「なんで俺まで正座なの……ほんと鬼」

辻ちゃんが連れてきた先生はそりゃあ怖いことで有名な上に正義感の塊のため結局昼休みのほとんどを説教に費やした。足は痺れるわお腹は空くわで散々だ。俺なんてVIP待遇されてもいいくらい働いたと思うんだけどな、とぶつくさ文句を言いながら落とされたなまえちゃんの弁当箱を彼女と回収し終えた。昼休みはもう残り五分もない。

「お昼食べ損ねちゃったね」
「い、いいんですお腹空いてませんから」

さっきから腹の虫がぐうぐう鳴っているのを俺が気づいていないと思っているのか、なまえちゃんはそんなことを言う。どんだけ強がりなんだよこの子、と呆れずにはいられない。

「お弁当自分で作ってるの?」
「自分で作るって言っても親戚が毎朝作ってくれるんです、なのにこんなことになってしまって本当に申し訳ないです」

彼女の親戚は、毎朝どういう気持ちでこの子のお弁当を詰めているのだろう。四年もの間一人でいじめに耐えていたこの子を、少しでも元気づけたくてあんなに彩り豊かなお弁当を作っているのかもしれない。そう思うと途端にたまらなくなる。

「五限終わったら一緒にお弁当食べよう、俺の半分あげる」
「え!先輩ご飯食べてないんですか?」
「出頭命令が出てたからね。あ、バックれちゃったけどいっか」

教師たちが聞きたかったことの根本は昼休みの出来事で全て暴かれただろう。みょうじなまえはクラス全員からいじめられている。あの光景を見てこの期に及んで知りませんでしたは通用しない。大人が介入してくれれば話はもっと簡単になる。と俺は思っている。

「……お弁当作ってくれる親戚は知らないんだよね」

そう訊ねると彼女は口を噤んだ。

学校どころか彼女が所属してすらいないボーダーまでもが知っている状況を、さすがに彼女の預かり先である親戚家族が知らされないというのは如何なものだろう。彼女は頑なに言いたがらないけれど、この子を引き取ると申し出た親戚とて彼女の平穏を願ってこの町に呼び戻したはずだ。それがまさかこんな状態になってしまっているなんて思いたくはないだろうけど引き取った以上知る権利がある、義務がある。それにそういう責任をも背負うつもりでこの子を預かったはずだ。大規模侵攻で親を亡くした子供が親戚中たらい回された例も知っているけどこの子の親戚はそうじゃない。

「なまえちゃんはさ、もうちょっと人を頼ってもいいんじゃないかな」

俺の言葉に彼女は目を丸くした。

「心配かけたくない、迷惑かけたくないっていうのはわかるけど一人で全部どうにかしようとするのは無理があるんじゃない?」

ただでさえレベル1の勇者のくせに、とはさすがに言わないでおく。
俺は二宮隊に入って戦術の真髄を嫌というほど叩き込まれた。一人一人が強ければいいという問題でもない。二宮さんは点獲り屋で一人でもどうにかなるけど、辻ちゃんは援護が得意だし実際に相手の隙を突くのがうまい。でも辻ちゃんは女の子が斬れないからそういうときは俺の援護に徹する。俺もある程度のことは一人でできても辻ちゃんのアシストがあるともっと仕事が楽になる。戦術ってつまりはそういうこと、一人で戦うことだけが美徳なわけじゃない。まして彼女の周りには近界民がうようよいる。だったら一人で戦っても勝算なんかない。

「いいこと教えてあげる、一人で戦って勝てない相手には複数で挑むのが戦術の基本です」
「……?」
「やり方汚い!とか思う?そんなことないんだよ、相手がなまえちゃんを殺す気で来るんならなまえちゃんもそれに見合った準備をすればいい」
「はあ……」

俺が用いる戦術マニュアル(ほぼ二宮さんの受け売り)に彼女は意味がわからず困惑を浮かべている。つまりもっと周りを頼りなさいってことなんだけど、伝わっているのだろうか。

「敵にも必ず弱点があるんだよ」
「はあ」
「なまえちゃんが戦ってるあいつらの弱点は大人じゃない?あと俺みたいな正義感の塊」

俺は別に正義感の塊でもなければ普通の、本当にごく普通のどこにでもいるしがない男子高校生だけど、ああいうやつは俺みたいな怖いもの知らずを苦手としている。間違っていることを正々堂々間違っていると言ってしまうような、言ってしまえるようなやつを怖がる。自信がないやつほど俺みたいなやつを怖がる。そして自分に真に自信のあるやつが、弱いものいじめなんて卑劣な真似をするわけがない。

「こないだも言ったじゃん、一緒にがんばろうって」

今さら投げ出したりなんてしない、でも勇者が戦ってくれなきゃ俺だって一緒にいる意味がない。俺はあくまでレベル1の勇者のパーティーに組み込まれたカンスト僧侶でしかないのだ。

「違うんです」
「なにが?」
「私、あのとき」

彼女のお弁当がまっ逆さまに地面へ落とされた瞬間、俺が教室へ行く前の話をなまえちゃんはした。

朝の全校集会が終わってから、教室中は嘘のように静かだったらしい。昼休みまでろくに口を開く者なんていないくらい、怖いくらい静まり返っていて、そして彼女を攻撃するやつはいなくて平和だったのだという。
いつものように一人で弁当を食べようとしたなまえちゃんに、あるグループの女の子たちが話しかけてきた。彼女いわくその子達はいじめに関与していなくて傍観していただけ、もっと言うと彼女がいじめられる原因になった発端、話しかけられて手を振り払ってしまったときの子達だったという。「お昼一緒に食べよう」と誘ってくれたのが嬉しくて、だけど咄嗟になんと言っていいのかわからない、ましてあのときのことを謝ってもいないのに義理堅いなまえちゃんは頷けるはずもなかった。その煮えきらないなまえちゃんの態度を見ていた生徒たちが一斉に爆発したのだという。これが事の顛末らしい。

「悪いのは私なんです」

煮えきらない自分が悪い。他人をイライラさせてしまう自分が悪い。あのときすぐに謝っていればこうはならなかったのだと彼女は言う。
手を差しのべてもらったのにすぐにその手を取れなかった鈍臭い自分が悪いのだと彼女は俯いた。

「……先輩みたいに根気よく私に優しくしてくれる人なんて少ないんです。なのに私、先輩に優しくしてもらって勘違いしてました」

優しくされることは素直に嬉しい、だけど根本的な部分を忘れてしまっていた。自分に優しくしてくれる人だって、いつかはあまりの鈍臭さに呆れて自分から離れていってしまうのだと。そう言った彼女にたまらなくなる。

「だから私にも少なからず原因はあるかと……」
「俺なまえちゃんのそういうとこどうかと思うな」
「え?」

人をイライラさせる自分が悪い?だからって向けられる攻撃全てに甘んじるというのか、そんなバカげた話がどこにある。理不尽な暴力に耐える理由がどこにある。本当は苦しいくせに、今すぐこんな状況打破したいくせに、なんでそうやって諦めようとするんだ。
彼女の言ったとおり、確かに彼女は人をイライラさせてしまう素質があるのかもしれない。少なくとも俺は今、この子に対して苛立っていた。でもそれはこの子が鈍臭いからじゃない、うじうじ一人で悩んで殻に閉じこもって、本心を無理矢理押し込めようとするのが見て取れるからだ。

「そういう言われ方したら俺の立場はどうなんの?なまえちゃんに優しくしてる俺が変なやつみたいじゃん」
「そういうつもりじゃ」
「でもそう聞こえるよ」

自分には価値がないみたいな言い方をされて無性に腹が立った。だって俺が少なからず気にかけている子に価値がないなんて言われてしまったら、俺は価値もない人間に時間を割いてきたことになる。それこそ暖簾に腕押し、俺がしてきたことの意味を否定されたようなものじゃないか。そんなつもりはないなんて言うのなら、もうそんなこと思っても口にしないでほしい。

しばらく二人の間を沈黙が流れる。俺の言葉に黙りこくって困ったような笑みを顔に貼り付けているなまえちゃんを見たとき、ふと鳩原のことを思い出した。そしてなんで俺がこの子を放っておくことができないのか、なんとなく気がついてしまった。この子は鳩原に似ているのかもしれない、俺たちが救えなかった鳩原に、似ているのかもしれない。それに気づくと途端に苦しくなって、それからはほとんど無意識で彼女を抱き締めていた。

「せんぱ」

先輩、と言おうとした彼女の言葉の続きは俺の肩口へと消えていく。驚いたのか、人に触れられることがやっぱり怖いのか、彼女の肩はびくりと揺れて、それからしばらく震えていた。怯えているのはわかっていたけれど、それでも手放す気にはなれなくて震える肩ごと包み込む。この子まであっさりどこかへ行ってしまいそうな気がして、本当は少しだけ怖かったのかもしれない。
例え無理矢理だろうとも、今まで君を傷つけてきたやつらみたいに俺はひどいことなんてしないよって、こうでもしないと伝わらないと思った。伝わっていればいいと思った。そうすることで彼女をこの世界に繋ぎ止められると思った。五限開始の予鈴が鳴るまで、ずっとそうしていた。

2016.08.22

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