〈今日は楽しかったよ!ありがとう〉

彼が自宅へと着くのを見計らってメッセージを送るも返信は来なかった。最初は「まだ家に着いていなかったのだろうか」と深くは考えなかったけれど、夕食を食べ終えお風呂から上がっても彼からの返信は来ないまま。「勉強でもしているのかもしれない」「突然ボーダーから召集がかかったのかもしれない」と考えているうちに、悪い予感がじわじわと胸わ侵食していく。
沈黙を続けていた携帯が鳴ったかと思えば送られてくるのは友人達の他愛もないやりとりだった。いつもならすぐに会話に参加する私だけれど、今は彼のことが気が気でなくて盛り上がる気にはなれず、ポコポコと通知が鳴り続ける画面をぼんやり目で追うので精一杯だった。

彼が返信をしかねているのは一体なぜなんだろう。そうして考えているうちに、色々なことが頭を駆け巡る。

メールではなく実際に二人で会ってみたら思っていたよりつまらなかったとか、年上のくせになんのリードもしてあげられない私との今後の付き合い方を考えているのかもしれないだとか知らない間に怒らせるような言動をとってしまったのかもしれないだとか思う節は多々ある。
そもそも一緒に帰ると言った今日だって、もしかしたら初めから別れを切り出すためのものだったのかもしれない。高校生の恋愛は三月ともたないとはよく言うけれど、付き合ってみてやっぱりダメでしたさようなら、なんて別に珍しいことでもなんでもない。自分が彼にとって負担となる要素なら、考えれば考えるほどいくらでもあるような気がしてくる。真面目な彼だからこそ、惰性で関係を続けていくことを心苦しく思うのかもしれない、そんなことを考えて目の前がずうんと暗くなっていく。テレビを見ていてもなんにもおもしろくないし勉強なんて手につかないしなにもしたくない、今時小学生でもこんなに早く寝ないような時間から布団に潜り込んでみたりもして、だけど頭の中をいろんな考えが駆け巡っていくから当然眠れもしない。ようやくうつらうつらと睡魔が迎えに来た頃に、握りしめたままだった携帯が耳元で鳴った。心臓がどきりと跳ねて画面に視線を落とすと辻くんからの着信だった。まさかの電話に息を飲む。

「……はい」
『遅くにすみません、起きてましたか?』

辻です、とまさかの自己紹介を添えられて、さっきまでの心配など嘘みたいに吹き飛んでしまった。わかってるよ、と思わず笑みが溢れる。

「起きてたよ」

もう寝るしかないと布団に潜りつつ、実際眠れていなかったのだから嘘は言っていない。部屋の電気は消したまま、ほっと息を吐く彼の声を聞いていた。

「どうしたの?なんかあった?」

こんな夜遅くにましてや電話、常識的な考え方をしている彼にしては珍しい。嫌なわけでもないし迷惑でもないけれど、返信が来ないことをさっきまで多少なりとも気にしていたのだから聞かずにはいられない。

『いや、特になにかあったわけではないです』
「声が聞きたくなったとかそういう感じ?嬉しいな」
『いえ、そういうわけでも』
「えー……」
『いやそういうわけでもないわけでもないんですが』
「……辻くんほんとにどうしちゃったの?」

結局どっちなんだ。別に電話くらい気軽にしてくれて構わないけれど、言い淀む彼の様子が気になった。なにか言いたいことがあるのは確かだろうけれど、渋っているのかしばらく無言が続く。沈黙に耐えかねてなにか言おうとした矢先、先に切り出したのは彼だった。

『あの』
「うん?」

彼が息を吸ったのが受話器越しに聞こえる。そんなに言いづらいことを今から言うのかと、一体なにを言われるのか心して待つ。

『……今日はすみませんでした』
「え?」

と思えば全く予想だにしない謝罪で、私は間抜けな声を上げてしまった。謝られるようなことなんてあっただろうか。ぼんやり考え込んでいると、辻くんが続けた。

『いつも連絡とってるし俺、もっと話せると思ってたんですけど』

語尾が聞き取れないくらい声がどんどん低くなっていく。だけど言わんとしていることはちゃんとわかっている。そんなことを気にしてくれていたのかと嬉しくなってしまったと同時に、彼がとても可愛らしく思えてしまった。

「気にしてたの?」
『はい』

それで返信に迷うほど悩んだなんて一体、どれだけ真面目な子なんだ辻くん。途端におかしくなってきて、つい喉元から笑いが込み上げた。まさかいきなり私が笑い出すとは思わなかったのか、辻くんは戸惑ったようだ。

『え?』
「ごめん、なんか可愛くて」
『……あんまり嬉しくないです』
「ごめん、そうだよね、つい」

可愛いと言われて喜ぶ男子は少ないだろう、不服そうに声を上げた辻くんは至って普通だ。だけど「ごめん」というたった一言は偉大だと思う。「ごめん」と言われて「許さない!」と言うほどお互い謝られたことをそこまで気にしているわけでもないのに、なぜかその一言だけで全部がチャラになるような気がする。言った方も、言われた方も。さっきまで不安でたまらなかった心がすうっと晴れていくのを感じた。

「一緒に帰るの今日が初めてだったし、焦んなくてもいいんじゃないかなって思ったの」
『……そういうもんですか?』
「そういうもんだよ」

少なくとも私は辻くんのこういうところを好きになれたのだと思う。もし今後も真摯に向き合うあまり彼が殻に閉じこもってしまうことがあっても、ゆっくり待ってあげればいいのだろう。真面目な彼のことだから、なにかしらちゃんと答えは見つけてくるはずなのだから。

「もう寝よう、安心したら眠くなってきた」
『……安心?』
「ごめん、こっちの話」

返信が来なくて悩んでた、なんて言ったらこの電話の意味もなくなるし、待つと決めたのだから急かすようなことを言ってしまったら本末転倒になってしまう。そもそも不安になる必要もなかったのだと思い知らされてほっと胸を撫で下ろした。

「辻くんの声落ち着く的な感じだから気にしないで」
『よくわかりませんがありがとうございます』

だからもっと話したい、って意味なんだけど伝わっているだろうか。彼と電話をする前の反動からか、眠気がどっと押し寄せてきた。小さく漏らしたあくびは電波を通って伝わってしまったのか、受話器越しに辻くんもあくびをしたのがわかった。
「おやすみ」のあと電話を切って目を閉じる。眠れそうになかったのが嘘みたいに、意識はすうっと薄れていった。

2016.08.16

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