赤とピンクのバルーンを施した装飾だらけの町並みはそれだけで私の気持ちを重くしていく。年単位でちっとも変わりやしない、隣を歩く男と私との関係性が余計にそうさせているだけなのかもしれないけれども。装飾だけはやたら暖かみのある色合いをしているけれど、肌を突き刺す風はまだまだ冷たい。

「お前もっと楽しそうな顔しろよ」
「無理この空間。吐きそう」
「仮にも女子だろがんばれよ」

頭上から降ってくる声はやけに楽しげで、口角を上げて笑う顔も生き生きしている。私が表情を歪めるとき、いつも黒尾は嫌な顔で笑うのだ。つくづく悪趣味な男だと思う。

「今度はなんの拷問なのさ。私黒尾になんかしたっけ?」
「人聞きわりいこと言うなよ、俺がいじめてるみてえだろ」
「いじめだよこんなの。私忙しいんだからね」
「こたつ入ってみかん食うのにか?」

喉を鳴らして笑う彼に、悔しいけれどぐうの音も出ない。忙しいなんて建前だ。本当は今日、黒尾になんて会いたくなかった。

片想い歴は春が来たら3年を迎える。だけど春が来る前に、私たちは卒業して、離ればなれになってしまう。いつまでも子供でいられたならよかったけれど、そんなこと叶うはずもない。私の気持ちの整理がつこうがつかまいが、時間は私を待ってはくれないのだ。

ならば今日こそが絶好のチャンス、おまけに鴨が葱を背負ってやってきたようなものなのだから憂う必要はないのだけれども、今まで悪友を貫いてきたのに今さら素直になれるはずもない。ならば今日という日がいくら強制的にムードを作ってくれようとも、余計に虚しくなるだけなのだ。

「今日じゃなくてもいいじゃん」
「今日じゃなきゃ意味ねえの、チョコ買ってやるか?」
「食べ物で釣られると思わないでよねゴディバでいいけど」
「食うんじゃねえか」

遠慮しろよ、と笑う黒尾が、あと一月後には簡単に会えなくなってしまうだなんて認めたくない。きっと今日みたく、私たちはなんとなく暇になれば連絡を取り合って都合がつけば会うような悪友の関係が続くのだろう。それでも、毎日のように顔を突き合わせていられる今と、次に会える日がいつ来るかもわからない不確定な未来とでは話が違う。

お互い環境が変わって顔を合わすことがなくなれば、私の気持ちは消えていくのだろうか。黒尾のことを一人の友人として、過去の想い人として区切りをつけることができるのだろうか。どれだけ考えても答えは出ないまま2月は半ばまで来ている。

「言っとくけど私バレンタインだからって黒尾にチョコ持ってきたりとかしてないよ」
「干物ちゃんのお前にはなから期待してねえよ」
「なんか食べたいのあれば買うけど」
「お前さあ、目の前で買われたら男のロマン壊れんだろ」
「そうなの?」

こんな会話を私たちは、一生のうちであと何回くらいできるのだろう。卒業してそのまま会わなくなったとしても、一友人であればそれを咎めることもできない。そう思うと最後、彼と私がぽつりぽつりと紡ぐ一言たちが途端に重みを増してくる。

「愛を伝える日っていうけどさ、バレンタイン司教が殺された日に愛なんて誓えなくない?」
「は?誰それ」
「私もよく知らない」
「なんで言ったし」
「なんかで読んだ」
「で?そいつがなんだって?」
「その人の命日にみんなしていちゃいちゃしてさ、もっと厳粛にやったほういいんじゃない、って思ったの」
「出たな屁理屈」

だけどそうやって、イベントにかこつけて素直になれる人がほんとうはちょっとだけ、ちょっとだけだけど羨ましかったりもする。バレンタイン司教の命日だとか、そもそもキリスト教じゃないだとかほんとうはどうだっていい。ただ自分が素直になれないことに理由をつけたい、ただそれだけの話。

「そのなんとかさんは嬉しいんじゃねえの」
「なんで?」
「自分の命日に誰かが幸せになってんだろ、まあ知らねえけど」

なにも考えていないような、重たいまぶたをさせて彼は言う。そんなこと考えてもみなかった。私だったら、私の命日には毎年雨でも降ってみんな気分が重くなっていればいいのにとか、きっとそんなことを考えてしまう。でも確かにそうだ、バレンタイン司教だって所謂聖職者、私みたいな恨みがましいことを考えるはずもない。

「黒尾ってたまに恥ずかしいこと言うよね」
「感心してるくせに偉そうなこと言ってんな」

私は生憎聖職者でもなければバレンタイン司教のことなんて名前しか知らないのだから彼の気持ちを百パーセント理解できるわけがない。だけどもし、例えば黒尾が言ったようなことを彼が思っているのなら。イベントに乗っかることも別に悪くないのかな、なんて思ってみたりもする。

「……やっぱなんか買ってくる」
「いらねえって、無理すんな」
「無理してないし」
「女子力の塊みたいな集団に突っ込んでったら死ぬぞお前」
「だったらなんで今日呼び出したのさ」

幸せそうに私たちの横を通り過ぎていく男女達の中、静かに呟いた私の言葉で黒尾は目を丸くした。
気がついていないわけではなかった。ふとしたとき、黒尾も私のことが好きなんじゃないだろうかと頭を過ることがある。だけど確信は持てなくて、私はいつも知らないふりを徹してきた。なにも変わらない悪友の関係を嘆いているようで、彼の気持ちに深入りすることによって壊れてしまうくらいなら本当はずっと今の関係に甘んじていたかった。

だけどもし、このまま環境が変わって、何年か経っても私が黒尾を好きなままだったとしたら。もし今、なにも言えずになにもできずに今日という日を終えたとしたら。何年かあと間違いなく私は今日という日を後悔すると思うのだ。イベント毎に気が大きくなってしまっただけだとしても、例え今玉砕したとしても構わない。それでも私は黒尾の気持ちを知りたいと思った。知らないままでいる方が後悔すると思った。

しばらくの沈黙のあと、黒尾は小さく深呼吸をして、切り出した。

「会いてえからに決まってんだろ」

いい加減気づけよ、と呟いた言葉は喧騒に掻き消されてしまいそうだったけれど、隣にいる私まで届くには充分すぎた。こういうことになると途端に不器用になる彼を愛しく思う。回りくどかった3年間だけれども、彼をよく知る度に好きになっていたのだから決して無駄だったとは思わないしお互いの気持ちを知るまでが遅すぎたとは思わない。

「よし、私もそろそろ女子力に飲まれてこようかな」
「やめろって、死ぬぞ」
「なに言ってんの、バレンタイン司教のためだよ」
「はあ?」
「今日愛を伝えなくていつ伝えるの」

自分で言っていてこっぱすがしいけれど、それもこれも全部バレンタインのせいにしてしまえばいい。盛大に吹き出した黒尾のせいで余計に恥ずかしくなってくるけれど、私たちに甘すぎるムードなんて必要ない。これでよいとも思う。

「なんで笑ってんの」
「お前さっきと言ってること違いすぎじゃね?」
「気が変わったの」

一頻り大笑いされたあと、黒尾は切れ長の瞳を更に細めて、一人言のように呟いた。

「プレゼントはお前でいい」
「うわ、黒尾がまた恥ずかしいこと言ってる」
「照れてんじゃねえよ」

町行く男女を恨めしく思っていた数分前、私たちも今この瞬間、誰かが羨む二人になれたのだと思うと途端に気恥ずかしくなってくる。真っ赤なハートのバルーンが、冷たい風に吹かれて揺れていた。

2016.02.14

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