地上のベガ

 待ち合わせ場所の駅に着き、手元の時計を確認して自分でも呆れた。時間厳守の自衛官とはいえ、待ち合わせの時間より十五分も早く来るのを職業病の一言で片付けるのはさすがに無理がある。別に急いで来たわけでもないのに、みょうじと会う日は決まって妙な汗をかく。
 時間に余裕があることを確認して改札を抜けてすぐにトイレへと向かう。鏡に映る俺は何度見ても俺でしかなく、ただいつもよりほんの少しだけ髪をセットしていて小綺麗な服装をしているだけ。
 女の生態などよく知りもしないが、待ち合わせ前に髪型や服の確認をするなんて女だけだと思っていた。

 二人でフクロウカフェに行ってからというもの、みょうじと俺は何かと理由をつけて毎週末二人で会っている。フクロウカフェの翌週はみょうじの誘いでネコカフェに行った。その翌週は俺が映画に誘った。その翌週はみょうじから水族館に誘われて、そのまた翌週は俺がドライブに誘ってそのまた翌週みょうじから動物園に誘われた。そして今週はプラネタリウムに行く約束をしているのだが、毎週末ごとに会う関係をなんと呼ぶべきか俺は量りかねている。

 もしもこのままこの世のありとあらゆるデートスポットを制覇してもみょうじとの関係が変わらないのだとしたら、この関係はなんと呼ぶのだろうか。ふとそんなばかなことを考えながら待ち合わせ場所に行くと、人でごった返している駅前の柱に凭れ、小さな鏡で前髪を整えているみょうじの姿を確認する。
 みょうじと出会ってわかったことがある、それは俺の視力はやっぱり良すぎるということだ。どんな人混みだろうと、どれだけ遠くにいようと俺はみょうじのことをすぐに見つけてしまう。
 そしてそれはどうやら彼女も同じらしい、近づく前にバチッと目が合うと嬉しそうに微笑みながら手を振ってくる。きっとお互い前世はマサイ族だったに違いない。

「お久しぶりです」

 先週も会ったのに、なんなら毎週会っているのに会う度みょうじは「久しぶり」と言う。端から見るとおかしいだろうが、俺には「久しぶり」と言うみょうじの気持ちがわかる。毎週会っていてもみょうじと会う週末が俺には毎週待ち遠しい。

「プラネタリウムなんて小学生のとき以来かもしれません」

 うふふ、とはにかむみょうじと並んで歩くのにも未だ慣れない。ヒールを履いている彼女と早さを合わせて歩くのも、時折触れそうになる指先にもみょうじ特有のやわらかい香りにも。慣れないのに毎週会いたくなるのはなぜなのか。理由に気づいていながらも、みょうじの気持ちを聞くのが怖くて俺はこの関係に名前をつけることができずにいる。

 じとじととした湿度の高い暑さを抜け、館内に入ると外の熱気など忘れさせるくらいに涼しかった。あと半年もすれば冬が来るのだなあと唐突に思って、その頃みょうじと俺がどんな関係になっているのか未来が見えない。今のように二人でどこかに出かけている関係でいればよいのだが、いや、それでいいのか。それだけでいいのか。自問自答しながらシートに座っていると、やがて照明が落とされた。

 週末ということもありカップルが多いのかと思っていたが、どうやら俺の下調べ不足だったらしい。七夕のイベントで、この日のメインは織姫と彦星の話だった。夏の大三角の話などは子供のいる家族層であれば有意義な勉強になったかもしれないが、大の大人の男女が聞いても退屈なだけだ。最初こそ客層を見誤っていると思ったが、それは俺の勘違いだった。

 織姫と彦星の逸話など、幼少の頃から何度も見せられ聞かされ聞き飽きていると思った。しかし大人になり、それなりに意識する女性ができてから聞くとまた違った印象を受ける。
 例えば自分に置き換えてみる。毎週会っていても会い足りないみょうじと年に一度しか会えなくなったらどうだろう。織姫と彦星の二人に限って言えば、そもそも恋愛にうつつを抜かして仕事をしなくなる二人が悪いのだが、もしお互い真面目に生活をしていたとしても会えなくなる理由なんてこの時代とてざらにある。一番現実的な理由としては、例えば俺の転勤だ。

 今までは幸いなことに、なんとか埼玉県内の異動で留まっていた。しかしこのまま階級が上がっていけばどうだろう、現時点ではなにも決まってはいないが、独身の中堅隊員ほど動かしやすいものはない。加えて自分はよくも悪くも周りに流されない性格だ、協調性にも欠けるが周りと軋轢を起こす心配もない、なにかあればすぐに駆り出されてしまうだろう。

 もしもそうなったとき、みょうじはどうするのだろうか、どう思うのだろうか。

 満天の星空を見上げる。人工のものではあるが、なぜか突然夜の山を思い出した。野外演習になると、酒に酔って好きな女の名前を叫ぶやつが一人か二人必ずいる。ばかだな、と毎回思うのだが、今の自分としては少しだけ羨ましい。

 未だみょうじの名前を呼べない自分、触れようと思えば触れられる位置に置かれた手を握れない自分、毎回日が暮れる前に別れ、いつも彼女に寂しそうな顔をさせる自分。
 みょうじと初めて見た星空がプラネタリウムなんて、今時中学生だってもっと進んだ恋愛をしているはずだ。

 そんな自分が、例えばみょうじと今のように会えなくなったとして、状況を嘆く資格すらないだろう。異動になったとしても、みょうじに好きな人ができたとしても、誰かに「もうみょうじと会うな」と言われたとしても。

 暗闇の中そっとみょうじの横顔を盗み見る。明るい場所で見る顔と違ってずいぶん艶っぽく見える。やけにいい声をしたナレーターが天の川の説明をしているのも無視してしばらくみょうじの顔を見ていると暗闇の中でばちりと目が合った。あまりの至近距離でいつもなら目を逸らしてしまっていただろう、しかし暗闇なのも相俟って構わず見つめる。照れたように視線を逸らすみょうじの頭上で、人工の星がきらきら瞬いていた。
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