「あ……」

思わず漏れた声が静かなバスの中で響く。その声に彼もまた顔を上げた。

「チッ」

小さな舌打ちもまた静かなバスの中で響いた。ていうか失礼すぎる。クラスメートに会ってそれはない。そんなだから誰もあんたの隣座らないのよ、と心の中で悪態を吐きつつ、そのおかげで座れるのだからラッキーだ。嫌そうに窓の外を眺める京谷の隣に遠慮なく腰を下ろさせてもらう。

「どうしたの?今帰り?」

訊ねても相変わらず窓の外を眺めたまま反応がない。ムッとしながら再度「ねー、聞いてんのー?」と声を掛けると怪訝な顔をした京谷。

「うるせえ、聞こえてる」
「じゃあなんか言ってよ」

隣で盛大な溜め息を吐きやがった京谷から柄にもなさそうな制汗剤の香りがする。
こいつと意思の疎通が難しいのは今に始まったことではないけれど、この二年間観察してきた甲斐もあってかなんとなくなにを考えているかはわかるようになってきた。きっと今日もバレーの練習をしてきたんだろう。

「お疲れ」

声を掛けても返事はないけれど、拒絶されないだけましだろう。と言っても窓際に座る京谷の隣を私が陣取っているのだから京谷は逃げようもないのだけれど。つくづく今日は運がいい。

「バレー楽しい?」

京谷が逃げられないのをいいことに話しかけてみる。百訊ねて一返ってきたらいい位に思っていたけれど、予想に反してすぐに答えは返ってきた。

「楽しいとかそういう話じゃねえ」

依然私の方を向きはしない京谷の後頭部を眺める。窓ガラスに映る京谷の目は闘争心に燃えていた。

「どういうこと?」
「やりたいからやる、それだけだ」

なるほど実に彼らしい。だけどその答えが本当に純粋で、やはり彼はわかりづらいようでいてわかりやすい男な気がしてならない。

「京谷ってさ、実はかわいいよね」
「あ?」

私の言葉に京谷は心底嫌そうな顔を向けた。やっとこっちを向いたことが嬉しくて私は緩む頬を抑えられない。

「きめえ、頭おかしいんじゃね」
「ひどすぎ」

またしてもぷいっと外を向いてしまったけれど、窓ガラスに映る顔はなんとも言えない顔をしていた。本人は否定するけれどやっぱり京谷は可愛い男だと思う。男子に可愛いと言っても嬉しくないのだろうけど。
それでもこの男とどうにか言葉を交わしたくて四苦八苦している私は本当に健気だと自負している。

「京谷さ、部活戻らないの」

その言葉にぴくりと反応はしたものの、やはり彼はこちらを向かなかった。出すぎたことを言ったかもしれない。それでも悔しいのだ。
中学の頃から彼はバレーがうまかったのだと聞いた。だけどこの性格だから部に馴染めなかったらしい。籍は置いているけれど幽霊部員。だからといってバレーを諦める男でもなかった。
わかってくれとは言わないけれど、やはり悔しい。彼はこんなにも純粋に向き合っている。それは少しわかりづらいかもしれない。独りよがりに見えるかもしれない。だけどいつでも純粋で、貪欲に向き合っている。

「バレー部戻ったら応援しに行こうかな」
「いらねえ、来んな。迷惑」
「先輩にイケメンいるらしいじゃん、見に行きたいなー」
「きめえ。来んな」

彼も思うことはあったのかもしれない。私の言葉にぽそりぽそりとぶっきらぼうに返してくれた。それもどうやら前向きな返答で。
来るなってことは、戻る気なんでしょう?
イケメンの先輩なんかより、目の前の不器用な男を私は見たいのだけれど、そんなこと言ったらもっと引かれそうだから口をつぐむ。折角その気になってくれたのに、やっぱり部活に戻らないなんてことになったら全てが水の泡だ。

「邪魔、どけ」

次のバス停が近付いてくる。彼はここで降りるらしい。膝を座席に近付けて彼の通る道を作る。腰を上げた京谷は吊革に掴まった。

「おい」

バスが停まるほんの少し手前で、京谷が口を開く。彼からこうして口を聞くなんて珍しくて、思わずぎょっとした。

「ありがとな」

相変わらず目は合わない。だけど心はほんの少しだけ通じた気がした。あまりの驚きで息を飲む。さっさと出口まで歩いていく京谷の背中に「やっぱり試合見に行くね」と声を掛けると冷ややかな目を向けられた。

「うぜえ来んな」

どうせ見に行っても本気で怒らないくせに、京谷は口をへの字に曲げてしまった。こんなくだらない押し問答だけれど愛しく思う。そしてなにより。
あんな態度取っておいて最後にありがとうなんてずるい。ツンデレなんて巷では言うけれど彼もその類いなのかもしれないと思ったところで、やっぱり彼は可愛い男だと改めて実感した。

prev next
back


- ナノ -