スタッフの女 15

 神鷹には、自分に好意を持たない女を抱く男の気持ちがずっとわからなかった。同意のない相手と無理矢理性行為などして快楽などあるのか、性犯罪者の気持ちがまるでわからない。求められることさえあれど自分から求めることはないモテる男の嫌味と言われればそれまでだが、次から次へと据え膳が用意され食わねばならない神鷹としてはそういった性癖を持つ男に対し「可哀想」とすら思っていた。
 まさか自分が恐怖に支配されながら好意のない相手に襲われる可能性など、考えたこともなかった。

「ねえ、起きてるんでしょ」

 強引な行為を終え、女に背を向け横たわる神鷹の背骨を女が指先でなぞった。煩わしくて身を捩ると、その態度が気に食わないのか女は舌打ちを漏らす。

「ヤったらさっさと寝るタイプなんだ、つまんない男」

 無理矢理犯しておいて腕枕でもしろと言うのか。そんなもの、今まで抱いた女で彼女にしかしたことがない。そんな態度を出すわけにもいかず苛立ちが募るが、ふと神鷹の頭にひとつの可能性が浮かぶ。

 そういえば、彼女と別れたタイミングでこの女が近付いてきたのは偶然なのか?

 職人気質の神鷹とて所詮は人間である、今日ほどではないにせよ今までにだってライブでのミスはあった。気乗りのしない日やライブ後に誰とも顔を合わせたくなくてライブハウスの屋上でボーっとネオン街を眺めた夜だって何度もあった。
 しかしこの女が自分をわざわざ探しに来た夜は、今日が初めてだった。

 屋上から地上を見下ろす神鷹をたまたま見つけ、居ても立ってもいられなくなっただけかもしれない。自分でも、さっきまでの自分がとても正気とは思えないのだから他人から“今にも自殺しそうな奴”に見えていてもなんら不思議ではない。

 しかしこの女が、神鷹を冷たく見下ろしながらまるで玩具のように扱ったこの女が、神鷹が女を食い物にしていたことを知っていて少なからず良くは思っていなかったこの女が、果たして本当に神鷹を心配するだろうか。

 そして、神鷹から正気を失くさせるあの人為的な出来事を仕組んだ女が、もしもこの女だとしたら。

 そうだとしたら神鷹に近づくタイミングだって完璧に謀れる。
 しかし目的はなんなんだ。イベンターとして、遊びが過ぎる神鷹に灸を据えるためなのか。もしそうだとしても、わざわざセックスまでする必要はあったのか。それともそういう性癖の女なのか。

 背中越しに女の寝息を聞きながら感覚が研ぎ澄まされていく。
 合っていく辻褄と、読めない動機の狭間で揺れ動き、遂には神鷹も眠りに落ちていった。



 翌朝、神鷹が目を覚ます頃には既に女は行動を開始しており、ローテーブルに鏡を起きながらあぐらをかいて化粧をしていた。

「やっと起きた? 私あと十分で家出るからさっさと準備してくれない?」

 顎を上げマスカラを丁寧に塗っている女の目は、昨日の夜と同じく冷ややかで“昨夜のことは夢ではなかったのだ”と起き抜けの神鷹を冷静にさせたのだが。

「とりあえずそこにあるタオル使っていいから顔洗ってきて。あと朝ごはん作ったけど時間ないから自分家で食べてくれる? お弁当にしてあげるから」

 それからそれから、と女はヘアアイロンで髪を真っ直ぐに伸ばしながら神鷹に指示を出す。いつの間にか、神鷹が着てきた服や下着も洗ってきれいに畳んで枕元に置かれている。
 なんなんだ、一体。困惑しながら顔を洗い、用意された新品の歯ブラシをありがたく使わせてもらう。
 想像していたような無垢な女ではなかったにせよ、やはり仕事のできるイベンターであることは確かだ。昨夜自分を脅し無理矢理襲った女とは思えない細やかな気遣いにいちいち動揺しそうになる。
 やはり昨夜の行為は一夜の過ちで、実は想像していたとおりのいい子なんじゃないだろうか。今一度認識を改めようとした神鷹だったが、そんな考えを見透かしたかのように女が呆れたように声を掛けてきた。

「ねえまだ? 早くしてほしいんだけど」

 いつの間にか神鷹の後ろに立ち、腕を組みながら急かすその顔はやはり昨夜の冷酷な女そのものだ。まるでゴミでも見るかのような目を自分に向ける女を見て疑問が過る。
 この女、なんで嫌いな相手とわざわざ寝た上に世話まで焼くんだろう。苛立ちを隠さない女の様子をじっと観察していると、女は更に顔を歪めた。

「なに?」

 女ってわからないものだな、と神鷹は思う。あのスタッフの子かわいい、とかなんとか言ってる他のバンドマンや影州が今のこの女を見たらどう思うのだろう。少なくとも自分はゾッとしたが。女から目を逸らし、ふかふかの清潔なタオルで顔を拭いていると神鷹の肩に柔らかい衝撃が襲う。

「私そんなにかわいい?」

 さっきまでの態度はどこへやら、神鷹の腰に腕を絡めながら女は愛想を振り撒いてくる。思わず怪訝な目で見下ろすと、女が背伸びをして唇を重ねてきた。

「昨日のこと、内緒にしてね。私みんなのアイドルだから」

 口止め料にしては高すぎるだろ。昨夜の脅迫を思い出しゾッとするがそんなこと言えるはずもない。女の肩を掴み距離を取ると女は舌打ちをしてくる。可愛げがあるのかないのか、神鷹にはまるでわからなかった。

 女と家を出て、並んで駅まで歩く道すがら、朝の空気にはまるで似つかわしくない重苦しさがふたりの間を流れていた。別れ際に「また来てね」と手を振り笑みを浮かべる女を見て、道行く世間の人は誰も俺が脅されているなどとは思わないだろう。そう思いながら、神鷹と女は別の電車に乗り込んだ。

 あんな女にこれからも、あんな行為を強要されるのだろうか。
 電車の窓に映る疲れきった自分の顔を見て溜め息を漏らすが、その溜め息さえマスクの中で循環しているだけに過ぎない。
 金をくれる女ならまだしも、別に神鷹は女や性行為自体が特別好きなわけではないため気が滅入った。

 重い足取りで帰路に着き、神鷹はポストの中身を乱雑に手に取り部屋へ向かう。朝から疲れきっていて、あの手紙が投函されていなかったことにすら神鷹は気がつかなかった。
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