「ねえ、なんで俺のこと嫌いなの?」

別に気にしているわけでもないけど、かねてよりの純粋な疑問を投げ掛けるとカゲは露骨に嫌な顔をした。

「あぁ!?知るか、うぜえ」
「えー、なにその理不尽な返し」

ははは、と声を漏らすとカゲは舌打ちを溢す。ちょっと話しかけたくらいでこれだから、カゲとろくに会話することはほぼ不可能だ。

「じゃあもしさ、俺が命の危機に晒されたとしてそこにはカゲしかいないとする。そしたらカゲは俺のこと助けてくれる?」
「んなわけねえだろ思い上がんな。俺はテメエが嫌いだ」
「そっかあ、俺見捨てられちゃうのかあ」

もしもの話とはいえ俺がもし死にそうになったら、そこに居合わせるのはカゲじゃなければいいな、なんて思ってみたりする。
誰かを嫌いになる、ということが俺にはよくわからない。そもそも好きとか嫌いとか誰かに執着的な感情を抱くことすらわからないのかもしれない。だからカゲに聞いてみたりしたけれど、これじゃまるで話にならない。収穫なしかあ、と落胆しているとカゲが静かに呟いた。

「……テメエは」
「ん?」
「どうせ、死ぬ!ってときでもそうやってヘラヘラしてんだろ」
「そんなわけないよね、俺のことなんだと思ってる?」
「つーかそんな状況、どうせテメエ一人でどうにかするだろ」
「まあねー、たぶんなんだかんだ対処できる自信はある」
「殺しても死ななそうなしぶとさがうぜえ」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
「仮にそうなったとしてテメエが地に頭つけて泣いて命乞いしたら考えてやらなくもねえ」
「うわー屈辱だね、そうならないようにがんばろう」

カゲは俺のことが嫌いらしいけれど、俺はカゲのこういうところが嫌いじゃない。好きなものは好きで嫌いなものは嫌い、裏表のない性格は見ていて気持ちがいい。それに、仮に泣いて喚かなくてもカゲは嫌がりながらも俺を助けてくれると思う。借りとかそういうの抜きにして後先も考えない、カゲはそういう性格なのだと思う。

「なんだかんだ優しいから俺はカゲのこと好きだよ」
「あぁ!?きめえ、失せろ」

誰かに嫌われたとしても、必ずしも自分までその相手を嫌う必要はない。まして誰かを嫌い、という感情を誰かと共有する必要もない。だけどそれは本能的なものなのだとも思う。遥か遠い昔の、人間が縄張りを争っていた頃に培われた本能的な意識だ。危険因子は排除せよ、と本能が告げるのかもしれない。俺にはその意識が極端に欠落しているのだろう。



一月に防寒具なしで外を元気に駆け回るなんて、生身だったらバカの極みとしか言いようがないけど俺らはトリオン体だから寒さなんか微塵も感じない。この体さえあれば省エネも可能なんじゃ、とか空想してみたこともあったけど、トリオンの無駄遣いにはなると気がついて考えるのをやめた。

「……しっかし、全然いないな」

先ほどから我ら二宮隊の担当地区にはトリオン兵が全く出てこない。他の場所にはちょこちょこ出てきているらしいけど、民家の屋根上から見渡してもなにも見当たらない。期末前の息抜きにどうせならスカッと討伐して気分よく週末を迎えたい。土日は運よく非番だから、そろそろ勉強に本腰を入れなければいけないのだ。

「気を抜くな、集中しろ」
「は〜い」

学校が終わってそのまま本部に直行、任務終了まであと30分。町が平和なことは大変いいことではある、だけど平和は退屈でもある。なんで俺らのところには頑なにラッド一匹たりとも横切らないのか飽き飽きしていると、辻ちゃんが声を発した。

「あれ」

辻ちゃんが指した方に俺と二宮さんは視線を向ける。ようやくトリオン兵のお出ましかと期待したけれど、そこにいたのはトリオン兵ではなく紛れもなく生身の人間、おまけにうちの高校の生徒だった。ちなみに思いっきり警戒区域内に入り込んでいる。

「うちの学年の女子ですね」
「よし、ここは先輩である俺が注意してやろう」

今時の女の子は怖いもの知らずで困る。あのいじめられている女の子に関しても、鳩原に関しても。彼女たちがさっきからひっきりなしに出入りしているのは警戒区域内の公園、更にそこにあるトイレ。どうしても我慢できなかったのだとしても、もう少し場所を選んでくれなくては困る。

「おーい、そこ警戒区域だよー。危ないから早く出なよー」

少し離れたところから声を張ると俺に気がついたらしい女子たちはそそくさと退散する。その際「げっ、チャラ暇じゃん」「あいつボーダーだったんだ…」とか聞こえてきたけど素直に立ち去ってくれたので目を瞑ってやろう。それにしても俺がチャラ暇クソ正義感野郎と呼ばれているのはどうやら事実らしい。ていうかどうせならチャラ暇って略さないでほしかった。それじゃ俺がただのチャラくて暇な人みたいじゃないか。とはいえクソ正義感野郎のクソも充分余計だけれども。

「まだ人がいないか一応確認してこい。俺と辻は先に行く」
「了解です」

屋根伝いに移動して、さっきまで女子たちがいたトイレを覗き込む。警戒区域で人がいないとはいえ女子トイレを覗くのは気が引けたけれど、これも任務の一環なのだから致し方ない。

「誰かいる?」

扉は全て閉まっていて、床は一部濡れている。バケツなんかも転がっていて、誰にも使われないとこうして荒れていってしまうのだと思うと結構感慨深いものがある。一応全ての扉を開けて誰もいないことを確認していくけれど、一番奥の扉にだけ南京錠がかけられていた。用具入れかなにかだったのだろうと合点がいって、一応男子トイレも確認していく。声をかけてもやっぱり、俺の声がむなしく響くだけだった。



結局トリオン兵を一体も討たないまま任務を終える。折角だから模擬戦でもしていこうかとも思ったけど、暇疲れしてそんな気分にはなれなかった。俺が今日したことといえば後輩女子たちを安全に退去させトイレ警備をしただけ。それも特になにもなく終わってしまったため拍子抜けもいいところだ。もちろんトリオン兵は出ないことが一番いいのだとわかってはいるけれど。
これが平和ということなんだろう。四年前、大規模侵攻に比べて今は。
平和はいつまでもそこに鎮座してくれるわけではない。なんの前触れもなく、あるいは知らぬ間にじわじわと侵すように、堰を切って混乱に陥れる。平和に甘えてなにも準備しないでいるとあっという間に食われてしまう。四年前はそうだった。無数に開いた門に空を侵され街を壊滅されるだなんて、あのとき誰が予想できただろう。

まあ、今が平和だと言い切れるかといえばそうでもない。適切な対処ができているだけ。それに平和を侵すのはなにもトリオン兵だけとは限らない。そう思い至ってふと、あの子のことを思い出す。

元は三門市の出身だったらしいとひゃみちゃんが言っていた。なんでわざわざ三門市に戻ってきたんだろう、戻ってきたのにいじめられるなんて可哀想だなとかそういうこと。そしてトリガーを起動して帰りたいくらいこんな寒い冬の夜、彼女は今どうしているだろうとも思った。

俺が彼女と出会ってまだ一週間と経っていない。冬休みが明け、初めての週末だ。誰にも傷つけられず穏やかに過ごせているのだろうか。そこまで考えてなぜか、先ほど確認した女子トイレにまで思考が及んだ。

そういえばさっきあそこにいたのは同じ学年の女子だったと辻ちゃんは言った。声を掛けても返事のない、静かなトイレ。そこは誰も入りやしないからバケツはそのままだし床は濡れて、お世辞にもきれいとは言い難かった。

床が濡れていた?なんで。誰も使っていないのに。バケツは?トイレを使用するためになんでそんなものが必要になる。ライフラインは通っているのだから、詰まらせでもしない限り必要がない。ていうかあの南京錠、男子トイレにあったっけ?そもそも警戒区域付近の施設は緊急時に避難や救助が遅れることを避けるため原則として不必要に鍵をつけない。それにあの南京錠、その辺で買えるような粗末なものだった。

まさかとは思う。だって俺は声を掛けたし返事はなかった。なんなら鍵のかかった扉も一応何度かノックしたし、誰かいたのならさすがに俺の存在に気づくだろう。
だけどもし、声の出せない状況だったとしたら。声を出さない人間が中にいたのだとしたら。どれだけ悪意をぶつけられても黙って受け止める女の子を俺は知っている。俺が肩に触れたとき、怯えた目をしながら短く悲鳴を上げただけの女の子を俺は知っている。あそこにいた女子たちは、あの子と同じクラスの子たちだったんじゃないだろうか。
悪い予感が背筋をかけ上がる。考えるよりも先にさっきのトイレまで走り出していた。

2016.07.14

※ 警戒区域付近の施設に鍵を不必要につけない、というのは予想による捏造であり公式の設定ではありません。

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