「京谷と手繋いだ」

午前の授業は全く集中できず上の空。話しかけてくる友人の言葉さえ頭に入っては来ない。気難しい顔をしながらメロンパンをちまちま咀嚼していると、うちのクラスに遊びに来た矢巾もまた気難しい顔をしてなにがあったのかと訊ねてきた。そして昨日あったことを話すと、口をあんぐり開けたまま固まってしまった。

一日経ってみると、あれは現実だったのかよくわからなくなってくる。当の本人もどこ吹く風で、ハミマについてからはいつも通りだった。そしてその後、再び手のひらが交わることはなかった。今日も何食わぬ顔で登校してきて、昼までに一度くらいは絡みに行くはずの私ですら今日は彼に近付けない。思い出しては一人赤面するくせに、あれは妄想の産物で、ただの幻覚だと言われればあっさり納得できる気さえしてくる。だけど固い手のひらの感触だけはやけにリアルだ。

「……前から聞きたかったんだけど、みょうじと京谷って付き合ってんの?」

固まっていた矢巾が我に返ったようで、声のトーンを極めて落として聞いてきた。友人もそれに同調するように頷いている。その問いに首を大きく横に振ると怪訝な視線を寄越してきた。

「付き合ってない、私まだ告白してない」

似たようなのはとっくにしてるけど。とはさすがに言えない。いっこうに進まない私の片想いに痺れを切らしている友人がそんなことを聞こうものなら、あの京谷に怯まず殴り込みに行く勢いだ。私のために争わないで、なんて人生で一回くらいは言ってみたいけれど大惨事になる気しかしないのでその事態は未然に防ぎたい。

「でもさ、どうすんの?あんた片想い歴1年越えてない?」
「うんとっくに。片想いに気付いて今日で1年半と2週間くらい?」
「いやそこまで詳しく聞いてない」

素直に答えただけなのに、矢巾も友人も顔が引きつっている。ドン引きされるようなことを言ったつもりはないけれど、私の想いは強すぎるのだろうか。

「京谷はさー、あんまりぐいぐい行くと逃げちゃうからタイミングを窺ってんだよ私も」
「大人しく見守ってるようには見えねえけどな」
「どこが!?私そんなに付きまとってなくない!?」
「それはお前が決めることじゃないと思うけど」
「じゃあもうどうすればいいのさー」

うがあ、と机に半身をダイブさせてみるとあらゆる関節からバキバキと音が鳴る。半日とはいえ借りてきた猫のように大人しくしていたのだ、慣れないことはするもんじゃないと身をもって知った。

「さっさと告れば?」
「今はまだそのときじゃない」
「って言ってもう1年でしょ?さすがにそろそろどうかと思うけど」
「だから、1年半と2週間だって」
「多い方が問題じゃね?」

しまった、墓穴を掘ってしまった。言葉を詰まらせていると、紙パックのイチゴオレ片手に教室に戻ってきた京谷が視界に入ってきた。途端、鼓動が早鐘を打つ。彼をじっと見つめたまま固まった私を見兼ねたのか、友人に「ほら、行っといで」と背中を叩かれた。

「え、なにどういうこと?」
「手繋いだ仲でしょ。昨日の今日で避けてたらいくら京谷でも『あー嫌だったのかな』って勘違いするって」
「あいつはそんなタマじゃないと思うけどな」
「とにかく、なんか話しかけてくるだけ話しかけてきな」

渋ったものの、よくわからないまま席を立たされさっさと背中を押された。「話しかけてくるまでこれは私が預かっとく」と食べかけのメロンパンを人質に取られてしまい、やむを得ず京谷の元へ向かった。窓ガラス越しに目が合ってしまい、こほんと咳払いを一つ溢す。

「や、やあ京谷くん。今日はいい天気だね」

声を掛けると律儀にこちらを向いた彼の眉間には、それはそれは深い皺が刻まれていた。

「お前バカじゃね。曇ってんだろ」

しまった。今日の天気を気に留める余裕もなかったため、ついとんちんかんなことを言ってしまった。言われるまで気づかなかったとはいえ、あまりにバカすぎる。気を取り直してもう一度。

「き、昨日はよく眠れたかな?」
「……なんかお前いつもに増してきめえ」

あ、もう無理。このとき私の心はぽっきり折れた。しかし同時に思う。そのキモい女と昨日手を繋いだのはどこのどいつだと。

「……昨日はあんなにかわいかったのに」
「うっせえ、俺もう寝るから話しかけんな」

私にそう言いつけるとふいっと顔を背け、机に突っ伏されてしまった。しかし私は気づいてしまったのだ。京谷の耳が僅かに赤く染まっていることに。

やっぱり昨日のは幻なんかじゃない。彼の珍しい反応に思わず頬が緩んでいく。本当にこの男、どこまでもかわいいやつである。軽い足取りで狭い机の間をスキップして自分の席に戻ると、矢巾と友人は期待半分ドン引き半分で私を見上げた。

「寝ちゃった。かーわいー」
「……お前の前向きさは一体どっから来てんの」

友人に囚われていたメロンパンを引ったくり、大口を開けてさっさと平らげていく。午後の授業は、きっと違う意味で集中できないだろう。

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