放課後、約束通りに彼は迎えに来た。目が合うなり、こくんと頭を下げる彼。しかし顔を上げた彼の視線の先にいたのは私じゃなくて犬飼だった。その目は確かに犬飼に助けを求めている。

「あれ?今日非番じゃなかった?」
「非番ですよ」
「あー、そういうこと」

一人納得しては、犬飼は私に視線を投げ掛ける。あからさまに楽しんでいる犬飼に動揺しているのは辻くんも同じのようだった。

「……一緒に来ますか?」
「辻ちゃんそれ本気で言ってんの?」
「はい」
「いやおかしいでしょ俺どう考えても邪魔者じゃん楽しそうだけど」

ぽろりと本音が漏れた犬飼はわざとらしく口元を手で覆う。悪びれる様子はないのでわざと言ったに違いない。

「来たいんじゃん」
「嘘だってば。ほら辻ちゃん、みょうじ怒ったよ」
「別に怒ってないけど」
「怒ってんじゃん」
「じゃあ怒ってる」
「ほらやっぱり〜」

けらけらと笑う犬飼と、そんな犬飼に白い目を向ける私とを交互に見やると彼は困惑を浮かべる。毎日のように連絡を取っているとはいえ、一緒に帰るのは初めてなので緊張しているのだろう。女子への耐性がないなりに、それでも誘ってくれたことが改めて嬉しく思う。

「犬飼も早く彼女作れば?」
「すごい上からじゃない?こないだまで落ち込んでたやつの台詞とは思えない」
「今は幸せだもんねー」
「もうさっさと帰りなよ、お前ら熱すぎて俺火傷しそう」
「言われなくても帰るし。辻くん帰ろう」

辻くんの方に向き直ると彼はびくりと肩を揺らした。白々しい笑顔で手を振る犬飼に辻くんは丸い頭をこくりと下げる。照れているのかさっさと行ってしまったので、慌ててその背中を追いかけた。




行き交う人々の会話と、車のエンジン音だけが聞こえている。教室を出たきりお互い無言が続いていて、私は早足で歩く彼の半歩後ろをついていくのでやっとだ。

話したいと思ったことはたくさんあったはずだし、話せるという自信はなぜかあった。だって端末越しとはいえ毎日言葉を交わしていたから。だけどいざ彼を前にすると、言葉はうまく出てきてはくれない。例え彼が緊張していても、例え彼と目が合わなくても話が噛み合わなくても、慣れていないわけではない私なら大丈夫だとすら思っていた。なんなら彼をリラックスさせることくらい容易いとすら思っていた。今思うとそれはなんて傲慢な考えだったのだろうか。ガチガチに緊張している相手を前にして、自分の胆がそんなに据わっていられるわけがないことくらい少し考えれば自分が一番わかっていたはずなのだ。

距離にして1メートルにも満たない。手を伸ばせば無防備な状態の彼の腕くらいあっさり掴めてしまいそう。それなのにものすごく遠くにいるような、だけど彼の緊張だけはしっかりと伝染してくる不思議な距離感を肌身で感じる。学校を出てからとうに10分は経っている。なにか言わなければというどうしようもない焦燥に駆られていると、彼がぴたりと足を止めた。

「……どうしたの?」

声を掛けると、彼は青白い顔で振り向いた。それはもう具合でも悪いのか心配するくらい。そんな彼の様子に思わず驚いてしまった。

「ほんとにどうしたの!?大丈夫!?」
「いや、あの、」

家どこですか。

語尾が聞こえないくらい、なんとか絞り出したような声に呆気にとられてしまったけれど、どうやら家までちゃんと送ってくれるらしいことは伝わってきた。先程まで緊張していた反動からか、堪らず愛しさが込み上げてくる。

「あっち。もうあと5分くらい」

指をさした方に視線を向けると、彼は静かに頷いた。そのまま歩を進める彼の隣に並んで誘導していく。見慣れた通学路が少しだけ違う色をしているように見える新鮮さも、決して居心地の悪くない不思議な緊張感ごと楽しく思えてきたのは、自分の何倍も緊張している人間を目の当たりにしてしっかりしなければいけないという自覚を持った余裕なのかもしれない。

「そういえば辻くん家ってどの辺なの?」
「あっちです」
「え!遠いじゃん、近くまで来てもらってごめん」
「いえ、大丈夫です」
「そこ曲がってすぐだからこのへんでいいよ」

あまりに申し訳なくて提案したけれど、彼を見上げると僅かに苦い顔をしている。もっと一緒にいたいと思ったのは私だけではないのだと期待するくらいは許されるだろうか。表情をあまり変えない彼だからこそ、僅かな表情の変化がより引き立つことに気がついた。今日はそれだけでも充分な収穫を得たかな、なんて一人納得してみる。

「今日はありがとう、帰り気をつけてね」

小さく手を振るも、名残惜しむようになかなか彼は歩きだそうとはしない。私も家まで残り数十歩という道のりを、まるで足を地面に縫い付けられてしまったようになぜだか踏み出せずにいる。

「また時間あるとき誘ってほしいな」

表情を僅かに歪めていた彼にそう伝えると、切れ長の瞳を丸くして呆然と私を見下ろした。珍しくものすごく目が合っている。私も彼から目を逸らさずに、もう一度手を振ってみる。しばらくお互い向き合っていたけれど、言葉の意図をようやく飲み込んだらしい辻くんは我に返ったように頬を赤らめて目を逸らす。相当頑張った彼には申し訳ないけれど、このときばかりは学校から程近い自宅を恨めしく思ってしまった。

2016.03.25

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