まだ着慣れない夏服にじとりと汗が貼り付く。今年も夏がやってきた。高校生になってから初めての夏である。
なにかが始まる気がしているのは夏のせいなのだろうか。遠くに感じる空を仰ぎ見て、友人が待っているであろう体育館まで足を進める。

バレー部にイケメンの先輩がいるという。日直の仕事を終えて足早に体育館へと向かう。イケメン見たさにとんだ野次馬根性だけれど悲しいことに思春期女子の性である。そうでなくとももう友人は体育館にいるはずで、ここでバックれるのもどうかと私は思う。誰にするでもない言い訳を並べると、ギャラリーに続く階段の戸を開ける。はずだった。

私が力を入れるまでもなく扉は開いた。イケメン見たさでついに私にも超能力的なものが身についたのかとでも思ったけれど実際はそんなことなく、開いた扉から人が出てきた。目の前の男は勢いで戸を開けたらしく、私に気がつかなかったらしい。相手の肩口に思いっきり鼻をぶつけたため蹲ると、頭上に舌打ちが降ってきた。

「ちょっと、痛いんだけど」

人にぶつかっておいて更には舌打ちとはどんな神経だと怒りが沸いてくる。その男を見上げるも、何故か私が睨まれている。ていうかよく見るとこいつ、同じクラスの京谷ではないか。強面で無愛想なのでよく覚えている。バレー部だったとは知らなかった。

「てか、あれ?バレー部練習終わったの?」

足早に去ろうとしていた彼の背に質問を投げ掛けるも、彼は先程より鋭い睨みを利かせてきた。
どうやら私は地雷を踏んだらしい。

「ねえちょっと京谷」
「さっきからうるせえな、誰だてめえ」
「私一応同じクラスなんだけどね!?」

扉の向こうからはまだ、ボールの音が響いている。バレー部の練習はまだ終わっていないようだ。それなのに、体育館から出てきた、半袖のTシャツ姿の彼はその場をあとにしようとしている。
いつも不機嫌そうな顔をしている彼だったけれど、彼は苛立ちを隠そうともせずに顔を歪めている。ここまで機嫌の悪そうな彼は初めて見た。とはいえ同じクラスというだけでそんなに彼と親しくはないけれど。なにかあったのだろうかと心配になって彼の背中を見つめていると、立ち去ろうとしていたはずの踵を返して彼は男子トイレへと消えていった。

一体なんだったんだ、今のは。痛む鼻を押さえながら、今日初めて言葉を交わしたクラスメートの奇行に首を傾げる。気を取り直してギャラリーの扉に手を掛けると、乱暴に戸が開く音がして振り返った。
男の子はトイレが早いというけれど、京谷はさすがに早すぎるのではないだろうか。彼は相変わらず仏頂面をしている。一つ謎の行動があるとすれば、私を真っ直ぐ見据えてこちらに向かってきているということだ。

「え、なに。どうしたの」

問い掛けるも返事はない。代わりに彼はぐんぐん距離を詰めてくる。あまりよいとは言えない人相に迫られるのはどうも居心地が悪い。まさかぶつかったのは私に非があるといちゃもんでもつけてくるのではないかと頭を過る。どうやら今日はついていないようだ。怯みそうになったけれど負けじと睨み返していると、彼は目の前まで来るなり私の顔に思いっきり濡れたタオルを押し付けてきた。

「は!?なんの嫌がらせ!?」

突然ぶつけられた冷たさに自分の肩がびくりと揺れたのがわかった。突然のことに全く頭が追い付かない。その上、私が両手でタオルを受け取ったのを確認した彼は今度こそ立ち去ろうと背を向けている。なにが面白くなくていきなり人にタオルをぶつけてくるんだこの人。全く意味がわからない。

「いや、これどうしろっていうの」
「うるせえな黙って使え」
「は?なんで?」
「……さっきは悪かったな、冷やしとけ」

とても信じがたい言葉が聞こえたような気がする。タオルを濡らして渡すためだけに戻ってきたのかこの男。いつも不機嫌そうで、怖い人なのだと思っていた。舌打ちはされるわ睨まれるわで下落していく一方だったはずの株が、たったそれだけの親切でぐんと上がってしまった。こいつ、実はすごくいい奴なんじゃないだろうか。堪らず彼の背中を追い掛ける。まだ体育館にいるであろうイケメンのことは、もう頭からすっかりと抜けていた。

「ごめん、タオルに化粧ついちゃった」
「きたねえから返してくんな」

あまりのきつい言い方に、かちんと来るよりもぐさりと心に刺さる。挫けそうになったけれど私はまだ彼に言いたいことがある。

「私もさっきはごめん、タオルありがとう!」

声を掛けるも彼は振り向きもしない。ポケットに手を突っ込み背中を丸めて、長い脚でさっさと進んでいく。もう追い付けないその広い背中を眺めながら、彼の背中に追い付きたいと思ってしまった。体育館からボールの音が途絶える。ポケットの中で携帯が震える。私はそのどれもを無視して、ただひたすら呆然と立ち竦んでいた。

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