※精神科医と二階堂。あくまで明治期の医療行為を参考にしています

「最近、同じ夢を見ます」
「夢?」
「そう、夢」

 そわそわと落ち着きなく座る目の前の男は、とうに成人を迎えているというのに少年のように無垢だった。義足と素の足の境目を何度もなぞり、とてもじゃないが軍人には見えない。本来彼が隔離されるべき場所は別のところにあるのではないかと、初めて二階堂浩平に会ったときみょうじは首を捻った。

「目の前の全部が緑」

 二階堂は腕を大きく広げてみせた。みょうじはカルテから目線を上げて、夢の内容を一生懸命に話す二階堂の様子をじっと観察する。

「緑の中に洋平がいてぇ」
「洋平っていうのは双子の弟の?」
「当たり前じゃん!」

 みょうじとしては適切な相づちを打ったつもりであるが、二階堂は話の腰を折られたと思ったのか露骨に眉を寄せ唇を尖らせる。

「で、その緑は茶畑」
「ご実家の静岡かな」
「うん、そう!」

 こーんなに広いんだ! と二階堂は手を広げながら、診察室の椅子でぐるぐると回る。北海道に生まれ北海道で育ったみょうじは生まれてこの方茶畑を見たことがないので、易くない想像をしながら「すごいね」と話の続きを促した。

「それで、洋平がどんどん緑になって」
「うん」
「お茶になるんだ」
「うん?」
「でもお茶になった洋平は俺の中で生きてる」
「飲んだんだ」
「飲んだ!」

 ヘッドギアを指先でうっとり撫でながら「ずっと一緒だね!」と口元につけられた耳に二階堂は話しかけた。その耳は二階堂浩平本人のものであるが、彼は切り離された自身の耳を「洋平」と呼び慕う。双子の片割れを失った現実から逃避しているのだとみょうじは推測している。

「幸せな夢だね」
「でもたまに杉元が来て茶畑を焼くんだ」
「杉元って?」
「洋平をぶっ殺したやつ!」
「その夢を見るのはどんなとき?」
「モルヒネを打たなかったとき」
「だからってモルヒネを盗んじゃいけないな」
「だって杉元が来るんだ」

 夢の中じゃ殺せない、と嘆きながら二階堂はしゅんと項垂れて膝にのの字を書いた。

 元来、二階堂は感情的になりやすく気性も荒いが、もう少し落ち着きのある人間であったという。この癲狂院に二階堂を連れてきた月島軍曹に聞いた。
 生活環境が変わり、兵士として戦争に参加し、弟を亡くし、両耳を失い、片足を切断され心身ともにゆるやかに疲弊していった結果、彼は無意識に幼児退行を選んだのではないかとみょうじは踏んでいる。ここで彼の精神異常を医師である自分が認めてしまえば、彼をどこかに匿わなければいけなくなる。だから明らかに正気を失っている二階堂を、軍の息のかかった自分の元に連れてきたのだろう。

 しかしさすがにみょうじの手にも余る。子供のような言動に軽度のモルヒネ中毒、双子の弟の妄想妄言に“杉元”とやらへの異常な執着。
 鶴見中尉に懇意にしてもらえていなければ、みょうじは二階堂をさっさと座敷牢にぶち込んでいたに違いない。むしろそうした方が彼のためではないかとも思う。

 檻に閉じ込めモルヒネを投与し続け、幸せな夢の中で眠り続けた方が彼にとっても平穏だろう。それでも軍は今後も彼を働かせるつもりらしい。気が確かではなくても相当腕が立つのか、それともなにか別の理由か。みょうじとしては、この大きな子供の世話から早々に解放されるのならばなんでもいい。二階堂浩平という男は、見ていてあまりにも痛わしいのだ。

 一通り、お茶会というのは名ばかりの診察を終えると月島軍曹が迎えに来た。冷めた緑茶を飲み干した二階堂は嬉しそうに「みょうじ先生またね!」と手を振る。最初こそは白衣を着て気難しい顔をしているみょうじを警戒していたが、今や友達の家に遊びに来ている感覚らしい。精神病院をなんだと思っているのか。内心呆れながらみょうじは小さく手を振り返した。

 月島軍曹に連れられて弾む足取りで去っていく二階堂を見送って、先程まで目の前にいた男のカルテに向き合う。異常なし。今日も今日とて書き込む嘘に、みょうじの指先は震えていた。

2018.07.07

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