カカオ好きです身に染みますありがとうございます」
「ならいい」

元より口数の少ない二人の会話はとてもフレンドリーとは言い難いけど、それでも成立しているのがなんとなく微笑ましいと思った。二宮さんの運転する車は再び走り出す。その間、落ち着いてきた彼女から事情を粗方聞くことにしようと思った。

「怒んないから正直に話してほしいんだけど、なんで警戒区域に入ったの?」

そう訊ねると、彼女はぽつりぽつりと話し出した。

昔住んでいた家が近くにあったのだという。フェンスの外から懐かしい風景を眺めていると、運悪くいじめっこたちに見つかってそのまま連れ込まれたのだとか。今時の女の子は恐ろしいな、とつくづく実感する。それはなにも俺だけじゃないらしい。

俺の家の前まで着くと二宮さんは車を停めた。膝に乗せてもらったジャケットの裏地が濡れてしまったからクリーニングに出してからお返しすると言った彼女の提案を二宮さんは拒んだ。

「構わん、そのまま返せ」
「じゃ、じゃあクリーニング代だけでもお納めを……」
「財布をしまえ、金もいらん」
「でも」

しゅん、と眉を下げる彼女に、二宮さんは溜め息を溢した。そして毅然として話し出す。

「今回の件はおまえたちだけの問題じゃない。警戒区域の個室に市民を置き去りにするなど言語道断だ、この件は上に報告させてもらう。表沙汰になるがいいな?」

反論は受け付けない、そんな強い口調だった。彼女はしばらく無言を貫いたのち「わかりました」と小さく返事をした。

二宮さんの言うことはもっともだった。
防衛任務とはいえ家の一軒一軒訪ねて様子を見るわけじゃない、ましてトイレの個室なんて普通は調べない。たまたま俺がいて、辻ちゃんが“同じ学年のやつらだ”と言ったから引っ掛かるものがあっただけで、なんの事情も知らない隊員が通りかかっていたなら彼女はそのまま取り残されていてもおかしくはない。ていうか単純にいつトリオン兵が出るかわからないから危ないっていうのもあるけれどもそれだけじゃない。
二宮さんは妥協というものを嫌う人だ。裁かれるべき対象が然るべき処分を受けずにのうのうとしていることが許せないのだろう。彼女が言わないのなら客観的な第三者が問題として取り上げた方が効果があると踏んだのだと思う。俺も二宮さんが正しいと思った。

二宮さんの車が角を曲がるまで、深々と礼をした彼女は頭を上げなかった。

2016.07.15

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