部活が終わって校門を出ると、いつもの様に待ち伏せしているみょうじがいた。俺を見つけて嬉しそうに駆け寄ってくる。なにも言わずついてくるそいつに、今更なにか言う気にもなれなかった。
一年の頃からなにかと絡んでくる奴がいた。髪を染めた日に物珍しそうにジロジロ見られたり、授業中寝ていると頼んでもいないのにノートを貸してきたりいらないお節介を焼いてくる女。それが、こいつ。
どれだけ足蹴にしてもこいつはついてきた。鬱陶しいくらいについてきた。自分のペースが乱されるのが嫌だった。そう思っていたのに慣れというのは怖い。いつの間にか“いなくてもいい存在”から“別にいてもいい存在”になった。
「そういやさ」
ぽつりと呟いた一人言に返事はせずとも耳には入ってくる。静かな住宅街では嫌でも響くから尚更。
「この前のハミチキまだだったじゃん」
はたと思い出すのは、春高予選の日に話したことだった。
帰りはそれどころじゃなかった。正直誰とも話す気にはならなかったし、このお節介女もあの日のことは一切触れなかった。そして今日に至る。こいつでも空気を読むことができたのかと訝しみながらも、なんとなく頷いておく。
こいつとの勝負に勝ったが試合には負けた。後味は悪い。勝負に勝って試合にも勝たなければなんの意味もない。
「別に、いらねえ」
腹は減っているしハミチキになんの罪もない。気乗りしないだけだ。奢られたとは言え美味く食えないなら後味が悪いだけ、それならばあんな賭け無効にした方がよっぽどましだ。
「ダメだって、約束したんだから」
「余計な金払わなくて済んだろ、ありがたく思え」
「ハミチキくらい奢れるし。今ならなんとスパイシーチキンもつけちゃうよ」
「いらねえっつってんだろ」
知らず知らずのうちに語気が強くなり、半歩後ろを歩いているみょうじが絶句したのがわかった。
昔からこうだ。何気なく言ったつもりが他人にとってはキツく感じたり腹が立ったりするらしい。だからと言って間違ったことを言ったつもりもなければ悪気もないので訂正する気は毛頭ない。
何が楽しくてついてくるのかはわからないが、そのうちこいつも俺から離れていくのだろうとそのとき思った。だからどうというわけでもなくて、俺はこいつに媚を売るなんて真っ平だし、いなくなるならそれはそれでいい。そもそも一人の方が気楽でいい。昼飯食ってるときに話しかけられたり、気分が悪いときに鬱陶しく絡んでくる女がいない方が俺だって清々する。そうしてくれることをひっそり望んだのに。
「試合出れてよかったじゃん」
場違いに明るく言った声に耳を疑った。
なに言ってんだこいつ。負けたんだぞ。俺が出た試合で。
腹が立って振り向くと、声とは裏腹にみょうじは泣きそうな顔で俺を見ていた。
「言っとくけど京谷のせいで負けたんじゃないからね。ずっと部活サボってたくせに調子乗んないで」
「んだとてめえ」
「だってほんとのことじゃんか」
「もっぺん言ってみろ」
調子に乗っているのはどっちの方だ。黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって。
不愉快なことこの上ない。真っ直ぐに睨み返すも、この頑固女も怯むことはなかった。
「私だってあんたとの賭け負けて潔く奢るって言ってんだからあんただっていつまでも引きずってんじゃないわよ。そんなんで先輩に顔向けできんの?大体負けたら奢らないなんて私一言も言ってない」
「うるせえ気が乗んねえんだよ帰れ」
「やだ」
強情な女は嫌いだ。鬱陶しいとはいえ比較的従順で扱いやすいと思ってたこいつだから尚更腹が立つ。そこまで拘る理由はなんなんだ。意味がわからず尚も睨み続けるが、ズカズカと寄ってきたかと思えばそのまま俺の手首を掴んでみょうじは歩き出した。
「何すんだてめえ」
「あーもううるさい。私決めたから。京谷はハミマの前で待ってればいい」
「いらねえっつってんだろ」
「じゃあ私が食べようと思って買ったけど直前でダイエット中なの思い出して仕方なくあんたにあげるっていう体にしてあげるから黙って貰って」
「何がちげえんだよ」
「そうでもしないと私の気が収まらないの」
女子とは思えない程の力で引きずり回される。おまけに大股で早足、こっちは練習後だっていうのに遠慮もなにもない。こんなのは不可抗力で、だけど思えば最初からこうだったような気もしてくる、強引な女。うぜえのに、なんだかんだ付き合ってやる気にさせるのは。
「嬉しかったんだよ、試合出れたの。私も」
負けちゃったけど。
そう続けたものの、振り向かずに小恥ずかしいことを言ってのけたこいつは、絶対今いつもの顔で笑っているのだろう。調子が狂う。人からの真っ直ぐな好意を、どう受け取ってよいかわからずに、だけど無下にする気にもならない。
こいつも俺と同じくらい頑固なのがわかるからこそ、おまけに悪い気がしないからこそ、仕方なく付き合ってやっているだけだ。そう言い聞かせなければ、このなんとも言えない気持ちをどう説明しろというのか。よりにもよってこの面倒くさい女に抱いてしまった感情の行き場は、どこにあるというのか。
掴まれた腕を振りほどく。驚いたように振り向くみょうじの目は見れなかった。
「腹減った」
「はあ?」
「プレミアムチキンもつけろ」
「はあ!?どんだけ食べんの!?」
「やっぱいらねえ。ポテトにしろ」
「いや結局食べんじゃん」
舌打ちを溢すも、にやにやと頬を綻ばせるこいつにはなにをやっても通じはしない。そんなの本当は前からわかっていたことで。
「仕方ねえからアイス奢ってやる」
「寒い、肉まんにして」
言われて気づくのは、季節がすっかり冬を迎えようとしていること。こいつとの時間も気づけば相当経っていること。それは、どれだけ足蹴にしようともこうしてついてきたこいつの執念に他ならない。
二度は挙げない白旗。こいつの熱意に負けただけ、ただそれだけ。
先程まで俺の手首を掴んでいた強引な手のひらは、握ってみると思いの外小さくて少しだけ驚く。しかし驚いたのはなにも俺だけじゃないようで、目の前のみょうじは呆けたように繋いだ手を見下ろしていた。
「って、自分から手繋いどいてなにびっくりしてんの。私の方がびっくりだよ」
「お前怪力のくせに手ちいせえな」
「あーもうそれ、そういうとこ!私じゃなかったら今頃あんた殴られてる」
一頻り騒いで、そのあと嘘のように大人しくなったみょうじにまた調子が狂わされる。こいつでも黙ることがあるのかと感慨に浸っていたものの、やはりそうはいかないのがこいつだ。真顔で小さく呟いた言葉に思わず度肝を抜かれることになる。
「やばい、京谷からデレいただきましたー」
「やっぱプレミアムチキンとポテト両方つけろ」
「ごめん嘘、顔怖い」
俯いたまま嬉しそうに唇を噛み締めたのを見た。調子に乗るなと言いたいところだが、なにも言う気にはなれずににやけるこいつを放っておいていることこそが答えだということに気づかない女ではないだろう。少なくとも、どれだけ鈍かろうと鬱陶しいほど付きまとってきたこいつなら、そうに違いない。
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