燦々と降り注ぐ太陽の下、青い空をぼんやりと眺めていた。8月の半ば、夏は盆を境に急激に終わりを早めるのだろう。

 遠くのほうで入道雲がもくもくと溜まっている。雲はじわじわと空を覆い尽くして、重たくなった雲が耐えきれずに夕立を降らせたら、一瞬にしてアスファルトの熱を奪っていくのだろう。

 目を閉じて、僅かに吹く生温い風を受け入れる。じとりとした汗が背中をつうと流れていった。

「ねえ、まだ?」

 声を掛けると気のない返事が返ってくる。立入禁止区域までやって来て一体何をしているのかと思えば、彼はしゃがみこんでなすに割り箸を突き立て続けている。それはもう、何個も何個も。

「きゅうりはやんないの?」
「あー、あれね。いらない」
「澄晴きゅうり嫌いだっけ?」
「俺どっちかっていうとなすの方が嫌い」

 なすに対する嫌がらせか、と思うと彼の行動が途端に子供じみているように見えてくる。それにしてもわざわざ炎天下の屋外でこんなことしなくてもいいのでは、そう思ったけれど、立入禁止区域になる前のここには彼の大事な思い出が眠っているのかもしれないと思うとなにも言えなかった。

「きゅうりは馬でなすは牛なんだって」
「私にはどっちも一緒に見えるけど」
「馬に乗ってさっさと帰ってきて、牛に乗ってゆっくり帰っていくんだって」
「じゃあなすしかいないんじゃこっちに帰ってこれないじゃん」
「それでいいんだよ」

 ぶすり、熟れて艶のあるなすに割り箸を突き刺してひっくり返すと彼曰く“牛”が何匹も地に足をつけた。

「これどっちが顔?」
「へたのほうじゃない?」
「全部あっち向いてるよ」
「それでいいんだって」

 それでいい。そう何度も呟く彼は、確かに笑みを浮かべているのにどうしてだか苦しそうにも見える。

「なまえ」

 先祖が“あちら”の世界に帰っていく際に乗ると言われる、この世から成仏させるための牛たちの背中を見つめたまま、彼は切り出した。私たちの方を向いているぷっくりとした尻の部分は、きっと食べたらおいしいに違いない。こんな風にされちゃって可哀想に、とそのときはまだ、どこか客観的に見ている自分がいた。

「あいつは死んだんだよ」

 あまりに静かな声に私は息を飲んだ。まるで世界が終わったみたい、どこか遠くの方で門が開いたことを知らせる音が鳴る。それを拒むように澄晴は最後のなすをひっくり返した。

「あいつはもう帰ってこない」
「……それって本当?」
「さあ?」
「さあ?って」

 なんでそんな簡単に、彼がそんなことを言うのか理解できなかった。そして今私がいるこのだだっ広い空き地こそが、彼女が門を抜けていった場所なのだとそのとき初めて理解した。

「そう思わないとやってらんないだろ」

 そう言って私に微笑んでみせる彼は、やっぱり苦しそうだった。

 艶々としたなすの背に太陽が反射している。私たちに背を向けて立つなす製の牛たちは、彼女を乗せてどこまで行ってしまうのだろう。

「帰ってくるなんて、もう期待してないけどね」

 長い沈黙のあと、やっと喉元から搾り出てきた言葉に我ながら苦笑が漏れる。しゃがみこんだ膝の間に顔を伏せると溜まらず涙が溢れた。彼女を想って泣いたのは、思えばこの日が初めてだった。

 彼なりの優しさなのかもしれないと思った。どこかで区切りをつけないと、私たちはいつまでも縛られたままだ。もういい加減、解放されたいのだと彼自身も思うところはあったのだろう。

 今日この日、私たちの中で彼女は死んだ。なんて物騒なことを考えるんだと詰る人が現れたとしても、彼女が今もどこか別の世界で生きているかもしれないなんて考えるだけで気が狂って、壊れてしまいそうになる。ならば私たちに黙ってどこかへ行ってしまった彼女にこれくらいのことを思ったってバチは当たらないだろう。そうやって何度も何度も自分の中で言い訳をして、まだどこにも飛び立ちそうにないなすの牛を見下ろした。本当に死んだかどうかもわからない人間にさすがにお墓までは用意してやれないけれど、せめて精霊馬くらいは形として施してもいいだろう。夏は素晴らしい季節だ。足元に落ちていったはずの涙の痕を早速蒸発させてくれる。そうして蒸発した涙は大気を彷徨って、彼女のいる星で雨となって彼女を困らせてしまえばいい。雨の日は湿気で髪が爆発するから、と困っていた彼女を思い出しながら私はそう思った。

「気は済んだ?」

 すん、と鼻を啜って空を仰ぐ。同じくらい情けない顔をしているであろう彼の顔を私は見ることができずにいた。足元で天に向かって顔を上げるなすたちを置いて帰路へとつく道中、二人の間に会話はなくて夏の太陽だけが二人を見下ろしていた。

2016.03.01
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