辻の携帯にメッセージの受信を知らせる音が二宮隊作戦室に鳴り響く。“みょうじなまえさん”というまだ見慣れない表示に、辻は深く息を吸い込んだ。

「なになに、誰から?」

彼の反応で粗方相手の予想はつくが、犬飼は面白いものを見つけたとばかりに問い質す。辻となまえの両者をよく知る犬飼にとって、二人がくっついたことはこの上なく面白くて仕方がないのだ。

「別に言うほどでもないです」
「なにそれ、どうせ相手みょうじでしょ?」

犬飼の指摘に辻はぎくりと表情を強ばらせた。彼がなまえに想いを寄せていたことも、その想いが実ったことも犬飼は知らないはず、辻はひっそりと想いを募らせていたのである。

「やっぱり〜?図星だね」

にっこりと笑みを浮かべる犬飼に辻はため息を吐く。二人の姉に叩き込まれたというコミュニケーション能力はいわば他人を観察する能力に長けているということである。つくづく厄介な先輩であるとも思った。

「みょうじも悩んでたよ、いきなり告るとか辻ちゃんも男見せたよね」
「ほっといてください」
「あ、言っとくけどみょうじに吐かせたのも俺だから勘違いしないでよ」

よくも悪くもみょうじなまえという女は正直者であった。嘘の吐けない性分で、思ったことがすぐ表情に出てしまう。そんな彼女のことだから、この男に目敏くつつかれるのも無理はないだろうと辻は思った。しかしそんな人だからこそ気になってしまった。犬飼の隣の席でころころと表情を変える彼女に、辻はいつしか目が離せなくなっていったのである。

その彼女がある日、どす黒いオーラを放ちながら寡黙を貫いていたことがある。それが彼女の失恋した日であった。当然そんなことを知らない辻としては、いつもなら辻が来るとすぐに気がついて「辻くんだ〜」と笑顔で手を振ってくる彼女の様子に疑問を抱いたものである。そのとき既に辻の気持ちに気がついていた犬飼は、彼にそっと耳打ちをした。

「今は気が立ってるからそっとしといてあげて」

浮気されてたんだって。と付け足した犬飼の言葉はなまえにもしっかり届き、かつ苛立たせるのには充分だった。

「絶対楽しんでるでしょ」
「なに言ってんの、そんなわけないじゃんご愁傷さま」
「笑ってるじゃん」
「俺こういう顔なんだってば、知ってるでしょ」

いつも犬飼と軽口を交わし合う彼女が、なにか言いたげに、でもなにを言っていいのかわからないという風に複雑な表情で席を立った。いつもはしないような、ぎこちない笑みを辻に見せて。この人でもこんな表情をすることがあるのかと場違いとわかっていながら辻は思ったのを覚えている。

「大丈夫なんですか」
「さすがに大丈夫でしょ」

心配をする辻をよそに犬飼はあっけらかんと言い放つ。犬飼という男は柔和でありながらも意外とドライな一面もある男である。それが彼女との付き合いの長さからくるものであったとしても、ふらふらと扉に激突しながら教室を出ていった小さな背中を見て平然としている犬飼に辻は視線で訴えかける。

「そんな冷たい人を見る目で見ないでよ、ひどいな」
「それ犬飼先輩の勘違いじゃないですか」
「俺さすがにもうみょうじの面倒見きれないからね、朝からずっと慰めてんだから」

朝からずっとあんな具合で、昼休みになっても続いていたのかと思うと彼女が負った傷の深さが容易に窺える。同時に相手の男に対する軽蔑すらも辻は感じた。普段あまり表情を変えない辻であったが、このときばかりは僅かに変化を見せたことに気がついた犬飼はそれとなくけしかけてみた。

「ああいう弱ってるとこに突け込む男もいるだろうし、辻ちゃんも心配しなくていいって」

別に心配しているわけではないと言い返そうとした辻であったが、彼が笑顔で言い放った“弱っているところに突け込む男”という言葉が少し引っかかった。それを目敏く悟った犬飼は更に嘯く。

「失恋直後の女はチョロいから、とりあえず彼女欲しいやつとかはここぞとばかりにみょうじのこと狙うんじゃない?」

さらりと投下された爆弾は辻の脳天に直撃して、得も言われぬ不愉快さを残した。あんな状態の人に付け入る男など並の神経ではないとすら辻は思った。しかし自分よりずっと女性の扱いに長けている目の前の先輩は、それが摂理であると言わんばかりに何食わぬ顔でそう言ったのだ。

「ろくでもないやつがいるんですね」

苦々しく吐き捨てた辻に犬飼は笑みを浮かべる。思春期の只中である高校2年生としては、男女関係においてあまりに無知であまりに真っ直ぐすぎる彼を心から応援したいと犬飼は思ったのだ。

「俺は別にそういうのも悪くないと思うけどね〜。例えばだけど今まであいつのこと好きだったくせに綺麗事ほざいてる間に違う男に取られたら意味ないし」

暗にこれはチャンスだと唆してみたものの、相も変わらず涼しい顔をしている辻に犬飼は一抹の不安を覚えた。ちゃんと伝わっているのだろうかとも思ったが、結果として今、辻は行動に移したのだ。些か性急ではあったものの、硬派な彼にしてはよく頑張った方だとも思う。

「辻ちゃんにも遂に春が来たか〜」

二人きりの作戦室でしみじみと溢した犬飼に辻は僅かに頬を染めた。他人から言われ、余計に実感する。今日、自分に彼女ができたのだと。携帯で点滅するランプに気が気でないのは、相手がその本人であるから尚更そうだ。妙でありながらも決して居心地の悪くない温かさを感じながら辻は覚悟を決めて携帯を手に取った。

2016.02.01

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