ホームルームの開始早々、なまえちゃんは真っ先に手を振り払ってしまった子に謝ったのだそうだ。そのあとにクラス全員にも頭を下げたらしい。人との接し方がよくわからないこと、だからこれからもイライラさせてしまうかもしれないこと、だけど本当はみんなと仲良くしたいと思っていて、少しずつ努力していくつもりであることを自分の言葉で伝えたという。それからというもの、彼女を取り巻く環境は少しずつ変わっていった。

「先輩、助けてください」
「え、なにどうしたの」

相当追い詰められているのか、切羽詰まったように彼女は言う。その様子に俺の方が畏まる。

「週末、初めてクラスの子と遊びに行くことになりました……」
「いいことじゃん。なにをそんなにビビってんの」
「今時の高校生がなにをして遊んでいるかわからないんです……」
「……ちなみに聞くけどなまえちゃんって趣味とかあるの?」

俺の質問に彼女は真剣に考え込む。そういえば俺はこの子が普段なにをしているかなんて知らない。学校にいるときの、常になにかに怯えて俯いていたこの子しか知らない。

「じゃあさ、学校以外の時間ってなにしてるの?放課後とか休みの日とか」
「……勉強?」
「まじめか」

勤勉にも程がある。進学校生の鑑ではあるけど青春真っ盛りの女子高生としてはどうかと思う。まあ三門市に戻ってくるまでの彼女の境遇を考えれば無理もないのかもしれないけど、こうも面白味のない女子高生も今時珍しい。

「それで、不安ってこと?」

彼女はこくりと頷いて、更に続けた。

「せっかく一緒に遊んでくれるのにまたイライラさせてしまいそうで怖いんです」
「あー、なるほどね」
「だから今時の高校生がなにをしているか予備知識があるだけでも気が楽というか……」

それで俺に聞きに来たということか。昼休みに物凄い形相で教室を訪ねてきたので驚いたけれど、ようやく合点がいった。

「お願いします、先輩にしかこんなこと聞けないんです教えてください」
「そんな大袈裟な」

彼女にとっては一大事だろうけど、なんだか微笑ましい悩みだなと思う。先週までいじめられていた子が遂にはお友達に遊びに誘われるようになるなんて、俺のしたことも報われるってものだ。レベル1だった勇者のレベルが今週になってから爆上がりしていて俺は嬉しい。でもちょっとだけ懸念事項もある。

「……一応聞くけど、遊びに行くのって女の子とだよね?」
「はい」
「ふーん、そう」
「……やっぱり先輩に聞くのは失礼ですよね女子のことまでわかりませんよね帰ります失礼しました」
「ちょっと待って、そういう意味じゃない」

物凄い勢いで捲し立てたかと思うと今度は勢いよく立ち去ろうとする彼女の細い手首を掴む。
相手が女の子と聞いて安心している自分がいた。そりゃあ今までクラス一丸となっていじめていた女の子をいきなりデートに誘う度胸のある男なんて少ないだろうけど、この子が意外と普通な子だというのをこの学校で一番最初に気がついたのは俺だ。なんならこの子普通にかわいいじゃんとか思ってるし、他の男共がみょうじなまえのかわいらしさに気がついてしまう日はそう遠くはないだろう。そうだとしてもぽっと出のどこぞの男に掠め取られるのはなんとなく面白くない。そんな小さな嫉妬心が芽生えたけど、相手が女の子ならば素直に祝福すべきだろう。

「今時の子がなにするかって言われてもなあ」

うちの姉貴たちが高校生の頃は、よくプリクラを撮ったりしていたことを思い出す。これが男同士ならゲーセンで一日中時間を潰したりするけど大体はみんな思い付きで行動している気がする。それに、いざ“高校生が普段なにをしているか”と聞かれると困るものがある。その答えに正解はないし、人によるとしか言いようがない。そう考え至ってふと、あることを思い付いた。

「ねえ、今日の放課後空いてる?」
「はい」
「じゃあ放課後迎えに行くね」
「え?」

言葉で説明できないのなら実践するしかない。意味がわかっていないらしくなまえちゃんは首を傾げている。そういう鈍感さも新鮮でかわいく見えてしまうのだから女の子ってずるい。



「いやー、いい息抜きになった。ありがとう」

放課後になるなり強制連行、それからは俺の思い付く限りの高校生らしい遊びをした。クレープを食べに行ったり雑貨屋さんに行ったりプリクラを撮ったりUFOキャッチャーに興じたり。キャラクターものにも疎いなまえちゃんより俺の方が詳しいのにはさすがに笑ったけど、大きめのぬいぐるみを取ってあげると嬉しそうに笑ってくれたのでよしとしよう。

「期末前なのにすみません」
「いいの、俺もたまには息抜きしなきゃ死んじゃう」
「ありがとうございます」
「その子大事にしてね、俺ががんばって取ったやつ」
「はい、一生大事にします。お墓まで持っていきます」
「そこまではしなくていいかな」

ぬいぐるみを大切そうに抱きしめている彼女を見ていると心が穏やかになる。女の子とぬいぐるみの組み合わせってあざといけどかわいいものはかわいいのだ、俺は自分の気持ちに嘘は吐かない。

本当は、なまえちゃんに高校生の遊びを教えようだとか期末前の息抜きだとかどうでもよかった。結局そんなものは建前でしかなくて、本当は少し寂しかった。この子を取り巻く環境が変わればいいと思ってそのために俺は密かに手を焼いてきたのにこうもあっさり変わってしまって、他のやつらになまえちゃんを取られたみたいで少しだけ寂しかった。クラスメイトと打ち解けてきた彼女の邪魔をしないようにあまり会いに行かなくなったのもある。それは俺が決めたことだから文句は言えないけど、昼休みに彼女の方から来てくれたときやっぱり彼女が真っ先に頼る相手は俺なのだという事実を噛み締めて嬉しかった。だから独占したくなっただけ。それに、この子と一番最初に遊ぶのが他のやつというのもなんだか気に入らなかった。例え相手が女の子でもだ。

「週末楽しめそう?」
「……がんばります」
「よーしその意気だ」

ほんの一週間前、頭から水を掛けられて屋外トイレに放置されていた子とは思えないくらい今の彼女は明るくなった。憑き物が落ちたみたいに表情もイキイキしている、長い髪の毛を顔の横に垂らすこともなければ背中を丸めて歩くこともない。彼女を襲う近界民はもうどこにもいない。

「……先輩」

隣を歩いていたなまえちゃんが突然立ち止まったので振り返る。ぬいぐるみを大切そうに抱えて、俯いているから俺からは彼女の表情がわからない。

「どしたの」

今がもう少し暖かい時期だったらまだ外は明るくて、彼女の表情も見えたのかなとか思う。なんにしても今は冬で、時間は夜。顔を上げてくれなきゃ今どんな顔をしているかなんてわからない、わかってあげられない。そんな俺の願いは虚しく、彼女は俯いたまま続けた。

「先輩はかっこいいです」
「え、ありがとう知ってる」
「いつもかっこいいです尊敬してます」

続いたのは、あまりにストレートな誉め言葉。不器用が過ぎるこの子だから、言葉のキャッチボールだって直球しか知り得ない。誉められるのは嫌いじゃないし素直に嬉しいし、このあとに続く言葉次第では俺彼女できるかも、とか浮かれていた。

「先輩は優しいです」
「うん?」
「たぶん私にだけじゃなくて、誰にでもみんなに優しいです。でもそういう先輩だからこそ尊敬してます」
「なになに、やきもち?」
「……そうかもしれません」

あまりに照れ臭くて茶々を入れてみたのに、素直に肯定されてるようじゃざまあない。
今、この子はなにを考えて、なにを伝えようとしているのだろう。皆目見当もつきやしない。

「今までだって私みたいなやつを見たら放っておけなかったんだろうなって、そんなのわかってます」
「待て待て、ほんとにどうしたの」

俺が優しくするのは君だけだよとかそんなこと、俺は確かに言えやしない。でも違う、俺はいじめられてる子なら誰彼構わず優しくするわけじゃない。そこまでの正義感なんて持ち合わせてなくて、俺はこの子が思うような正義の味方なんかじゃない。そう言おうと思った、声になることは叶わなかったけど。なぜなら苦しそうに顔を上げたなまえちゃんが、声を震わせながら俺に訊ねてきたから。

「先輩は私に、誰を重ねてるんですか」

俺は息を飲むことしかできなくて、ただひたすら不安に揺れる彼女の大きな瞳を見ていた。そんなに唇噛んじゃ血が出るよとか、そんなこと、言えるわけもなくて曖昧に笑みを返すこともできずにいる。俺は今、どんな顔をしているんだろう、自分でもわからない。

「先輩は誰を救いたかったんですか、その人は……先輩にとってどんな人なんですか」

あのとき。荒船と俺の話を聞いていないってとぼけたじゃないか。なのになんで今さらそんなこと言うんだよ。

なんで鳩原のことを、君が俺に聞くんだよ。

なにも答えられるはずもない、言えるわけがない、機密事項だからとかそんな理由じゃない。俺にストレートな信頼を寄せる彼女にだけは知られたくなかった。俺にも救えなかったやつがいることを、ようやく前を向きだしたこの子にだけは知られたくないって思うことくらい、別におかしいことでもなんでもないだろう。

この子を襲う近界民はいなくなったのだと思った。思いたかったし思い込んでいた。だけど近界民は次から次へとやって来ることを俺は忘れていた。この子を襲う近界民が再びやって来た。その近界民はきっと、俺によく似た姿をしているのだろう。

2016.08.24

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