常に完璧に粧かし込むなまえに対し、尾形は腹に据えきらぬ殺意を覚えることがある。幼少まで遡る遠い記憶を呼び起こし、この手で毒殺した母の姿をまぶたの裏に見るのだ。

 芸者であった尾形の母は、身内であるという贔屓目を差し引いても美しい人であった。妻子ある男がよそに囲ってしまうほどには、他人から見てもそこそこ美しかったはずであると尾形は思う。
 しかし尾形の記憶の中で、美しいはずの母はちっとも美しくなかった。
 冬になると毎日のようにあんこうを煮込む母は、“いつ父が帰ってきてもいいように”疲れきった肌に毎日念入りに化粧を叩き込んでいた。やつれた頬にろくに白粉など乗っていなかったが、そんな健気で一途な母を子供ながらに“可哀想”だと尾形は思っていた。

 もしも俺なら、いくら妾とはいえ子供をもうけるほど惚れた女にあんな酷い仕打ちができるだろうか。そこまで思い至るが、わからない。軍を裏切った自分には、あの男の血が確実に流れていることを尾形は思い知る。父と共に暮らしたことなどなかったがやはり血は争えない。軍から逃げ回り、かつての同胞に銃口を向ける度に「自分はあの薄情な父親の息子なのだ」と思い知る。自分は“何かが欠けた”人間なのだと思い知る。

 自分が何者なのかわからなくなる度、尾形はなまえを手酷く抱いた。決して優しく抱いてなんかやらないのに、それでも毎回受け入れるなまえの好意には尾形自身も気づいている。しかしそれが果たして愛なのかと問われると、首を捻る。

 愛とはあやふやなものだと尾形は思う。肉眼では見えないし、触れることもできない。言葉で成立するものでもないのだろう、だったらその所在は一体どこにある。確かめたくて何度も抱く。快楽で顔を歪めるなまえを見下ろす度に、毒に侵された死に際の母の姿が重なった。

 お前を苦しめるような酷い男なんてさっさと忘れた方が幸せになれるんじゃないのか。

 熱に浮かされながら、誰に言うでもない、言うつもりもない言葉を飲み込む。代わりに欲を吐き出して、決して満たされることはない自分自身に気がつく。だからこんな行為を繰り返しても不毛であると、尾形自身理解している。

 尾形の腕の中で目をつむるなまえの頬にはまだ白粉が乗っている。
 かつて一度だけ“化粧をしない女は好みじゃない”と口にしたことがあったが、何気ない一言を健気に守る可哀想な女に抱く殺意を鎮める方法を尾形は知らない。頑なに化粧を落とさず眠るなまえが、尾形を愛していると仮定する。
 例えばこの女の素顔を見たら、“もう自分は愛されていない”のだと自覚し、この女を躊躇なく殺せるのだろうか。それとも“この殺意こそが自分なりの愛なのだ”と理解してなまえに縋るのだろうか。自分はこの女に愛を乞えるのか。乞いたいのか。そしてそれはこの女を愛しているからなのか。
 陶器のようにきめの整えられた頬を親指でなぞる。ぴくりと肩を揺らしたなまえの狸寝入りを確信して、尾形はまた殺意を覚えた。指先についた白粉のべっとりとした感触が、どうにも不快で堪らなかった。

2018.06.25

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