エピローグ

 かつての恋人を取調室のマジックミラー越しに見るという経験をしたことのある者は、神鷹の周りには恐らくいない。神鷹の隣にいる警察官は、鋭い眼差しを彼女に向けていた。

 彼女に掛けられている容疑は長きに渡り車道を塞いだことによる道路交通法違犯、伴いストーカー規制法違犯。そのどちらも彼女はあっさり認め、神鷹をつけ回した挙げ句神鷹の周りにいた女に嫌がらせをしていたことも自供した。

 これで事件は解決に向かうと思ったが、気がかりはまだあった。

「だから! 私も被害者なんだってば! あいつさっさと捕まえてよ!」

 彼女の言う“あいつ”が誰を指すのか、この場にいる全員が知らない。なんと言っても、言い出しっぺである彼女ですら“あいつ”が誰なのかを知らないのだ。

「樹の家に石投げ込まれた日、帰ったら家のドアに“殺す”って貼り紙されてたのよ!? “協力してくれたら見逃してあげる”って手紙も来たし、樹に近づいてる女の情報全部あいつが流してたんだから」
「だから、それが誰なのかを言ってくれない?」
「だから! それが誰なのか私も知らないんだってば! あんたら警察なんだったらさっさと調べ上げて捕まえられるんじゃないの?」

 恐らく自分の罪を軽くするための虚言であろうと警察官は言う。あるいは精神鑑定でもして責任能力を問わせるためなのか。いずれにせよ彼女の話を真に受けている者はいないように思う。少なくとも、神鷹を除いて。

 彼女が嘘を言っているように神鷹には思えないのには理由がある。
 彼女の言うように、彼女が家に来た日に石を投げ込むなど、もちろん彼女にできるはずがない。少なからず協力者がいたか、あるいは彼女の言うように“別れたのち協力をすることを条件に見逃した”やつが必ずいる。
 なんと言っても。

「樹に手紙なんか書いてない。絶対あいつ。筆跡でも鑑定してみたらいいじゃん。ついでに私の家にあるあいつからの手紙もね」

 そうなのだ。神鷹は彼女の字を知っている。彼女はもっと丸っこく筆圧が強く、それでいて女の子らしい文字を書く。神鷹の家に送られてくる手紙の筆跡は、もっと流れるように書かれた文字である。

「顔も名前も知らない手紙だけの存在を信じて協力してたってこと?」
「そうよ、じゃなきゃ私も殺されると思ったんだもん。樹のセフレとかいうやつを線路に突き落としたときの写真まで送られてきたのよ」

 それに。彼女は続ける。

「私だって樹を恨んでた。天罰が下ればいいって思ってた。でもあいつに天罰を下すのは誰よりも私が適任だと思ったの」

 そのとき彼女と、マジックミラー越しに目が合った気がした。まっすぐじとりと睨み付けるその目は、鏡に映る自分を見ているのか、あるいは神鷹がここにいることを知っているようにも見えた。

「だからこれからもあいつが一人で樹をつけ回すのは絶対に許さない。私以上に樹のことを見続けるのも、あいつに近づく女をみんな片っ端から追い払い続けるのも、絶対絶対私じゃなきゃいけないの」

 だから早くあいつを捕まえてよ、と彼女は言う。しかしその“あいつ”が誰なのかがわからず堂々巡りになる。

 彼女は捕まった。しかしそれで終わりとは神鷹には思えない。取調室を後にして、同行した警察官に「もう少し調べてほしい」と頼む。

「君ねえ、元カノに同情するのもわかるけど、あまり鵜呑みにしない方がいいんじゃない? そういうことしてるからこうなるんじゃないの」

 半笑いの警察官に、どう言ったら伝わるのかを神鷹は考えた。同時に、やはり社会的信用のない自分を恥じる。

 彼女の言うように恐らく犯人はまだ他にもいる。そしてそれは彼女の言う通りに一人なのか、それとも。

「これに懲りたら君も女遊びなんてやめるんだよ」

 神鷹の周りにはたくさんの女がいる。それをしらみ潰しに探していくのは骨が折れそうだ。

犯人は誰だ。2020.01.07 fin.

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