正式に退学が認められ帰路へとつく。清々しいような重苦しいような気持ちは、まるで雨を降らすこともできない空のようだと思った。
門を出ると人だかりができている。ちらりと一瞥すると、そこにいたのは木虎さんだった。

嵐山と付き合い始めたとき、嵐山隊の隊員を紹介されたことがある。彼女はまるで懐かない猫のようだったけれど、嵐山とはまた違った芯の強さを感じた。

彼女にも別れの挨拶をしたほうがいいだろうか。帰って引っ越しの準備をするつもりだったけれど足を止める。迷っているうちに、先に声を掛けてきたのは彼女の方だった。

「お久しぶりです」

凛とした声に顔を上げると、彼女は真っ直ぐに私に向き合っていた。

「嵐山なら今たぶん、講義出てる」
「知ってます」

疑問を感じて首を傾げると、彼女は呆れたように溜め息を吐く。きっと彼女のような優秀な人間から見たら、私は愚鈍で情けない人間なのだろう。そう思われたとて仕方がない。それで間違っていないのだから。嵐山のように私に優しくする人間の方が希少なのだ。

「あなたと話したくて来ました。時間、いいですか」

頷くと「場所を変えましょう」と先立って彼女は歩く。彼女が私と話したがることはなんなのだろう。彼女の少女特有の華奢な背中についていくのが私にはやっとだった。




「三門市から出るんですよね」

人通りの少ない場所まで出ると彼女は切り出した。

「そう、自分探しってやつかな」
「嵐山先輩になにも相談しなかったんですね」

頬を刺す冬の空気と同じくらい冷ややかな言葉が私を突き刺した。かさついた唇を噛み締める。

「嵐山先輩ずっと心配してました」

夏休みが明けてから私は学校に行かなくなった。嵐山の恋人であるという認識が蔓延った場所に身を置くことが、私には耐えられなかった。それが温かなものであればあるほど、苦しかった。

「ちょっと悩み込んじゃってさ、嵐山に負担かけそうで」

本当は、嵐山に負担を掛けそうだから悩みを相談できなかったわけではない。嵐山に負担を掛けること自体が私の悩みだったのだ。そして彼は何を考えているかわからない私に対しずっと気を揉んでいたのだろう。本当に、彼はどこまでも優しい人だ。

「嵐山先輩のなにがいけないんですか」

彼女はとても聡明で、そして少女特有の堅さをもってして私に問う。一見とても冷たそうに見える彼女だって色恋に興味を示す思春期女子である。そして彼女は私より多くの時間を彼と過ごしている。私より多くの嵐山を知っている。だからこそ理解できなかったのだろう。例え大学をリタイアしても、行き先の定まらないうちは三門市に残り嵐山のそばにいたがるはず。離れがたく思う魅力が彼にあることを彼女だって理解している。だからこそ彼となにもなかったら、嵐山准と別れたがる理由なんて何一つないはずだと。

「彼に悪いところなんてひとつもないよ」

コートのポケットに入っている鍵は、あと一週間もすれば私のものではなくなってしまう。そして私は夢のような日々を手放して、もっと質素に、軽やかに歩いていく。彼の恋人でいるプレッシャーは、私には鉛のように重すぎた。もう一歩も歩けないほどに。

「でも想い合ってるからといって幸せだとは限らないと思う」

猫のように鮮やかな目が不思議そうに私を見上げる。大人ぶりたいわけでもなく、ましてこんなろくでもない女の恋愛観なんて聞かせたいわけでもないのに、大人びた彼女が少女なのだという事実になぜだか安心してしまった。理解なんてされなくていい、この世にろくでもない女は私だけで充分だ。真っ直ぐで幼い彼女には、真っ直ぐ愛を貫ける人であってほしい。守れる強さが彼女にはあるのだから。

「好きなんですよね?嵐山先輩のこと」
「嫌いだなんて思ったこと一度もないよ」

そう、今だって。
だけど、だからこそ、私は苦しくて仕方がなかった。この苦しみから逃れる術を生憎私は知り得なくて、彼のそばにいたらいつか彼までも苦しめてしまいそうで、私はそれだけが怖い。そばにいることだけが愛ではない。離れることを決める愛だってある。

私がこの街を離れ嵐山と別れることは結論ではなくて、嵐山と別れるための手段だと知ったら彼女はどんな顔をするだろう。愚かな女だと詰るだろうか。

「引っ越す場所ね、もう決まってるの。一から始めてみる」

愚かな女だと知りながら、それでも私はもう冬を待ち、終わりを受け入れるだけの秋じゃない。そうあってはいられない。冬はいつだって穏やかにはやって来てはくれない。できるだけ優しい終わりを望むことくらい、許してほしい。それが私が彼にできるせめてもの恩返しだと思った。あの日、彼の優しさに身を焼かれながら思ったのは、生まれ変わったら私も夏の似合う女になりたいということだった。
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