山と女とバーベキュー

 北極から連れてこられたホッキョクグマはたぶんこんな気持ちで動物園にいるのだろうなと思いを馳せた。
 金曜日の俺はかつてないほどどうかしていたのだと思う。そうとしか思えないくらい今、場を間違えている気がする。

「頼むよ神鷹! この通りだ、お前しかいないんだよ」

 居てくれるだけでいい、と先輩に頼まれ、日曜の朝っぱらから連れ出された山のキャンプ場はもちろん駐屯地の演習場ではない。

「やば! ほんとにイケメン連れてきた!」
「な!? うちの部隊にも美形いるっつったろ」
「ほんとにイケメンいたんだあ、男の言うイケメンって信用してなかったわ」
「どうだ、本物のイケメン連れてきたぞ」

 ドヤ、とふんぞり返っている先輩には、初めて会う女子たちに勝手に紹介される俺が“イケメン連れてきたぞ”のイケメン=自分であることの違和感と居たたまれなさに押し潰されそうなことなど知る由もないんだろう。
 紹介されている側の俺はというと、居心地悪く軽い会釈を女性陣にしたのちに大量の肉を焼く。大人になり、黙っているよりも何かしていた方が話も振られないという処世術を身につけた。

 それにしても話が違う。与えられた情報を頭の中で整理して、やはり自分が嵌められたことを思い知る。
 俺が聞いていたのは「隊の連中と」「懇親会も込めて」「BBQをする」ということだ。
 しかし実際蓋を開けてみれば、隊の人間は先輩後輩関係なくちらほらとはいるが、同じくらいの人数知らない女子がいる。
 女がいるとわかっていたらはなから俺が来ないことなど見越していたのだろう。わかっているならそもそも誘わないでほしいと思うが、そんなこと思っても言えないのは誘ってきた相手が先輩だからという理由だけではない。
 
 武軍上がりでそのままストレートに入隊し、ろくな恋愛をする時間も機会もなかった俺も気づけばいわゆる“結婚適齢期”に差し掛かる年齢になった。同期どころか後輩まで続々と結婚ラッシュ、大和に至ってはもうすぐ子供が生まれる。子供を見ると素直にかわいいなと思うし、別に女が嫌いなわけでもないし俺も結婚について考えないわけではない。
 しかし嫁となる存在がいきなり空から降ってくるわけでも地面から沸いて出てくるわけでもなく、つまるところ結婚するに当たり、いずれはどこかの誰かと出会い恋をして愛を育むという段階を踏まねばならないことは重々承知している。
 
 しかしそれはあまりにも面倒くさいことだし、場合によっては無駄な時間とも言える。何より他人が自分の生活に干渉してくることに耐えられる自信がない。
 と、いうのは結局のところ言い訳でしかなく、言ってしまえば恋愛の仕方どころか出会うことすらままならないというのが実情である。

 そんな俺を心配しているのか、色んな人から遠回しではあるが女事情について聞かれてはいた。心配されているとはいえ、いくらなんでもいきなりこれは飛躍しすぎではないのかと思うが。後輩を騙してこんなところに連れてきておいて、一体どの面下げて女と騒いでるのか、先輩への抗議のつもりでちらりと顔を上げ喧騒の方を見る。しかし近くにいた女子の剥き出しの白い肩が視界に入り、思わず網に視線を落としてしまった。我ながら情けないことこの上ない。
 
 もうこうなればいっそ、女性に向き合うこともせずに網とだけ向き合う俺のことは、ただ肉を焼きに来ただけの業者みたいな人くらいに思ってほしい。言わせてもらえば鎖骨や太もも丸出しで山に入るようなやつは男女問わず本気で山をなめているとしか思わないし、なにより目のやり場に困るからやめてもらいたい。腹の中で好き勝手に文句を垂れながらトングで肉をひっくり返す。ていうか暑いな。初夏の山とはいえ天気のよい昼間、しかも目の前には炭火。暑さで眉間に皺が寄るのを自覚して、額から流れる汗を袖で拭う。

「……あの」

 わいわいがやがやどんちゃん騒ぎの中、思いのほか近くから聞こえた声の方へ視線を動かした。動かして、思わず全ての動きを止める。

「よかったらこれ、使ってください」

 遠慮がちに声を掛けてきたのは知らない女だった。どうぞ、と差し出された濡れたタオルを見て、差し出してきた女の顔を見る。

 第一印象は、普通。化粧っ気はあるにせよ、たぶんこの場にいる女の中では誰よりも地味。だが長袖のパーカーのファスナーを上まできちんと上げ、ジーンズにスニーカーという服装をしてきた点においては好感を抱く。この女は山をなめていない。それが第一印象。
 だからこの女から差し出されたタオルをありがたく受け取ることができたのだと思う。

「(どうも)」

 はめていた軍手をポケットに入れ礼をして受け取ると、彼女は一瞬「あっ」と声を漏らす。驚いた顔をしていた。
 そうか、手話がわからないのか、と思ったが。

「いえ、どういたしまして」

 彼女はすぐ、何事もなかったように微笑んだ。むしろ俺の方が呆気に取られる。濡れたタオルを首に巻き、両手が自由になったところで、思わずすぐに話しかけた。

「(手話わかる?)」
「はい、大丈夫ですよ」

 あとあと聞くと彼女は福祉の仕事をしているらしい。なにか手伝えることはありませんか? そう手話で訊ねてきたくらいなので疑う余地もない。

「(なにもしなくていい。座ってて)」
「……やることなくて、暇です」

 困ったようにはにかみながら彼女はしゃがみこむ。まるで周りから見つからないように網に隠れているように見えた。
 どうやらこの女も無理矢理連れてこられたホッキョクグマらしいと察しがついた。そうとわかれば途端に親近感が沸いてくる。

「(……焼きそば作る。野菜切って)」

 バーベキュー用にざく切りにしてきた野菜を指さして頼むと彼女は目を輝かせて頷いた。無駄に張り切り喜び勇んで洗い場まで向かう背中を見送りながら、雑用を頼むなり生き生きするなんて変な女だなと思う。変な女ではあるが、悪い人ではなさそうだと思った。そしてなにより、こういう場で率先して雑用をやりたがるあたり俺も人のことは言えないことに気がついた。
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