「二年の間で噂になってますよ」

静かな作戦室に、辻ちゃんの声はよく通った。ひゃみちゃんはモニター前で資料の整理をしていて、俺と辻ちゃんは任務までの待機時間をもて余していた。
噂って俺のことだろうか。辻ちゃんの端的な一言に俺は訊ねる。

「なになに、犬飼先輩かっこいい!って?」

茶化すように探れば、再び作戦室はしんと静まり返る。ひゃみちゃんに至っては顔ごと伏せて、言い出した当の本人である辻ちゃんは気まずそうに唇を真一文字に結んだ。

「えー、黙んないでよ気になるじゃん。なになに?」

なにやらろくでもない噂のようだが、聞かずにはいられない。場合によっては訂正させてもらう権利が俺にもあるだろうし、善処するべきところならした方がいいだろう、ていうか純粋に気になる。涼しい顔を崩さない辻ちゃんをじいっと見つめていると、観念したのか口を割った。

「“チャラ暇クソ正義感野郎”だそうです」
「……辻ちゃんはいつからそんな汚い言葉を使うようになったの、普通に傷つく」
「言い出したのは俺じゃないです、違うクラスの奴らです」

そんなことだろうとは思ってたけど、それにしてもひどい言われようだと思う。百歩譲ってチャラいのは認める、俺自身は全然、全く、微塵もチャラくないけど見た目や言動でそういう印象を持たれるのは今さらどうしようもない。けど暇だというのは聞き捨てならない。俺は全然、全く、微塵も、これっぽっちも暇なんかじゃない。ボーダー提携の大学に進学が決まっているとはいえ冬休み明けから数週間ですぐに行われる期末試験の勉強や、二月から始まるランク戦のために非番であろうともボーダーに通いつめる日々、まして進学前にやらねばならないことも山積みだ。そんな俺がなんでなにも知らない後輩たちに暇だなんてあどけなく言われなければならないのか、まあ理由は自分でもわかってはいる。

「俺は別に暇だからあの子を気にしてるわけじゃないよ」
「俺に言われても」

まあ確かに、この件に全く関与していない辻ちゃんに言ったって困るだけだろう。

後輩たちが俺を暇な人認定するのには理由がある。俺はあれから毎日のように俺にゴミを投げつけてきたいじめられっこの様子を窺っていた。ゴミを投げられていれば一緒に拾ってあげるし、毎日自由に旅している彼女の上履きを探して下足箱に戻してから下校しているし、なんなら姉の除光液を持ち込んで机に落書きされた“しね”だの“消えろ”だののおぞましい言葉を消してやったりもした。割れ窓理論っていうやつだけれど効果はあったらしい。今では油性ペンで落書きするようなバカはいなくなった。姉に頭を下げて除光液を貸してもらった甲斐があるってものだ。だからといってシャーペンで書いてるから控えめだとは思わない、今でも彼女の机に落書きされる言葉は相変わらずむごいと思うけど。
だけど俺は全然暇じゃない、この春大学進学を決めたボーダー隊員、二足のわらじを履く18歳だ。俺は寸暇を惜しんでいじめられっこの世話を甲斐甲斐しく焼いているのだ。ちなみに彼女は俺を見つける度に睨み付けてくるわけだけど。だからなんで俺なんだよ、と思わずにいられない。

「……関わらない方が、いいんじゃないでしょうか」

それまで俺らの話を聞いているだけだったひゃみちゃんが口を挟む。うちの隊員たちは隊長を筆頭にどうしてこうも表情が乏しいのか、ひゃみちゃんが今なにを考えてそんなことを口にしたのか俺には皆目見当もつかない。

「ひゃみちゃんもそういうこと言うの」
「そういう意味じゃないです」
「じゃあどういう意味?」

俺が問うと、ひゃみちゃんは相変わらず表情を崩さないまま語り出した。


二年の一学期、六月の下旬に彼女は転入してきた。夏だというのに分厚いタイツを履いて、指の先ぐらいしか出ない袖の長すぎる長袖のブラウスを着て、真っ黒な髪をだらりと下ろして表情を覆い隠す不気味な生徒だったという。第一印象はまずアウト、やばいやつが来たとすぐに噂になったらしい。
事の発端は夏休み前、転校して間もない彼女と打ち解けるため遊びに誘おうとした女子生徒が声を掛けるため彼女の肩を叩くと、彼女はその手を思いっきり振り払ったのだそうだ。突然のことに驚く女子生徒を睨み付け、彼女はそのまま走り去ってしまったという。

その日から彼女は、正真正銘やばいやつと認定された。

「私も聞いただけなので、詳しくはわかりません」
「いや、まあ大体わかるよ。あの子そういう感じするもん」

変わった子だと思う。投げつけられる悪意は甘んじて受け入れるくせに、向けられる善意には徹底して対抗してくる。普通逆だろと思うけれど、人にはそれぞれ押しちゃいけないボタンがある。それが俺らと彼女じゃ違うだけ、ただそれだけのことなのだろう。

「でも二年の途中で転入してくるってなんか訳あり?ボーダーのスカウト組でもなければそんな時期に普通来る?」
「ボーダー絡みではないみたいですね」
「元々三門市の出身だったっていうのは噂で聞きました」

まあ彼女の転入理由はさておき、とにかく事情はわかった。わかったけれど納得できるかといわれると首を捻る。

身なり言動立ち居振舞いがおかしいと、いじめてもいい理由になり得るのか。俺はそうは思わない。あの子ちょっとやばいからそっとしとこう、ならまだわかる。でも総攻撃してもいい理由にはならない。数の有利とはあくまでも戦術であって、戦う意思のない丸腰の相手に多方面から攻撃していいわけじゃない。彼女が敵意を向けたのは話しかけてきた女子であって、全人類に向かって宣戦布告をしたわけではないのならそれはそっとしておくべき案件だったのだ。

「……でも、関わっちゃったしなあ」

今さら関わらない方がいいと言われてもあとには引けない。あの子おかしいからいじめられても当然だよね、じゃあ俺はこの辺で、なんてそんな薄情な人間でもない。どうにかして彼女を取り巻く環境を変えてやりたい、だけどそれはあくまで彼女の意思あってこそのことだというのもわかっている。

「……見てられないのは、同感ですけど」

辻ちゃんは苦く顔を歪めた。それに同意するようにひゃみちゃんもこくりと頷く。同学年である二人は、俺よりもずっと近くで凄惨な現場を目の当たりにしてきただろう。進学校だからといって品行方正な生徒ばかりがいるわけじゃない、蓋を開けてみればなかなかに幼稚かつ執拗、勉強のストレスを一人の生徒にぶつけることだってありえるだろう。そして頭がいい分うまいこと隠れてやっているようだ。余計に質が悪い。

「辻ちゃんは相手がいじめられてようがなかろうが女の子相手じゃなにもできないでしょ」

俺の一言に辻ちゃんは言葉を失った。ぐうの音も出ないのだろう。だって事実だし。

「ひゃみちゃんもなにもしなくていい。大人しい子は次の的にされるかもしれないし」

やるべきはたぶん、俺。そしてそういうのに向いているのもたぶん俺。俺はこの春卒業してしまうのだから、どこの馬の骨とも知れない後輩に嫌われたってもう関係ない。そもそもクソ正義感野郎ってなに、ボーダー隊員として日々市民を近界民から守っているのだから当然だし人より多少正義感が強くてもなんらおかしい話じゃない。むしろこの上ない褒め言葉、それともその正義に撃ち伏せられる覚悟もなく悪事を働いているわけじゃなかろうな、と戦隊ヒーローのようなことを思ってみる。

高校生活の最後に、少しくらい嫌な思いをしたって構わない。彼らにいじめる理由があるのなら俺にだって彼女を見守るだけの大義名分はある。それは。

「俺もなんかかっこいいことしたいよね、卒業前に風紀を正していくとかなんか語り継がれそうだし」
「……いい話だと思ったのに台無しです」
「えっ、なんで!?」

理由はよこしまかもしれないけれど、実際に慈善活動をして行動を伴うのなら意味はあると思う。だけど白い目を向けてくる辻ちゃんを見て言わない方がいいこともあるのだと悟った。

2016.07.11

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